願いの夜





「そういえば、七夕というのを知っているかい? ロコ」
 ディオールが思い出した、と呟きながら読んでいた書物を閉じ、向かい側で針仕事をしていたロコに尋ねる。ロコは聞き覚えのない単語に小首を傾げながら、手を止めた。
「なぁに? それ」
「古い伝承に記されていたものなんだけどね。年に一度、星に向かって願いごとをする習慣があったみたいなんだ」
「星に願うの?」
「そう。なんでもその日は、まるで橋がかかったように夜空に星が散りばめられたんだそうだよ」
「まぁ、それは凄く綺麗でしょうね。見てみたいわ」
 ロコはその光景を想像しているのか、うっとりと馳せるように目を閉じる。ディオールはそれを見て微笑み、窓の外を見上げた。
 そこに、散りばめられるだけの星はない。
 あるのは弱々しい光を放つ、よく見なければ見つけられないほどの小さな星が、転々とあるだけ。輝くように夜空を彩るそれらは、どこにも存在しなかった。
 ただ夜はひたすらに濃い闇が続き、唯一の明かりは月光のみ。それもまた、弱々しい光であった。
「僕達も、願い事をしようか」
 星はないけれど。今日がその日であるのかもわからないけれど。
「ええ、いいわ」
 ロコは賛同し、何をお願いしようかと楽しそうに考えをめぐらせた。
「決めたわっ」
「じゃぁ、テラスに出て同時に願い事を言おうか。星を見ながら」
 ディオールの提案に、ロコは素直に頷いて立ち上がる。ディオールも腰を上げ、ゆっくりとテラスに向かった。二人は横に並び、空を仰ぐ。
 闇色に染まった夜空は、柔らかい月の光を飲み込むように吸収している。
「やっぱり星はあまり見えないわね」
 残念そうに肩を落とすロコに苦笑しながら、ディオールは彼女の頭に手を乗せた。
「願い事はなんだい? ロコ」
 彼女の願いを、ディオールは叶えるつもりでいる。普段からあまり何かをねだることのなかった少女の願いを、こんな切欠でもなければ聞きだすことができない。
 そんなディオールの思いを知ってか知らずか、尋ねた彼に、ロコはニッコリと極上の笑みを浮かべた。
「同時に言うのでしょう?」
「あぁ、そうだった」
 指摘され、ディオールはロコの頭から手を放すと、再び空を仰ぐ。それに続くように、ロコは胸の前で手を組み、瞳を閉じた。
「「ずっと一緒にいられますように」」
 同時に放たれた言葉は、夜空に溶け、消える。けれど、しっかりと届いたお互いの願いは、色濃く記憶に残った。
 星に願うまでもない。
 二人の努力次第で、それは叶えられるものだから。
 夜空の下、月光に照らされて、二人は幸せそうに笑い合った。



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