2/若女将





「はいはい。お二人ともおはようございます。昨夜はぐっすり眠れたかしら?」
 早朝。
 普段なら絶対起きないような時間に、あたしは突然の女将の襲来……じゃなくて訪問によって起こされた。咄嗟に起き上がり格好を改め、部屋に侵入してきた女将を出迎える。
 声音、態度からしてまだ仕事モードには切り替わっていないらしいことが解ると、あたしはホッと息をつき、恒例の朝の挨拶。
「おはよう」
「おはよう、シアちゃん。貴女が起こされるまで起きないなんて、珍しいわねぇ」
「学校行くのにもこんな時間には起きないからね」
 だってまだ日が登ってない。夏だから朝日が登るのも早いだろうに、それでも当たりはまだ薄暗い状態だった。大学に通ってる時でもそんな時間から起きることないし、日によってはかなりゆっくりできたりするからそっちに慣れてしまったんだよね。
「今日からしっかり働いてもらわなくちゃいけないから、お友達にも起きてもらわないと」
 未だ夢の中にいる二人は、当然というか、起きる気配はない。
 その夢が悪夢に変わる時は、そう遠くないないだろう。あたしは吐息し、まず最初に左隣で眠っている千夏を起こした。軽く揺さぶっただけで、彼女はすぐに目を覚ます。ゆっくりと起き上がると、眠たそうに目をこすりながらも、女将の姿を認識した途端、すぐに目を見開いて挨拶した。
 女将はそれに笑顔で答えながら、持っていた着物を示して支度を促し、千夏は慌てて布団から這い出るとすぐさま洗面所へと駆けて行った。
 さて。次は厄介なコイツか。あたしは未だ隣で寝こけているナオを見下ろしながら、とりあえず揺さぶってみる。
「むにゃ〜……待てこの鶏〜。から揚げバンザーイっ」
 ゴロンと寝返りを打ちながら、意味不明な寝言を吐くナオ。どうでもいいけど、なんちゅう夢見てんだお前。鶏追いかけて何してんの?
「ナオ? ナオ! 起きなさいよ〜」
 身体を揺するのから始まって、脇をくすぐり、顔を平手打ちし、最後は足蹴りという経路を辿って、ようやく奴は目を覚ました。寝ぼけ眼でむくりと布団から起き上がると、覚醒しない意識の中かろうじでおはようと呟く。
「あらあら、朝、弱いのかしら」
 苦笑しながら、女将が千夏の使っていたシーツを剥ぎ、布団をたたんで押入れにしまう。無駄な動きのない慣れた動作。毎回惚れ惚れするような動きに、あたしはさすが、と口の中で零した。
「さぁ、今日からしっかり働いてもらいますからね。まずは目を覚ましてらっしゃいな」
 やや強引に布団からナオを追い出し、追い出されたナオはやはり寝ぼけたまま洗面所へ向かった。入れ替わるように戻ってきた千夏がおはようと声を掛けるが、ナオはうんとだけ頷いて扉の向こうへ姿を消す。
「さぁ、それじゃぁ、着替えましょうか」
 やけに楽しそうな女将の笑顔が、悪夢の始まりを告げた。



 +++++



 とりあえず着替えを済ませ、あたし達は女将に引きつられて揺籃恒例の朝のミーティングに向かっていた。その時に仲居さん達とナオ達を引き合わせるわけ。
 足取り軽やかな二人に比べ、あたしは身体全体に重りをのされたような重圧を感じていた。だって、ミーティングなんか出ちゃったら、もう絶対隠し通せないわけで。
 結局全部ばれちゃうわけで。厭だなぁ……あたしは小さく落胆の息を漏らした。
「あらやだ、シアちゃん。溜息なんてついてどうしたの」
 即効で女将に突っ込まれる。うわー、これだから目ざとい人は。
「何でもない」
 とりあえず流しておく。誤魔化すように視線を後ろに向けると、ナオと千夏は緊張と逸興が入り混じったような表情を浮かべていた。そのまま会話に耳を傾ける。
「初バイトで仲居さん。ドキドキするぅ」
「やっぱ着物っていいよなぁ」
 ナオは袖を振りながら得意げにポーズなんか決めていた。因みに奴の着付けはあたしがやった。男だということもあって、かなり神経を使ったけど、とりあえずばれてないからオッケーだ。
「でもちょっと動きづらいね」
「そのうち慣れるって」
「そうだね。よし、バイト、頑張ろうね!」
「おぅよ! 盛大に盛り上がらんと」
 まてまてまてぃ! 何やらいつになくまともな会話してると思いきや、いきなり何をおっしゃる!? 盛り上がるって何を!?
「そうねぇ。若者には盛り上がってもらわないと」
 は!? あんた何言ってんの!?
 あたしは平然と返した女将を凝視する。やっぱり……普通モードのこの人は絶対ナオとノリがあうんだよ。なんたって、同属性だから。ナオより激しくはないが、思考の展開がどこかおかしいのだ。
 あの突飛的な発想がどこから湧くのか未だ謎だ。
「ですよね!? さっすが、女将、話が解る〜」
「おほほほ。ナオちゃんほどじゃなくってよ」
 何の会話だよこれ。え? 何か? あたしがおかしいのか?
「さぁ、着きましたよ。皆さんに紹介するので中に入ってくださいな」
 案内された部屋の前で、女将は立ち止まり扉を引くと、二人に中に入るように促す。ナオと千夏は期待を胸に部屋に入った。その後に女将が続き、後を追うように中に入ろうとしたあたしを、女将が片手で制す。
 呼ぶまで出てくるな、ということらしい。どうやら後から報告するということを悟り、あたしは扉付近で大人しく待機を決め込んだ。あいにくと入ってすぐ右手に天井近くまである棚があり、その奥に仲居さん達がいるので、入り口すぐならあたしの姿は見えないのだ。
 大人しく動きを止めたあたしを見て、最後にニッコリと微笑んでから、女将の気配が『仕事モード』に切り替わった。それを捉え、あたしは半ば顔を引きつらせる。
 ナオと千夏も、女将の雰囲気がえらく変わったのに気づいたようで、かすかに息を呑む音が聞こえた。
「おはようございますっ!」
 すでに揃っていた仲居さん達が、女将の姿を認めると一斉に姿勢を正して挨拶を交わす。女将もそれに返事を返した。
「もう知ってる人もいるだろうけど、今日から働いてくれる、黒知 凪鳴さんと壱原 千夏さんです。皆さん、指導のほどよろしくお願いします」
 女将の紹介の後に、慌てて名乗る二人の緊張気味な声が聞こえた。
「それから……」
 女将の声音がいくらか宙を漂う。あたしの登場なわけね……はぁ、やだなぁ。
「若女将も、夏休みということで一時帰宅してくれました」
「! 若女将が!?」
 瞬間歓声が湧き起った。うーわー……もう絶対隠しとおせないよね。
「若女将」
 呼ばれて渋々中に入ると、一斉に仲居さん達の視線があたしに集中した。うわ、その期待と所望に満ち溢れた目線向けるの勘弁して。
「若女将!?」
 あたしに向けられたそれを繰り返し、ナオと千夏が大仰に叫んだ。はは……あたしは二人に曖昧な笑みを向ける。
 あまりにも異様な二人の驚きぶりに、大女将が僅かに目を見開いて、それから何やら納得の色を浮かべた。
「昨日のあれは、二人が知らなかったからなのね」
 バッチリ言い当てられて、あたしは苦虫を噛んだような表情を浮かべる。もう、苦笑いしかないって。
「仕方ないわね。改めて紹介しましょう。私は揺籃の大女将で、シアちゃんの母親の揺亜(ユア)と言います」
 あたしの実の母親である女将の再びの自己紹介に、二人はポカンと呆けた。
「つまりシアちゃんは、この旅館の若女将、次期女将となる揺籃の跡取り娘なんですよ」
 早朝。
 とある老舗旅館の一室で、二人の喚声が上がったのは言うまでもない。


BACK   TOP   NEXT