1/マイブラザー





 それは、バイト生活五日目のことだった。

 ヤッベェ。死ぬ。マジ身体もたねぇ……
 俺は早くも根をあげてしまいそうだった。
 だってこれ、絶対割りにあわねぇよ。自給いくらだっけ? あぁ、考えるのも疲れる。
 俺はちょうど今空き部屋の掃除を終えて、廊下を歩いてるところだった。
 明日新しい客が来るんで、そのための掃除と最終チェック。布団は揃ってるか、とか浴衣のサイズは合ってるか、とか、まぁ色々。
「身体いくらあってもたりねぇよなぁ……」
 従業員が自分達含めて十人ってどうなんだよ。そのうち大女将は戦力にはならないから、実質的には九人だ。
「間違ってる。絶対間違ってるよな、この現状」
 厭でも溜息が出るってもんだ。 
「ちょっと、そこのあんた」
「あ?」
 そんな心情の最中、不意に声をかけられて、俺は思いっきり低い声を出してしまった。
 やばい! 慌てて誤魔化すように咳払いをしてみる。
「何咽てんの? 風邪?」
 近づいた声に、俺は咄嗟に顔をあげる。複雑な表情を浮かべた少年の顔が間近にあって、俺は後ろに身体を反らせた。
「いえ、ちょっと驚いたもんで」
 よし。完璧な作り声。あぶねぇあぶねぇ。ちょっとの油断が命取りだからな。
「ふーん。それよりさ、ちょっと聞きたいことあるんだけど」
 特にコメントもなく、少年はさっさと自分の用件を切り出す。どうでもいいけど、客……じゃないよな? 学ラン着てるし、修学旅行の時期でもない。歳はたぶん、十五、六歳くらい。
「なんでしょう?」
「女将どこにいるか知らない?」
「へ? あの、女将に何の御用で?」
「あんた……新人だろ? 俺のこと知らないみたいだし。まぁ、そんなことどうでもいいけど」
「はぁ……」
 何かえらく態度でかいし、いってる意味がよく解らん。
「どっちにしてもあんたには関係ないからさ。で、知ってるの、知らないの? さっきから捜してるんだけど、見つからないんだよ」
 小さく吐息しながら、少年は肩を竦めた。
 さっきから気になってたんだが……
「女将って、大女将? それとも、若女将?」
「大女将に決まって……何だって?」
 突然ものすごい形相を浮かべて、少年が俺に詰め寄った。何だ? 俺なんかヤベェこと言った?
「あんた今、若女将、って言った?」
「え? ああ、はい……言いました」
 その切迫さに、俺は思わず敬語で答える。年下のくせに、随分と威圧感がある。
「シア帰ってきてるんだな!?」
「へ?」
 少年の表情が一転して明るいものに変わった。
 シアと知り合いなのか、コイツ? っていうか、何でシアのこと呼び捨てしてんだよ!?
「くそっ、俺としたことが不覚だった! 帰ってきてるって知ってたらすぐこっちに顔出したのに! 何で誰も教えてくれないんだよっ」
 口惜しそうに言いながら、舌打ちする。
「あ、ナオ! こんなところで何サボってんの!?」
 ちょうどその時ナイスなタイミングでシアの怒声が響いた。
 俺と少年は同時に振り返る。バタバタとかけてくるシアの姿を捉え、声をかけようとしたが、それより早くに少年の歓喜の声が上がった。
「シア!」
 シアの怒りの形相が一気に引いて、それが驚きの表情に変わる。
「ジュン!? あんたなんでこんなとこに……っ」
「それはこっちの台詞だ。帰ってきてるならこっちにも顔出してくれりゃいいのに。俺今知ったんだからな、シアが帰ってきてるの」
 さっきまでの威圧はどこに行ったのか、まるっきり歳相応の表情を浮かべ、不貞腐れたように口を尖らせている。
「あのねぇ、この姿見れば解るでしょ? 遊びに帰ってきたんじゃないんだから、そんな暇がないことくらい十分理解してるでしょう」
 まるで幼子を宥めるような口調で、シアは困ったような表情を浮かべる。
 何か……ムカつく。
 俺にはそんな風に諭すような言いかたしたことないくせに。何でそいつにはそんな優しいんだよ!?
 むー……
「コイツ誰?」
 自分でも解るほど不機嫌な声。一応作り声だけど、それでもやっぱりちょっと低くなってしまった。
「あ、そういや紹介がまだだった。この子は……」
「淳隆。撫茅 淳隆(ナガヤ アツル)。漢字に淳があるから、皆は大抵ジュンって呼ぶ」
 シアの言葉を遮って、挑戦的な態度で名乗る少年こと、淳隆。
 何かすっげぇ腹立ってきた。
 ……ん?
 ちょっとまて、今……
「撫茅?」
 撫茅 淳隆って、言ったよな? 撫茅って、確かシアの苗字も、撫茅……
「え、あ、は!?」
「何その反応?」
「や、もしかして……」
「そうよ。あたしの弟」
 お、弟!?
 シアの実弟!? マジ!?
 そ、そういやどことなく似てなくもない気が……
「ジュン。こっちはあたしの学友の、黒知 凪嗚。バイトとして助っ人にきてくれたのよ」
「へぇ、バイトだったんだ。それにしちゃあんまり使えそうにないけど。いやいや、姉がいつもお世話になってます」
 ピシッ。
 今あからさまにコイツ嫌味言いやがった。シアの弟ってことで身を引こうと思ったけどダメだ。どうもコイツとは生理的に反りが合いそうにない。向こうもそれを感じ取ってのこの態度なんだろう。
 いいぜ。受けて立ってやる。
 バックで雷が落ちるシチュエーション。火蓋が今切って落とされた。
「ところで、何か用だったの?」
 途端に、シアの介入。一気に場が引き戻される。
 おい、シアさん! そりゃないんじゃないッスか!?
「あ、女将捜してたんだけどさ。あの人掴まらなくて」
 シア弟もすぐに切り替えて対応してるし。もういい。俺はあえて傍観者になっとく。
「女将なら今外出中よ? あたしでいいなら聞いとくけど?」
「は!? いねぇの!? じゃぁ、愛亜(メア)どこ行った!?」
 シア弟が素っ頓狂な声をあげる。その台詞にシアが目を見開いた。つーか、愛亜って何?
「え? 何であの子が?」
「女将に用事があるって出てったっきり帰ってこねぇから、こうして探しにきたわけなんだけどさ。女将が掴まればおのずと愛亜も見つかるだろうと思ってのに……」
「ちょっとちょっとやばいんじゃないの!? あの子絶対迷子になってるわよ!」
「うわヤベェ! まさか泣いてなんかないだろうな!?」
 焦りだす二人。
 待ってくれ。話が全然見えん。解ったことといえば、愛亜ってのが人であるってことくらいだ。
「俺としたことが! やっぱ一人で行かせるんじゃなかった!」
 二度目のシア弟の舌打ち。
「こんのクソ忙しい時にっ。ナオ、あんたも一緒に探して!」
「やー、そりゃ構わんが誰を?」
 って言い終わる前に二人とも走って行くしよ。分からん人物探せってのか?
 何か俺踏んだり蹴ったりって感じなんだけど気のせい? 非常に腹が立つのは錯覚か?
「ちくしょう! えぇい、もうやけくそじゃい! 誰か解らんが探したるわいっ!」
 半ばヤケクソ状態で、地を蹴った。


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