2/マイシスター





 廊下を走り抜けたいのを我慢して、あたしは早足に進む。
 不味い。非常にこれは不味い。
 あの子に何かあれば、料理長の出刃包丁が飛んでくる!
 あたしは想像して身震いしながら、先ほどの会話を回想した。
 まさか弟の淳隆(アツル)が旅館に顔を出すなんて思ってなかった。まぁ、確かにありえないことじゃないけど、何ていうか、定められていたかのようにナオと鉢合わせしてるし。
 これでまた家族を一人知られたことになる。うぅ……何か弱み握られた感じ。
 っていうか、ジュンが女性にあんな態度とるなんて珍しい。まぁ、実際男ではあるんだけど……もしや本能が何かを感じ取っているのか? それだったら、かなり侮れんな、うちの弟。
「あれ? シーちゃん?」
 現実の声に、あたしは咄嗟に思考を止めた。かけられた声に視線を向けると、何だか久しぶりに見るような気がする、千夏の姿があった。心持ちやつれてるようにも見える。
「どうしたの? 切羽詰った顔して」
「あぁ、ちょっと人を捜してるんだけどさ。えっと、肩くらいまでの髪の長さに、いかにもほわわぁぁ〜んとした十五歳くらいの女の子見なかった?」
 あたしの問いに、千夏は首をふる。
「そっか、ありがと」
「うん。何かよく分かんないけど頑張ってね」
 おお、こんな極限まで追い込まれていながらまだ人を気遣うことができるなんて、千夏、あんたやっぱ最高だよ!
「千夏もね」
 微笑んで別れると、あたしはすぐに表情を引き締めて廊下を早足で駆ける。
 料理長の包丁投げだけは御免被りたい。
「ったく、どこ行ったのよ〜」
 気持ちは半泣き状態だ。
「あ、シア!」
 呼ばれて反射的に歩を止める。振り返ると、ナオがいた。
「ナオ。どう? いた?」
「いた? って聞かれてもな。俺、そもそも捜してるのが誰なのかも知らないんだけど」
「あ」
 そういやいってなかったっけ?
「あ、あのね。今捜してるのは……」
「シア! そっちいたか!?」
 説明はあっさりと第三者の介入で遮られる。ジュンが目を血走らせて走りよってきた。うわぁ、メッチャ焦ってるわ、あの子。
「いないわ。その様子じゃそっちも同じみたいね」
「居そうなところは片っ端から見て回ったけど、いねぇよ。どうしよう、マジなんかあったら……っ」
 表情を歪めて、ジュンは唇を噛んだ。あたしはそれに、複雑さを感じる。
「あんたさ、そろそろ……――――――!」
 出かけた言葉が、咄嗟に悲鳴に変わった。突然目の前を走った閃光。隣に居たナオはあまりのできごとにすでにフリーズしていた。
 ジュンが俊敏な動きでその閃光を避け、標的を失ったそれは、真っ直ぐ壁に突き刺さる。
「っ……あぶねぇ」
 壁に突き刺さっているのは、二本の包丁。壁に穴を開けたそれは、深く突き刺さっていた。
「避けたか」
 閃光の後に続いた、低い声。あたしはそれに咄嗟に背筋を伸ばして硬直する。ジュンは避けたナイフを見つめ、声に反応してゆっくりと振り返った。
 そこには、傍らに少女を連れた男性の姿。白の調理服を着こなした彼は、この旅館の料理長だ。見かけは三十代後半といったところ。あくまで見かけは、だけど。
「メア!」
「あ、ジュン君だぁ」
 料理長の傍らにいた少女、メアは笑顔満開でジュンに駆け寄る。弟はあからさまにホッと安堵したように表情が緩くなり、駆けよってきたメアの頭を軽く撫でた。彼女こそが、あたし達の探し人である。
「お前なぁ、どこ行ってたんだよ。心配したんだからな」
「うん? お母さん探してたら道に迷っちゃって、そしたらね……」
「俺が見つけた」
 メアの語尾に続けるように言い、料理長がジュンを睨みつけた。ジュンもそれに答えるように睨み返す。
 一触即発な雰囲気。あぁ、だから厭なのよ……
「常日頃から、お前が愛亜をしっかり見ていろと言っていたはずだ。なのになぜこんな事態が起こる」
「好きでこんなことになったんじゃねぇよ。俺だってついて行こうと思ってたんだ。だけどメアが一人で行けるっていうから! 個人の意見も尊重しないといけねぇだろ!」
「そこが甘いと言うんだ、この若僧が!」
 再び包丁が飛ぶ。毎回思うんだけど、どこにそんなもの隠し持ってるんですか。っていうか、何でそんな簡単に真っ直ぐ投げられるわけ?
「っ……」
「ジュン君っ、血が……っ」
 メアの悲鳴が上がり、あたしはハッとする。
 不意に投げられた包丁からメアを庇ったはいいが、自分が避けるのには間に合わず、微かにジュンの腕をかすめたらしい。じんわりと血が滲む。
 あぁ、例の如く修羅場だ。修羅場だよ。
「ってめぇ! 今本気で投げやがっただろ!」
「愛亜を庇ったことは褒めてやろう。だが、あれも避けられないとはまだまだだな」
「アホ抜かせ畜生! 息子に刃物投げる親がどこにいんだよ!! 殺す気かっ。っていうか、マジで捕まってもおかしくないこと平然と実行すんな!」
「は!?」
 今の事態にやっと意識を取り戻したナオが、ジュンの台詞に叫び声をあげた。その場が一斉に静寂に包まれ、皆の視線がナオに集まる。
「息子? お父さん? ってことは……」
 ナオの顔が青ざめる。確かジュンの時もこんな反応だったよなぁ。あたしは溜息をついて、仕方なく説明をつけたした。
「……彼はこの旅館の料理長を勤めてて、名前は撫茅 直隆(ナガヤ スグル)。あたし達の……父親よ」
 いきなりジュンに向かって包丁を投げつけた男こそ、あの鬼神女将の夫であり、あたし達の実父である。
「ち、父親!?」
「そう。で、こっちのが」
 あたしはジュンの隣にいる少女に視線を移す。目が合うと、彼女はニッコリ笑って頷き、
「ジュン君とシアちゃんの妹の愛亜(メア)です」
 名乗った。
「い、妹!?」
 完全にパニックに陥っているナオは、頭を抱えて必死に今の状況を整理しようとしている。うーん、何だか可哀想になってきたなぁ。
「いい、ナオ? 今から簡単に説明してあげるから、よーく聞いてなさい」
「う、うん」
「大女将が母親で、その夫がここにいる料理長。つまりあたし達の父親。で、大女将と料理長の間にできた子どもがあたしと、ジュンとメア。あたしの弟がジュンで、妹がメア。ジュンとメアは双子の兄妹で、兄がジュン。妹がメア。解った?」
 簡単完結に説明し終えると、ナオの目がすでに点になっている。
「ナオ?」
「……双子?」
 ガシッと肩を掴まれた。あたしはナオのあまりの凝視に目を丸くする。
「う、うん。そうだけど?」
「母親は鬼神で、父親は包丁投げの料理長? で、お前の兄妹は双子か?」
 そう改めて現実を付きつけられると耳が痛いわねぇ。だから厭だったんだよ、家族に合わせるの!
「お前の家族は奇人集団か!?」
「お前にだけはいわれたくないわ!」
 この女装男が!
 咄嗟に突っこんだあたしの肘鉄が、キレイに奴の鳩尾に決まった。


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