1/ありえない





 何でこんなことに……
 あたしは正直泣きたい気分だった。
 地獄の労働から帰ってきてから休む間もなく熱で倒れたナオを看病した後、先輩達の突然の訪問で度肝を抜かれてすぐにそのまま強制連行され、その先で待っていたものが――――――
「シアちゃん、手が止まってる!」
「え? あ、はいっ。ごめんなさい」
 手元には、一枚の布。それも巨大なサイズの。
 そしてその布に刺繍を施すあたし達。
 実は近々ある刺繍展示会に出品するための作品を作っているのだ。それだけ聞くとたいしたことないように聞こえるだろうけど、出品受付の締め切りが展示会の一週間前までという規約があり、しかも展示会は九月入ってすぐだったりする。今はもう八月も中旬を迎えている頃だから、残り二週間もない。その短い時間で窓二枚分の大きさの布に刺繍を完成させなければいけない。
 ちなみに言っておく。刺繍のデザインは風景だ。それもめちゃくちゃ細かい。
 断言しよう。二週間でたったの三人でこんなのできっこない。千夏は橘 壱と旅行中で捕まらないし、ナオは戦力にならない。もともとあたしに付き合って入部しただけであって、裁縫はからっきしなのだ。
 つまりこの課題を消化できるのは残った先輩二人とあたしの三人だけ。
 今出来上がったのは八分の一にも満たない。
「うぅ……無理、こんなの絶対無理ですよ」
「シアちゃん、諦めないで? 頑張ってやり遂げましょう」
「梢先輩……」
 慰めるように声をかけてくれるプリンセスに、あたしは半泣き状態で強く頷いて見せた。
「このペースでいくと徹夜も考えないとマズイかもなぁ」
「っていうか、何でもっと早くから始めなかったんですか」
 多少は手をつけていたみたいだけれど、それでも二人でこの広さの物をやるとなるとなかなか進まないのはわかる。もちろん毎日できるわけじゃないだろうから、決められた時間内にこれだけできていれば進んでいるほうなのかもしれないけど。
「夏休みの前半を丸々使えば間に合うはずだったんだけど、まさか三人ともつかまらないなんて予想してなかったからねぇ」
 う……原因はあたし達にもありなわけか。そうだよなぁ、あたし自身まさか実家に帰るなんて思ってなかったし。
「それより、ナオの奴遅いなぁ。さっきメール入れといたからそろそろ来るはずなのに」
 啓先輩がポツリと呟く。先輩達によって学校の部室に連行された後、お菓子を買いに出て行ったナオにメールで連絡を入れておいたのだが、一向に現れる気配がない。
 そろそろ着いてもいい頃なのに。
「でも、ナオがきても戦力になりませんよ? あいつ裁縫できないですから」
「あら、裁縫ができなくても雑用はできるわ」
 おぉ、確かに。周りのことやってくれるならあたし達も作業に集中できるし、効率もいい。
 まぁ、ナオだからあんまり期待できないけど。
「仕方ない。電話してみようか」
 啓先輩が手を止め、ポケットから携帯を取り出す。ボタンをプッシュしようとしたところで、先輩の携帯が突如なり始めた。
 一瞬それにビクッとし、先輩は慌てて電話に出る。
「もしもし?」
『あ、啓ちゃん!? 携帯持っていくの忘れて今メール見たんだけど、帰ったら誰もいないし、しかも学校にいるってどういうことだよ!?』
 少し離れたあたしのところにまで届くほどの声で話すナオに内心呆れつつも、あの様子じゃ相当慌てていることが伺える。
 まぁ、買い物から帰ってみれば誰もいないって状況に、驚かずにはいられないよね。
「あー、うん。とりあえず学校の部室までおいで。きてからゆっくり説明するから」
『シアもそこにいんの!?』
「うん、ちゃんといるよ」
『解った。即効で行くから』
 ブチッと電話が切られる。何であたしがいることまでわざわざ確認したんだろう?
「誰もいないというより、シアちゃんがいなかったことに焦っていたのかもしれないわね。ナオちゃんは」
「へ?」
 相変わらず微笑を浮かべた梢先輩が心持ち弾んだ声で呟いた。あたしはその台詞に目を剥く。
「まさか。何でそんなことで?」
 正直先輩の言葉の意味が解らなかった。あたし達全員ではなく、あたしがいなかったことに焦るその理由が。あたしだったら、全員の姿がないことに驚く。
「あら。いつも隣にいる人の姿が急に消えたら、誰だって焦ると思わない?」
「それはそうですけど、この場合は先輩達も含めてじゃないですか?」
「それもあるでしょうけど、ナオちゃんにとってシアちゃんは特別みたいだから。やっぱり一番に貴女のことを気にかけてしまうのよ」
 さらりと言ってのけた先輩の言葉にドキリとする。何だかその口調はまるでナオの秘密を知っているかのようで。
 まさかメアや母のような特殊能力の持ち主がこんな身近にいるはずもないだろうが、ついつい警戒してしまう。何気に梢先輩は聡いところがあるから侮れないのだ。
「自己最高新記録――ッ!!」
「!!」
 勢いよく開け放たれた扉に続いた、威勢のいい声。考え込んでいただけに、思わず肩が揺れた。
「ナオ……っ」
 思わず講義してやろうと視線を向けたが、一瞬目が合ってすぐに視線をはずされた。
 あ、あれ?
 何か、今意図的に無視されたような……
「さぁ、説明してもらおうかっ。啓ちゃん」
 走ってきたのだろう、まだ息の荒いナオが、構わず啓先輩に食って掛かる。その様子を見ながら、あたしは急に痛み出した胸を押さえて唇を噛んだ。
 何、今の態度。
 目が合ったくせに、なんで無視で無反応なわけ?
 何でよ……
 ワケ解んない。
 そんなナオの態度に傷ついてるあたし自身も解んない。
 電話ではあたしの所在を気にしてた風だったのに、何なのその態度。もしかしてまださっきのこと怒ってんの?
 それともまさか聞こえなかったなんて言うつもり?
 嘘だ。絶対目が合った。
「ちゃんと説明するからとりあえず落ち着いて。お茶でも飲む?」
「あ、うん。じゃ、もらう」
 やっと呼吸が整ったらしいナオは、出された麦茶をグイッと一気飲みした。
 先輩達はそんなナオを見守り、飲み終えたコップをテーブルに置いたところで啓先輩が説明を開始する。それに耳を傾けつつ、あたしはナオから視線を外した。
 まるで怒りをぶつけるように、作品の作業に戻る。
 あたし、馬鹿みたいだ。
 梢先輩の言葉に、少なからず喜んでいた自分がいた。他人から見てもナオにとってあたしが特別って解るほどなんだって、舞い上がってたのかもしれない。
 でも、だったらあの態度は何?
 やっぱり、違うよ先輩。
 ナオにとってあたしは特別なんかじゃない。あいつが女装しているのを唯一知ってる存在だから、そういう風に見えるだけ。
 だって、ちょっと抱きついたくらいで怒るなんて、あたしのこと好きだって言ってたけど、そんな態度とられたら信じられないし。ただ単に奴がそう言っているだけかもしれない。
 例えばそう、理由をごまかすための口実で。
 そうだよ。だってあたし、結局理由を知らないんだ。ナオが女装してまでこの学校に通ってる理由を。
 それって、信用されてないってことじゃない?
 何調子乗ってたんだろ、あたし。

 ホント、馬鹿みたい。


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