4/ユメ



 堕ちる
 堕ちている
 あぁ、また、この夢
 あたしは、堕ちている
 どこへ向かうの?
 あたしは……


『……助けてくれ』


 誰かの声がする
 広がる真紅
 視界が、歪んだ……――――





「っ……!」
 目を開けると、朝日が目に沁みた。あたしはしばし放心する。
 また、あの夢。
 最近同じ夢を、毎日のように見る。
 あたしはゆっくりと上体を起こした。べっとりと、嫌な汗をかいている。
 肺に溜まった息を吐き出した。
『キュゥ?』
 あたしの上で寝ていたひなたが、不思議そうに首を傾げながらあたしを見上げる。あたしは微苦笑して、ひなたを撫でながら頭を振った。
 厭なものを振り払うように。
『まあさ、まあさっ! なぁっ、見てくれよこれ』
 丁度その時、バタバタと足音を立てながら、ナインがノックもなしに部屋に入ってきた。因みに奴が現れてからというもの、あたしにプライバシーなるものは無い。
 あたしは頭を抱えながら、わざと盛大に溜息をついた。
「……入るときは!?」
『ノック』
「今した?」
『……』
 そこで考えないでよ。考えなくても解るでしょ!?
 してないでしょ!?
『してない』
「はい。もう一回やり直し!」
 子どもじゃないんだから。一回いったら覚えてほしい。
 ただでさえ、夢見が悪くて朝からすっきりしないのに。
『ちぇっ。面倒だな』
 面倒なのはこっちだ馬鹿者。
 いいながらも、ちゃんと実行するようになったのは進歩だと思う。部屋の外にでて、ノックする音が響く。あたしはそれに頷いて、返事を返した。
「どうぞ」
『はい、ちょいとおじゃまするよー』
 どこで習ったの、そんな言い方……あたしは内心呆れた。
「で? 朝から何の用?」
『そうそう! これだよ、これ!』
 あたしの問いに、ナインは瞳を輝かせながら掌の上にあるそれをあたしにつき出す。
 何?
「……目玉焼き?」
 ナインがあたしに見せたものは、お皿に盛られた、決してお世辞にも美味しそうとは言えない、不恰好な目玉焼きだった。黄身がつぶれて、回りも少し焦げている。
 ていうか、何でここで目玉焼き?
『食ってみろよ』
「へ?」
 ナインはにこやかに笑いながら、フォークを差し出す。あたしは躊躇いがちにそれを受け取り、一口、それを口に運んだ。
 もぐもぐもぐ……うん。まぁ、目玉焼きだよ。普通に。
『美味い?』
「え? あ、うん。食べられるけど?」
 そういえば、ナインて料理初めてなんじゃない? それにしては、上出来な方ではないだろうか。
「でも何で突然料理なんか?」
『いや、前々からまあさがやってるの見て面白そうだなー、と思ってたんだよな』
 ナインは悪戯っぽい笑みを浮かべる。良いんだか悪いんだか、確かに最近ナインは好奇心旺盛だった。 面白そうなことを見つけると何でもやりたがるし、何より楽しそうにやる。やってることはメチャクチャだけど、何でも面白くしてしまうところは、奴のいい所だとは思う。興味のないことには露ほども自ら取り組もうとしないところは、ちょっといただけないけど。
『それにまあさ、最近調子よくないみたいだし』
「え?」
 ナインの台詞に、あたしは思わず目を見開いた。
『朝飯くらい、俺にもできるかなーっと思ってさ』
 まさか、あたしに気を使ってくれたとか……? 心配してくれてたの?
「ナイン……」
 じぃーんと、胸の辺りが温かくなる。ナインってば……ちゃんとそういう配慮ができるようになってたのね。ホロリ。あたしゃ感動したよ。
 まさか、この悪魔からこんな台詞が聞けるようになるとは。
 これぞ頑張っていた甲斐があるというもの。
「ありがとう、ナイン。じゃぁ、早速朝ご飯にしようか」
『おう。もう出来上がってんだっ。俺腹減ったよ』
 ナインが嬉しそうに笑って、踵を返す。あたしもベッドから出て、パジャマのままダイニングに直行した。ひなたもあたしの周りを浮遊しながらついてくる。
 あぁ、今日はいい日だわ。
 ナインったら、ちゃんと改心する気になってきたのね。
 あたしは内心感激した。この調子でいけば、きっと天使に改心できる日も夢じゃないかもしれない!
 ダイニングの扉を開ける。

―――――――…………

「は?」
 あたしはその途端、凍りついた。
 というより、絶句した。
 わなわなと拳を握る。いいようもない怒りがこみ上げてきた。
『何やってんだ、まあさ? 早く席につけよ』
「こ……」
 席につけ、だぁ?
 この惨状で、席につけと?
 一瞬ここがキッチンであるということが認識できなかったくらいだ。あたしは危うく気が振れそうになった。明らかに嫌がらせとしか思えない。
 そう。そうなのだ。何をどうやったか知らないが、キッチンが大変なことになっている。
 そりゃもう、一言では言い表せないような、惨劇。ここで何があったの? あの至るとこにある焦げ跡は何!?
 これの後片付けは誰がするの?
 ていうか、あの目玉焼き、どうやって作ったの……うえ、想像したら吐き気が……
 嫌がらせでしょ? 明らかに確信犯でしょ!?
「……っの、大馬鹿者があぁぁ――――――ッ!!」
 あたしのさっきの感動を返せ! 今すぐ返してっ!
 ナインのバカぁぁッ!
『うおっ!?』
 ナインはあたしの怒声にビクリと肩を振るわせた。何で怒鳴られたか解らないという風に、首を傾げながら。
 その態度が、余計あたしを腹立たせる。
『何で怒ってんだよ?』
 何でじゃない!
 やっぱりコイツに配慮なんかない! 前言撤回だっ!
 あたしはその日一日、ナインとは口を聞かなかった。



 その時のあたしは、知る由もなかった。
 着実に近づいている、魔の手には……―――――





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