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8/ヒナタ



 研ぎ澄ませ
 心を一つに
 我と同化せよ
 主の望むままに
 我の力は主の力
 さぁ、望め
 我に形を与えたまえ




 光の中に、ひなたが浮かぶ。
 学校にいる時は出てきちゃダメだって、言っておいたのに……ぼんやりとそんなことを思った矢先に、ひなたの姿がぐにゃりと歪んだ。あたしはそれに息を詰める。
 形の定まらない、抽象的な姿。あえていうなら、絵の具を何色か水に溶かし混ぜたような……曖昧で定まらない感じに近い。それが、弧を描き、あたしの腕にまとわりつく。
 不思議と恐怖心はなかった。それが、ひなただと解っているからなのか……


―――――さぁ、形に。強く望め


 頭の中に響く、声。
 望む形。
 この状況を回避するための、それ。
 あたしは必死に形を思い浮かべ、想像する。強く、望む。
 ひなたの姿が序々に鮮明に形どられ、形を成したそれを、あたしは固く握った。その瞬間、光が弾け、視界が開ける。
「こ……のっ」
 柄を両手で握りなおし、鎖を断ち切る。嘘みたいに綺麗に切断されたそれは、うねるようにその場を這いながら、やがて消えた。あたしの手にあるのは、一本のナイフ。なんていうか、見かけは果物ナイフのような何とも頼りないものだったけど、それに反比例して切れ味はどうやら抜群のようだ。
 あたしは自分の身体に巻きついた鎖を、次々と断ち切っていく。ナイフが閃光を帯びて、弧をかいた。鋭利に煌く刃が、最後の一本を砕く。
 あたしは鎖から逃れると、壁に手をついて立ち上がり、前方で呆気に取られていたフェアウェルを見据えた。体中が悲鳴を上げている。でも、その痛みを乗り越えるほどの、今までに感じたことのない高揚感があたしを支配していた。
『具現化っ……だと?』
 フェアウェルが息を呑んだのが解った。
『ひなたか……』
 続いてナインの擦れるような声。あたしはそれにハッとして、よろめきながらもナインの傍にかけよった。助けなくては。ナインは今だ鎖に絡め取られている。
「今、助けるから」
 言うより早く、あたしはナイフを鎖目掛けて振り下ろす。解放されたナインは、ゆっくりと息を吐き出し、立ち上がった。あたしの頭を撫でるように軽く叩く。それだけなのに、あたしは酷く安堵してしまった。
『どうやら、形勢逆転だな』
『まだ終わってはいないッ』
 ナインの笑みに逆上したフェアウェルが、言葉と同時に跳躍した。縮まる距離。
 彼の周りを浮遊する、濁った紅い靄のようなものが視界に映り、あたしは息を呑んだ。びりびりと身体を押しつぶそうとする圧迫感。
 最初に感じた不明瞭さが増した。酷く、不確かな存在。曖昧で、不明確で、漠然とした存在。これほどの威圧感を放ちながら、その存在は曖昧模糊。
 彼の纏うあの濁った紅い靄も気になるけれど、あたしはそれよりも酷い吐き気に苦しめられていた。倒れる前に感じた、あのこみ上げるような気持ちの悪さ。咄嗟に口元を押さえ、おれそうになる膝をどうにか押さえた。
『純粋な魔力保持者でなければ、さぞ苦しいだろうな、今の俺はっ!』
 高らかな声が耳をつんざく。あたしの頭上目掛けて、フェアウェルが降下してくる。
 咄嗟にナイフを握るが、対応が間に合わない。思わず目をきつく閉じる。
『まあさっ!』
 ナインの叫びに続いて僅かな衝撃。それに目を開けると、あたしを抱えたナインが攻撃を避けるように床に飛びのいていた。先ほどまであたしがいた場所に、フェアウェルが立っている。そこを中心に円を作るように、床がへこんでいた。
 紅い殺気を撒き散らしたフェアウェルの後ろ姿が、ゆっくりと振り返り、やがて視線がぶつかる。
『無事か!? まあさっ』
「……うん」
 あたしはフェアウェルから視線が逸らせないまま、生返事を返す。ナインは即座に立ち上がり、腕を引っ張ってあたしも立たせてくれた。
『逃したか……』
『まあさ! 何ボケッとしてんだっ! 早くひなたを!』
 ナインの一喝に、あたしは我にかえる。そうだ。ボサッとしてる場合じゃない。あたしは、手の中のナイフに意識を集中させた。それが、ぐにゃりと歪む。新しく形を変えるように。
『次は逃さんっ!』
 フェアウェルが駆けた。あたしはそれを目で追い、腕を振るう。
「宝永 まあさ、十七歳。今生変わらぬあたしのモットーは……」
 腕に絡みつき、耳に届く金属音。あたしは吐き気を押さえ込むように、無理矢理な笑みを浮かべた。
「やられたらやり返すっ! たああぁぁぁああっッ!!」
 ナイフから姿を変えた鎖を、あたしは渾身の力を振り絞って振り投げる。一本だった鎖が、宙をすべる際に二本に分かれ、一本を避けたフェアウェル目掛けてもう一本が絡みついた。
『何……っ!?』
 避けられたもう一本も、遅れを取り戻すかのように、彼の首に絡まる。あたしはそのまま鎖を下降させ、奴を地面に叩きつけた。衝撃は軽いはずだ。さすがのあたしも、そこまで非道にはなれないからね。
『さぁてと。まあさ、コイツどうする?』
 身動きがとれず、床に這いつくばっているフェアウェルを見下ろしながら、表情を一転させたナインが楽しそうにあたしを見た。
『くっ……殺せ!』
 屈辱なのだろう。フェアウェルが怒号する。あたしはその台詞にピクリと方眉を吊り上げた。そのまましゃがみ、フェアウェルの胸倉を掴んで上体を起こさせると、奴の頬を平手打ちしてやった。パシン、と乾いた音が響く。
『まあさ……?』
 ナインの驚いた声。あたしは真っ直ぐにフェアウェルを睨みつけた。目頭が熱くなる。
 何でそんな簡単に、殺せなんて台詞が言えるの?
「あたしは絶対殺さないし、誰にも死んで欲しくない。例えそれが敵でもッ」
『……同情か? 情けか? とんだ矛盾だな……俺を生かすというのなら、お前の魔力を素直に渡せばすむことだ』
 僅かに息を呑み、それでも抵抗するフェアウェルに、あたしは言葉をなくす。
 そうかもしれない。確かにそうなのかもしれない。でも……
「それは、できない。あんたが何のためにナインの魔力がほしいのかあたしは知らないし、聞いたって教えてくれないんでしょ? だったら、あたしはナインのパートナーだから、ナインと敵対してるあんたにこの魔力はあげられない」
『ふっ……悪魔が悪魔なら、そのパートナーの人間も人間だ』
 言いながら、フェアウェルはあたしの後ろに立つナインを見上げ、冷笑した。あたしも釣られるようにナインを見上げる。
 フェアウェルを睨み、見下ろすその視線は、先ほどまでのもとは全く異なった、酷く冷ややかなものだった。
 対峙する二人。今だかつて見たことのないナインの表情に、ちくりと胸が疼いた。掴んでいた腕の力が緩む。その一瞬の油断が、フェアウェルに鎖を断ち切らせてしまった。
 あたしは後悔する。すぐさまナインの舌打ちが響いた。
「っ……!」
 また襲われる……そう思ってあたしは咄嗟に目を瞑った。


『安易に敵につかまるような真似はするなっ』


 ナインの言葉が脳裏をよぎる。ホントにその通りだ。敵前で油断するなんて。
「……?」
 いつまで経っても衝撃がこない。あたしは不思議に思って恐る恐る瞼を上げた。フェアウェルは、あたしの目の前で何をするでもなく立ちつくしている。襲ってくる気配はない。
 ただ、複雑な表情を織り交ぜながら、瞳が動揺の色を浮かべていた。
『今回は引こう……俺はそこまで礼儀を知らないわけじゃないからな』
 フェアウェルは早口に告げ、あたしに背を向ける。どこか照れにも似た表情に、あたしは唖然とした。まさか、さっき殺さないって言ったことへの、礼儀?
 借りは返すってこと?
 本意はわかんないけど、もしそうだとすると、なんだか悪い奴とは思えなかった。思わず笑みがこぼれる。
『いいかっ。今回だけだ。次は必ずっ……―――――!?』
 荒く捲し立てるように紡いでいた台詞が、途中で途切れた。間近で窓ガラスが割れる音。
 あたしは咄嗟にフェアウェルに視線を向ける。
 何が起きたのか理解するために。
「っ……え」
 一瞬だった。あたしが彼の姿を捉えたのと、それが彼の胸部に直撃したのは。
『まさか……あいつ、が……っ』
 膝をおり、フェアウェルが胸元を押さえながら喘ぐ。先の尖った、矢のような細棒が彼の身体を貫いていた。
「ぃ……あっ」
 それは、絶望的な光景。
 悲鳴が喉に張り付いた。
『まあさっ』
 身体が傾ぐ。それを支えたのは、ナイン。
 何かが床を滴る。
 広がった、真紅。
 夢の光景と、重なった。
『……手遅れ、か』
 唯一違うのは、彼の台詞。
 フェアウェルはそのまま床に倒れ、瞬間、その姿は跡形もなく消えた。残ったのは、真っ赤な、それでいて濁ったような血色の球体。
 それも、砕けるように散り、消えた……


 意識が、暗転した。





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