9/ダテンシ



 魂の種類は三つ
 白、黒、そして、透明
 けれど、そのどれにも部類されない魂の存在がある
 完璧なる紛い物
 赤く血塗られた、不安定で不明瞭な、魂だった……




 遠慮がちに肩に置かれた手に気づいて、あたしは沈みかけた意識を取り戻す。視線を上げると、複雑な表情を浮かべたナインの顔があった。
『……立てるか?』
 差し伸べられた掌。あたしはしばしそれを眺め、やがて自分に向けられたものだと理解すると、その手を取る。握り返された手が、冷たい。ナインはそのままあたしの腕を力任せに引っ張り、立たせようとしたが、それは叶わなかった。
 足が震えて、あたしが上手く立ち上がれなかったからだ。すぐにバランスを崩し、再び床にへたり込む。
 全身が震えていた。
 貫かれた時のフェアウェルの顔が、脳裏に焼きついてはなれない。あたしは掌で顔を覆った。涙がでそうになって、必死にそれを堪える。
 なんで、誰があんなことしたの? どうして……
「ねぇ……フェアウェル、どうなったの?」
 はっきり言ったつもりでも、声は震えて擦れていた。自分でも上手く聞き取れないくらいに。
『あいつは……消滅した』
 それでもナインには聞き取れたらしく、低い声がかえってくる。躊躇いがちに告げられた事実に、あたしは頭を振った。
『まあさ?』
「なんでっ? 消滅って、なんで……っ!」
 言葉が詰まる。胸を突かれたように息苦しい。
『何か勘違いしてるみたいだから一つ言っておくけどな。命令に失敗すれば、排除される。まあさが見逃したところで、結局アイツに残されたのは破滅のみ。そんなもんなんだよ』
 命令? 失敗すれば、排除? そんなもの?
『最期に、明らかに仲間がいるようないい方をしてただろ。あいつは、誰かに命令されて動いてたってことだ。失敗したから、消された。それだけのことだろ』
「それだけ……?」
 何が、それだけなの? 殺されたことが? いらないから消されたことが?
 たったそれだけのことだと、割り切れるって?
「冗談でしょ?」
 あたしは顔を上げる。ナインを凝視して、睨みつけた。
「何がそれだけなの? 目の前であんなっ……何でそんな風に平然としてられるの!?」
『あいつは敵だろ。俺はお前の反応の方が理解できない。あと何人いるかも解らない敵が一人減ったんだぞ? それだけ、身の危険が減ったってことだ。何で喜ばないんだよ』
「喜ぶ!? 敵だろうが味方だろうが、目の前で消えていった命に対して笑い飛ばせっていうの? それこそどうかしてる!」
 だって、あたし見ちゃったから。あの照れたような、フェアウェルの顔。礼儀と言いながら、止めをささなかったあたしに対しての感謝が見え隠れしてた、あの横顔を。
 だから余計に、この現実が痛い。なんにも知らなければ、あの表情を見なければ、きっとここまで苦しくなかった。
「ねぇ、彼はなんなの? 何であたし達を狙うの!」
 どうして魔力を欲するのか。完全な悪魔ではない彼は、では一体なんなのか。
『……あいつは、意図的に作られた、偽造悪魔。俺達は、堕天使と呼んでる』
 偽造悪魔……? 堕天使?
『あいつ、始めて会った時と気配が違ってただろう』
 ナインがあたしの傍に膝をついて目線を合わせた。やけに真摯な表情で見つめられ、あたしはそれに言葉を詰まらせる。
『あいつが消えた後に、紅い球体が弾けたのも見たな?』
「うん……」
『あれが、フェアウェルの魂。この世界には、白と黒、そして透明の魂しか存在しない。だけど、あいつのは血色のような濁った紅だった。あれは、強い力を持った者が、己の血と魂を少し削って作り出した、紛い物。狂った力の果てに作り出された、虚像。それが、堕天使……フェアウェルなんだ』
 紛い物。虚像。勝手に作り出されて、勝手に消された?
「そんな……そんなのって……ッ!」
 あんまりじゃない。酷すぎるよ……
『確かに偽造悪魔なんて、悪趣味であはるけどな』
 ナインが顔を顰めてぼやく。そんなの、悪趣味の一言で片付けられることじゃない。非道すぎる。
『俺も実際、力を解放した堕天使の気配に中てられたのは初めてだったんだ。普段は悪魔の気配を纏い、堕天使である乱れた気配を押し殺してるからな。それを、あいつは自ら解放し、多分、まあさの中にある魔力に何らかの影響を与えたんだろ』
「じゃぁ、急に気分が悪くなったり、倒れたりしたのはそのせい?」
『そうだ。厭な気配や視線というのも、おそらくフェアウェルのそれだ。まあさが倒れたのは、魔力に作用されたその気配に耐えられなかったせいだろう。 もともと自分のものじゃない力を取り込んだだけでも不安定な状態なのに、それに揺さぶりをかけられて、限界に達したんだ』
 そういえば、フェアウェルもそんなこと言ってた気がする。純粋な魔力保持者じゃないあたしには、あの気配は辛いだろうと。
『それと、俺達を狙う理由だけど……それも初めに言ったように』
 何かを思考するようなナインの表情に、あたしは不覚にも見惚れてしまっていた。薄い紫色の瞳が揺れる。
『俺の魔力を狙ってる理由は、はっきりとは解らない。しかも改封魔になってまで狙われるなんてことは、余計にな』
「え?」
 改封魔になってまで狙われる? それって……
「以前から追い回されてたってこと?」
『……まぁな』
 じゃぁ、ナインが改封魔になったのって、追いまわれるのが厭だったから、とか? それなのに、逃れることができなかった……
「なんで?」
『あ?』
「何でナインなの? どうして狙われるのがナインだったの?」
 何のためにナインの魔力を得ようとするのか……最初にナインが言ってたように、悪魔は改封魔を襲わないのなら、改封魔になってまでナインを狙う理由は、何?
 やっぱり魔力の強さだろうか。確かにナインは自分のこと強いっていってた。あたしが魔我鎖の称号を得るくらいに。でもそれなら、ナインの他にもいたんじゃないの? それこそ、改封魔じゃなくて、未だ現役の悪魔が。
 その中で、どうしてナインが狙われたんだろう。
『それは、俺が……』
 言いかけて、ナインは言葉を濁した。言いづらそうにしているナインを、じっと見つめる。あたしの真っ直ぐな視線に気づいて、ナインは観念したように肩をすくめると、口を割った。
『俺が、魔伽……だったからだ』
「マカ?」
『悪魔の最高位。悪魔の中で最強の魔力を有する者に与えられる称号。それが、マカ』
 あたしはそれに、唖然とする。どうりで自分のこと強い強いって主張するはずだ。フェアウェルだってそれなりに強い悪魔だった。純粋な悪魔じゃないけど。
 そんな中での、最強って……
『マカの称号を得たのは、俺だけだったからな。だから、俺が狙われたんだろ』
 最高の魔力を有するマカ、ナイン。何らかの理由でその膨大なまでの魔力を欲する奴がいて、だから必然的にナインが狙われた……
「……ごめん」
『は?』
 あたしの言葉に、ナインが素っ頓狂な声を上げる。いきなり何を、と解せない表情を浮かべて。そんなナインを見つめながら、あたしは自分の酷薄さを呪った。
 知らなかった。
 改封魔になる前から追い回されてたなんて。よくよく考えれば、フェアウェルと面識があったみたいだし、最初に会った時もそんな会話をしていた気がする。
 馬鹿だ、あたし。そんなことにも気づかないで、今までやる気がないとか酷いこと、いっぱい言った……
 こんな戦いをずっと繰り返して、たくさん傷ついてきたはずのナインに向かって。
「ごめん、なさい……」
『ちょっ、ちょっと待て。何でいきな――――っ!?』
 ナインが息を呑んだ。不自然に言葉がとまって、あたしは首を傾げる。
 ナインの見開かれた目。
『おま……何で泣くんだよ!?』
「へ?」
 泣く?
 指摘されて、あたしは始めて自分が泣いてることに気づいた。
 嘘。今まで泣いたことなんて、殆どなかったのに。どうしよう、意識しちゃったら余計とまんない。
 色んな思いが入り混じって、色んなことがありすぎて……たがが外れたように溢れてくる。
『お、俺か? 俺のせいか? あー、えっと、言いすぎたよな? あ、それとも俺なんか、気に触るようなこと言ったとか? 全然身に覚えねぇ……じゃなくて、その、悪かったよっ』
 違う。何でナインが謝るの。
 悪くない。ナインは悪くないのに。ダメだ、無理矢理止めようと思っても、逆効果にしかならない。
 とめどなく流れていく雫が、不規則に床に落ちていく。
『な、泣くなよ。まあさ』
 動揺して上ずった声。かなり焦ってるらしいナインは、どう反応すればいいのか解らないらしく、かなり落ち着きなくそわそわとしていた。
 ごめん。あたしもこれ、止めたいんだけど、引っ込んでくれいない。普段泣かないから、止め方が分からなくて。
「っ……」
 あたしは俯いて、声を出さないように必死でかみ殺す。
『だぁっー! もうワケわかんねぇッ!!』
 ナインの怒声が響き、それと同時に景色が揺れる。一瞬何が起こったのかわからず、あたしは驚いた勢いで涙が引っ込んでしまった。
「え?」
 自分がナインの腕の中にいるということを把握するまでに、いくらかかかった。抱きしめられていると理解して、急速にあたしの心臓が脈を打ち始める。
『ったく。何で俺が……』
 ぶつぶつと文句を零しながらも、宥めるようにあたしの頭を撫で、背中をさすってくれる。それが酷く安心できて、止まったはずの涙がじわりとナインのシャツに染み込んだ。


 今瞳を閉じても、きっと、怖い夢は見ないだろう。





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