3/ライヴァル



「……で、こんなに不機嫌なわけね」
 納得した風にナルちゃんは頷いて、肩を竦めた。
 あの悪魔が去ってから数時間。家に帰ってきてもナインの機嫌はなおらず、寧ろ悪化しているように思える。
 その不機嫌さの原因を、今し方家に来たナルちゃんに説明していたのだ。
「でもさ、その悪魔が敵ってことはあり得ないの?」
「へ?」
「ほら、堕天使? あいつの仲間とか」
 あぁ、そういえば、ナインが言うには仲間がいるとかいないとか。そういう可能性もあるわけか。
『あんな雑魚、俺の魔力を奪うには弱すぎる。あり得ない』
 しかしあたしが悩む間もなく、ナインが即答する。断言だ。
「よっぽど悔しかったのね、彼。やるわねぇ、その悪魔。あのナインをあそこまで悔しがらせるなんて」
 ナインの反応を愉快そうに傍観しながら、ナルちゃんがポツリと呟く。あたしもそれには頷きを返した。
「やっぱりそう思う? なかなかに見物だったよ」
「あー、何でそんなおいしい場面にあたしはいなかったのかしら」
 ナルちゃんが口惜しそうに呟いた。
『そこっ、好き勝手言ってんじゃねぇ! 俺は別に、悔しくなんかっ』
 会話を聞いていたナインが怒号する。いやぁ、今の状態で何言ったっていいわけにしか聞こえないってば。
『お前ら……その目は信じてないな!?』
「まぁまぁ、ナイン。今日はあんたの好きなもの作ってあげるからさ。機嫌直しなよ、ね?」
 あたしはダメもとで下手に出てみる。
「ね、何が食べたい? ほらほら、早く言わないと適当に決めちゃうよ?」
 一向に機嫌は直らず、拗ねまくっているナインは、それでもあたしの言葉に反応した。しばし逡巡してから、不機嫌そのままで口を開く。
『……アイス』
「は? アイス? それは夕飯にはならないでしょ」
『今はアイスな気分なんだ。アイスが食いたい。暑いしこの疲れきった脳には糖分が必要だ』
 何をわけの解らん御託を……人が下手にでりゃつけあがりやがってッ。
 あたしは怒鳴りたいのを我慢して、必死に笑みを浮かべるが、おそらく引きつっていてまともな笑顔にはなってないだろう。
「アイスなら冷凍庫にあるでしょ?」
『もうない。昨日全部食った』
「はぁ!? 昨日って……買ったの一昨日でしょ!? 一日で食べちゃったの!?」
 これだから家のエンゲル係数上がりっぱなしなんだよ。勘弁してよ、家計だって苦しいんだから!
『アイス。まあさ、アイスが食いたい。何でも作ってくれるんだろ?』
「へ!? 買ってきたのじゃダメなの!?」
『まあさの手作りのが食いたい。あーぁ、俺今日スゲェ酷いことあの悪魔に言われて傷ついたんだよなぁ……まあさの手作りアイス食ったら立ち直れそうな気がするんだけどなー』
 くっ……この悪魔ッ! わざと言ってやがる! つーか、今のあんたのどこが傷ついてるってぇのよ!?
 思いながら、あたしはグッと手を握る。ここで怒鳴ったら、いつまで経ってもナインの機嫌は直らない。それどころかさらに悪化する。そうなれば、きっと手がつけられない。
 耐えろ、耐えるんだ、あたしっ。
「……解ったわよ。少し時間かかるけど」
『さっすが俺のまあさっ』
 あたしはあんたのものじゃない! 内心突っ込みながら、それでもこれで機嫌が治ってくれるんだったら、とどこか安堵している自分がいた。
「じゃぁ、ちょっと買いもの行ってくる。さすがにアイス作るだけの材料揃ってないから」
「あたしも行こうか?」
 今まで事の成り行きを楽しそうに見守っていたナルちゃんが、やっと出番かというように名乗り出たのを、あたしは断った。
「大丈夫。ナイン見てて」
「あー、了解」
 今は奴を一人にしておく方が恐ろしいからね。ナルちゃんもそれを察して、すぐに頷いてくれた。
「それじゃちょちょいと行ってくるよ」
「気をつけなさいよ」
「わかってるって。行ってきます」
 あたしはそこで未だ制服のままなのに気づいたけれど、着替えて行くのも面倒だと思って、そのまま玄関をあとにした。
 家から数分歩いたところに、結構大きなスーパーがある。五時以降はタイムサービスで割引品が出るから、なけなしの家計でやりくりしてるあたしにはありがたいことだ。
 うん、ついでに夕飯の材料とかも買って帰ろう。あたしは吸い込まれるようにスーパーへと足を踏み入れた。







「うー……調子乗りすぎたぁ」
 あたしは戦利品である食料品が詰まっている買い物袋を握り締め、帰路についていた。
 ダメなのよね、最近。お買い得品とか見てると、結構いいものが揃えてあったりしてつい手が出てしまう。少し前なら押しとどまるのだが、今は放っておいても食べる奴がいるから、買いこんでも無駄になることがない。
 食費がかかるのは痛いところだが、その分おいしそうに食べてくれるのを見るのは嬉しかった。
 だからついつい調子に乗って買い込み、作りすぎてしまう。
「あたしも結局甘いのよね」
 苦笑が浮かんだ。
「っていうかさぁ、少しは荷物持ちでついてきてくれる、とかいう優しさはないのかしら。ナインのバカーっ」
『全くだな』
「甘やかしちゃうあたしもあたしだけどさ、それにしたって我侭すぎ……―――――」
 え?
 突然あるはずのない返事が返ってきて、あたしの思考が停止する。すぐさま振り返って、隣にそいつがいることに気づいた。
「は!? あんたっ……いつの間に!?」
 さっきの悪魔!
『よう、さっきぶりー』
 いや、さっきぶりとか、そんな挨拶はいいから。
「何でこんなところにいるワケ!?」
『俺って何気に嗅覚すげぇいいワケ。一度嗅いだ女の匂いは絶対忘れないし、気にいった奴なら尚更。んで、近くであんたの匂いをキャッチしたからさ』
 ……犬みたい。なんてことは口が裂けても言いませんけど。
『ほら、それ貸してみろよ』
「え?」
 突然手を差し出されて、何のことかわからずに間抜けな声を出しちゃったあたし。悪魔はあたしの持ってる買い物袋を指差しながら、それを渡すように促している。
「何で?」
『重たそうだから。持ってやるよ』
「へ?」
 返ってきた答えは、あまりにも意外なものだった。それこそナインじゃあり得ないような。
 いったん浮かんだ警戒が、ガラガラと崩れていった。
「あ、ありがと」
 あたしはその申し出に素直に甘えることにして、袋を悪魔に渡す。やだ、悪魔ってナインみたいな奴ばっかりだと思ってたけど、こういう紳士な悪魔もいるのね。
『うわ、よくこんなの平気で持ってたな。相当重いぞ、これ』
「あ、ホントだ。手、変色してる」
 ビニール袋が食い込んで、その部分だけ色が変色している。しばらくすれば治るし、毎度のことで慣れてるから気にならなかったんだけど。
『ったく、名前だけだな、あいつ。こういうところに配慮がいかないなんて、悪魔としては最強でも、男としては最低だな』
「言えてる」
 もっともなことを仰る。常識人だ、この人常識人だよ!
「ねぇ、あんた名前は?」
『何? 俺のこと気になるんだ?』
「うん。呼び辛いから」
 即答すると、心なしか悪魔ががっかりしたように肩を落とした気がする。あたし、なんかがっかりさせるようなこと言ったっけ?
『まぁ、そういう釣れないっていうか、寧ろ鈍感なところがまた俺の心をくすぐるわけで。まっ、時間は腐るほどあるしな』
「はぁ」
 言ってる意味がわからなかったけど、突っ込まない方が良さそうだったから、あたしは気の抜けた返事だけを返しておいた。
『俺はアリエス。アリエス・レイスター。アリエでもエスでもレイでも好きな呼び方でオーケーだ。俺的にはスターがお薦めなんだけどな』
『はっ、星屑か?』
 悪魔、アリエスの語尾に続いた聞き慣れた声。
「へ? ……わっ!」
 それと同時に腕を引っ張られて、あたしの視界が揺れた。
「なっ、ちょっ……ナイン!?」
 突然の声も、あたしの腕を引っ張ったのも、そのままあたしを抱きしめているのも当然ナインで、あたしは突如現れた奴に驚きよりも怒りを感じた。だってあたし、今日これで、二度目の脱出不可能状態に陥っているわけで。
 そんなあたしの非難の視線すら無視したまま、ナインは無言でアリエスを睨みつけている。
 あぁ、また状況がややこしくなりそうな……あたしは吐息しながら、自分の額に手をあてた。





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