私の名前はカナシロ サヤ。今年高校を卒業した19歳、農家の長女です。
 日本、東北地方のまだ暖かいところ。村は畑と農場だらけ。そんな場所に私は18年間住んでいます。
 うちでは家畜をいっぱい飼っています。豚とか牛とかいろいろ。本当は、生肉にして出荷するためのものなんだけど、最近なんだかそれがおかしなことになってるんです。
 家から歩いて、20分。
 丘を越えた先の森の中。長く続く一本道を脇にそれたところに広く拓けたところがあって、一軒の古い木造住宅が建っています。
 昔、どこかのお金持ちが建てたというこのログハウスには今は誰も住んでいません。
 の、はずだったのに3ヶ月ほど前から奇妙な住人が現れて――


恩人はヴァンパイア


「お、持ってきたな」
 私がリビングルームの扉を開けると、窓際に置かれたアンティークチェアにどっかりと座り込んでいるジルベールの影が見えた。小さく溜め息を吐く。またいつもと同じ場所・・・・・・
 彼は読んでいた本にしおりを挟んでぱたんと閉じるとこちらを向いて、やる気の感じられない灰黒色の瞳を私に据えた。
 そう、この人がこの家に突然住み始めた奇妙な人。外見はなんの変哲もない普通の人だ。問題は中身。というよりもっと根本的なところにあるのだ。それは・・・・・・
「ほら、早くかせ。腹減ってんだから」
 私がスーパーのビニール袋を差し出すと、ジルベールはそれを奪い取るように受け取って、なかをがさがさと探る。
 そのなかからビニールパックを取り出すと、愛用のピンクのストロー(長持ちゴム製)を刺してさっそく飲み始めた。
 ビニールパックの中は血。
 もちろん人間ではなく、ブタの。
 そうです。なにが変って全部なんです。彼は色々普通じゃないんです。
「不味い」
「・・・・・・採ってきてもらって、もっと良い言い方があるでしょうに」
「あ? 命の恩人になんか文句でも?」
「はい・・・・・・。ないです、すいません」
「よろしい」
 うなずくと再び、血を飲むのに集中し始める彼。
 そうです。この俺様野郎は吸血鬼なんです!




 あれは、3ヶ月前の春のことでした。
 私は木の芽を摘もうと、森の中に入っていきました。木の芽は苦いけれど、醤油で和えるとなかなかの美味なんです。家族はみんな、これが大好きです。私はさらにそこにマヨネーズを加えます。
 これは田舎の特権ですね、木の芽は新鮮さが命ですから。
 えっと木の芽の話はここまでにして、問題はその後です。
 私は木の芽を摘もうといつものように森を散策していました。もう何百回も来ているので迷う心配はありませんでした。
 迷う心配はまったく全然なかったんですけど、別の心配があったのを忘れていました。

 ――熊が冬眠から覚めていたんです。




 その日、私は熊と対峙していた。
「ど、どうしよう・・・・・・」
 よりによってこんなときに限って、熊よけの鈴を持ってきていなかった。この時期の熊はとても興奮ぎみなのだ。
(こ、こんなときは、死んだフリっ! いやいや、それは危険危険。じゃあ、全力疾走で逃げるっ! ああでも、本能で襲い掛かっちゃうか・・・・・・)
『ぐぅぅぅ・・・・・・』
 頭のなかでぐるぐるしているうちに、熊が立ち上がって臨戦態勢をとった。思わず、その巨大さにぽかんと見上げてしまう。
 ああ、ここで死ぬんだ。
(熊に襲われて死ぬなんて、いかにも田舎な死に方だけど情けない死に方だなあ)
 なんて他人事のように考えていると、熊の手がこちらの頭に降ってきた。
 目をつぶって、神様に祈る。
 でも、なにを祈ったらいいのか思い付かなかったので、とりあえず名前だけ呼んでおくことにした。
(神様っ――!)
 あたまを抱えて座り込んだ。ああ、父さん母さんお兄ちゃんミチコさよなら・・・・・・――
 覚悟を決め、ぎゅっと瞼に力をいれた。
 しかしいつまで経っても変化がない。それでも目を瞑って待っているとすぐ真横でなにかが倒れる音がした。それは地響きになり、足元を小刻みに揺らす。
 さすがに不審に思い、うっすらと目を開けてみた。死んでは、ないようだ。
「まったく、また熊か」
 ふいに頭上から声がした。
 もしかして頭は殴られていたのではないだろうか、熊がしゃべった。
 驚いて顔を上げる。おかしなことにさっきまでは私の身長の二倍ほどに大きかった熊は平たく寝そべっていて、その上には・・・・・・
「・・・・・・男の人?」
「あ?」
 男がこちらを向いた。
 その瞬間、私は息を飲んだ。
(綺麗な人・・・・・・)
 一見、欧米人のようでどこか違う、エキゾチックな顔立ち。
 年齢は20代半ばくらいだろうか。乱れているが艶のある肩までの黒い髪に淡い赤色のメッシュ。見慣れない赤灰色の瞳。それを縁取る目尻は気の強そうにつり上がっている。不敵に笑う唇は薄く意地が悪い感じだが整っていて、キメ細かい肌は手入れなんかいらなそうだ。黒いシャツに革のジャケットを羽織り、これまた黒いパンツを穿いている。足は胴長な私と違い長かった。
「あの、えっとハロー?」
 とりあえず、外人さんには英語だろうかと話かけてみる。高校のときの成績はアレだったので、バリエーションは極端に少ないが仕方がない。挨拶は万国共通で大切なものだと思う。
「お、人間じゃん。いいとこ来たなお前」
 男は予想と反した流暢な日本語で私の台詞をまったく無視すると、熊からひょいと身軽に跳び降り、私に近寄るとその両手をこちらの肩にかけた。そして、にやりと笑い、私を、
 ――地面に押し倒した。
「じゃあ、いっただきまーす」
「――っ!? ちょっと待ったぁ!!」
「あ゛?」
 相手の頭を掴んで腕を思いっきり突っ張る。男はそれが予想外だったのか、ぱちぱちと瞬きした。
「そんなっ、出会ってから間もないのにいきなり最後だなんてっ! いくら私が田舎人だからってこれは非常識すぎる。そういうのは昔から順序ってもんがあって、やっぱり私はそれを踏んでからって決めてて、でも貴方がどうしてもっていうなら友達からなら考えてもいいっていうか、考えるというか、それ以前にまずこんなところでは・・・・・・」
「なにいってんだ、お前」
 つぶやいた男の顔を見ると私の指に挟まれた瞼が呆れたように細くなって、こちらを見下ろしていた。いつの間にか肩を掴んでいた相手の力が抜けている。
「え? 違うの?」
 きょとんとしていると、男は苦い顔になって溜め息を吐いた。そして、ゆっくりと身体を起こして、
「そういうことは自分の顔を見てから言え」
「なっ!?」
 なんて失礼な奴なのだろうか。これでも昔は村一番の美人になると言われてたんだ。ずいぶんと前に言われただけに終わっていたことに気づきましたが・・・・・・
「あー食う気が失せた。もう帰っていいぞ、おまえ」
 そう言うと男は足元に転がっていた熊を『片手で』持ち上げると、肩に担いだ。その異常な馬鹿力に口をあけたまま唖然としていると、歩きだそうとしていた男が不審げに振り返った。
「おい、どうした。帰んねーのかアホ面」
「じ、実は、腰が抜けちゃってて」
 私が言うと男は(非常に面倒臭さそうに)私に歩みより、空いている方の手を差し出した。
 その流れがあまりに自然すぎて意味がわからず、差し出された手のひらを見つめていると、「ほら、早くしろ」と促される。
 素直にその手のひらに右手を乗せると、男は口の端を上げ、その場には不似合いなほど優しく微笑んだ。本当は鼻で笑われただけだったのだが、その笑顔があまりに綺麗で私は見惚れてしまっていたのでそこまで気が回らなかった。ぐいっと腕を引かれ異常な力で立たされる。
「あ、ありがとう」
「んあ? なにが」
「えっと、さっき助けてくれたから・・・・・・」
 男は私の視線を追って自分の肩の上にあるものを見上げる。「ああこれか」自覚がなかったらしい。
 そして私の手を掴んで離してくれないまましばらく熊を見つめていたと思うと、ふと何か思いついたように笑った。今度は優しくではなく、にんまりと。
(・・・・・・なんか私、ものすごく嫌な予感がしますよ)
 大体こういうときの予感というのは外れないものだ。彼の瞳が紅く光る。
「ってことは俺は命の恩人だな? そのぶんの礼ははずむよな?」




 ――こうして私は彼のエサ運び、もとい奴隷となったのでした。




誕生日のプレゼントで頂きました!
この作品は『箱庭とサイコロ』の管理人様、浅井ユァさんが書かれたものです。
続きはユァ様のサイトにて読むことができます。さぁ、皆さん入り口はこちらですよー☆




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