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 容赦なく照り付ける太陽に、冴は眩暈を覚えた。目を細め、陽炎の向こう側をじっと見つめる。
 フッと浮かぶ光景に、冴は意識を投じた。



「ごめんなさい、冴……」

 夜も深け、冴もそろそろ就寝しようかと思っていた時間帯。
 唐突に現れたロコが開口一番、そんなことを言った。申し訳なさそうに俯く彼女の目元が少し腫れている。冴は台詞にもだが、その目の方が気になった。
 泣いていたのだろうか? ふと、冴は不安を抱く。

「どうして? 何かあったの?」

 冴は極力優しく接し、ドアの横で佇んでいるロコを部屋へ招き入れた。終始俯いて唇を噛み締めている幼女をそっとベッドに座らせ、目線の高さをあわせるために冴はその場に膝を折る。

「目が腫れてる。……泣いていたの?」
「ごめんなさい」
「どうして? 解らないわ、ロコ」

 自分は何かロコに謝らせるようなことをしたのだろうか。時間を遡って思い出してみるが、特に心当たりがない。冴はわけが解らず、首を傾げる。
 そんな冴の態度を見ていたロコが、急に涙を浮かべた。そのまま縋るように抱きつく。

「ごめんなさい……ワタクシ、ワタクシ酷いことしたわっ。折角の凪・リラーゼとの食事を、ワタクシが台無しにしてしまった……」

 声を押し殺して、震える声でロコが謝罪する。彼女の口を伝って出てきた言葉を飲み込み、冴はやっと彼女が何を謝っているのかを知った。

「謝る必要なんてない。ロコは悪くないから」

 宥めるように、その小さな背中をさする。幼女は嗚咽を漏らしながら、冴の服を強く握った。

「だって……一緒に食事をするのが普通だなんて言っておきながら、ワタクシ……っ」
「ロコ」

 瞳にいっぱい涙をためて、顔を歪めて、ロコは冴に縋る。ごめんなさい、と。あんなに冴が楽しみにしていたのに、険悪な雰囲気を作ってしまったと。その思いが痛いほど伝わって、冴はロコをあやすように穏やかな笑みを浮かべた。
 その笑顔に、ロコは虚をつかれたように目を見張る。

「嬉しかったわ、食事をするように説得してくれて。凪と食事ができて。ロコのおかげよ? ありがとう、ロコ」
「冴……っ」

 確かに雰囲気をさらに悪くしたのはロコではある。けれど、こういってはいけないのだろうけれど、そのおかげで凪のことを少し知ることができたのも事実だった。
 ロコにはいくら感謝をしてもたりないくらいなのだ。

「ねぇロコ。私は、貴女にありがとうと言ったのよ?」
「え? あ……」

 冴の言わんとすることを察して、ロコは泣き笑いを浮かべる。それから再び勢いよく冴に抱きついた。謝る必要などないのだと。むしろ、感謝されるべきなのだと、冴はロコに伝えたかったのだ。

「……っ冴、大好きよ!」
「私も」

 ロコを抱きとめながら、冴も微笑む。最近、冴はよく笑うようになった。今まで笑うということ自体、ほとんどしてこなかった行為だ。最初のうちはかなり引きつった笑みになっていたのだが、今は自然な笑みが浮かぶ。
 ロコはその笑顔が好きだった。美しい容姿であることはもちろんだが、やはり内面的なものが滲み出ている。『冴』という人柄がロコは好きなのだ。

「でも、ダメね。最初のうちは我慢してたのだけど、どうも凪・リラーゼを前にすると頭に血がのぼってしまって……抑えられなくなってしまったわ」
「……どうしてそこまで嫌うの?」

 嫌われているのは自分ではないが、やはり自分のドーマが嫌われるのはあまりいい気分ではない。

「だって……」

 言いづらそうに、けれどロコの頬がほんのりと色づいた。冴はそれで、答えに行きつく。

「ディオね?」

 指摘され、ロコは恥ずかしそうに頷く。

「我ながら幼稚だとは思うのよ。でも、どうしても……」

 妬いてしまうのだ、凪に。ロコは、ディオールの関心が自分にではなく凪に向いていることが腹正しく、また寂しくもあるのだ。
 自分のドーマが自分ではなく他人のことを気にしているというその現状を、対象である凪に嫉妬という形でやつあたりをすることで紛らわそうとしていたのだ。

「もともと彼とは馬が合わなかったのだけれど、それで余計に。大体ディオはお人好しすぎるのよ。他のドーマにはそんなに関心はないのに、凪・リラーゼのことはやたらと気にかけるの。ディオはワタクシのドーマなのに……ワタクシ、一度本気であの二人ができてるのじゃないかと疑ったこともあるのよ」

 真顔で言われ、冴は目をぱちくりさせる。

「まさか」

 ありえない。というか、それだけは勘弁してほしい。

「ええ、実際そんなことはないけれど、疑いたくもなるでしょう?」
「やれやれ、とんだ言われようだ」
「っ!?」

 ロコの言葉に頷きを返そうとしたその矢先。突然介入してきた声に二人は同時に肩を竦めた。いつの間にか扉に背もたれるようにしてディオールが立っている。
 表情には苦笑が浮かんでいた。

「そっちの気はないつもりなんだけどね。ロコの目にはそう映っているわけか」

 嘆かわしい、とディオールは大仰な科白で口元を手で覆う。完璧なる泣き真似。

「なっ……い、いつから聞いていたの!? 勝手に人の話を盗み聞きするなんて!」
「人聞きが悪いなぁ。たまたま用があって来てみたら、二人がなにやら話しこんでるのが見えたもので。扉も開けっぱなしだし、聞くつもりはなかったけど嫌でも聞こえちゃったんだよ。あ、ちなみに幼稚だとは思うのよ、辺りからかな」

 つまり、バッチリ聞かれていたというわけである。恥ずかしさからなのか怒りからなのか、ロコは瞬時に顔を真っ赤に染めた。

「盗み聞きなんて最低よっ!」
「いやいや。案外やってみるものだね。おかげで嬉しい言葉が聞けたよ」

 全く悪気を見せないディオールに、ロコはパクパクと金魚の如く口を開け閉めする。何か言いたくても、言葉が出てこない。

「も、もういいわ! この話はこれでお終いっ」

 羞恥のあまり叫んで無理矢理話を終わらせようとするその様に、冴とディオールはおかしそうにクスクスと笑いを立てた。

「冴まで……っ」
「ごめんなさい、つい」
「ごめんごめん、ロコ」

 すっかり気分を害してしまったロコに二人は謝るが、それでも笑みが浮かんでいる。彼女はちらりと横目で二人を見ながら、諦めたように小さく肩を竦めた。

「いいわ。それで、ディオは何の用だったの?」
「ん? あぁ、そうだった。ところで冴ちゃん」

 ロコの疑問に、ディオールはポンッと手を叩く。思い出したように冴を振り返り、ニッコリと笑みを作った。

「明日は暇かな?」
「え、あ、はい」

 暇かな? と聞かれたところで、冴には予定といえるものなどない。毎日特に用事もなく過ごすだけなのだ。逆に予定を作れという方が無理な話である。

「それは良かった。それじゃぁ、明日僕とデートしない?」
「え?」
「どこかに行くの?」

 冴とロコは同時に口を開いた。ディオールはそれに頷き返し、ロコの頭に手を乗せる。

「あんまり屋敷の中にこもりっぱなしも身体によくないだろう? だから少し気分転換に。もちろんロコも一緒だよ」
「当然よ」

 ディオールはロコをチラッと横目で確認し、ロコも同様に視線を向ける。それから、二人で冴の返事を待った。
 冴はそんな二人のやりとりにもぽかん、と口を半開きにしてぼんやりと眺めているだけだ。あまりの唐突さに思考がついていけない。おまけに誘い方が誘い方なだけに余計に。

「ダメかな?」
「い、いえ……っ」

 冴は心配そうな表情を浮かべたディオールに、反射的に返してしまった。承諾の返事。その答えにディオールは安堵の息をつくと、冴に背を向ける。

「よかった。それじゃぁ、明日。部屋まで迎えにくるから」
「冴、おやすみなさい。また明日ね」

 軽く手をふりながら、ディオールはロコを連れてそのまま部屋をあとにした。
 未だ状況を上手く飲み込めていない冴は、やはりどこか腑に落ちないものを感じながら、一人小首を傾げていた。





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