ほんのりと街灯の明かりに照らされて、彼女はそこにいた。
 公園のベンチに寝転がり、すやすやと寝息を立てている。こんな時間に無防備なほど、彼女からは警戒心というものは感じられなかった。
 あまりにも気持ちよさそうに眠っている彼女を見て、襲ってやろうかと考えてもみた。女がこんな時間に一人で公園のベンチに寝こけていれば、どんな目に遭うか思い知らせてやるのも悪くない。
 そんな救いようのないことを考えるまでに、その時の俺は追い詰められていたんだろう。けれど実際そんなことをするはずもなく、俺は思考を切り替えるために軽く頭を振った。
 第一、そういった行為にそれといって興味もない。

「……」

 俺もさっさとその場から立ち去ればいいものを、なぜか彼女の目覚めを待つことにした。何のために待っているのかは解らない。危ないから傍にいてやるのとも違う。
 俺はそんな善人じゃないし、彼女がどうなろうと俺の知ったことではないから。
 なのに、俺は彼女が眠る隣のベンチに腰掛け、じっと目覚めるのを待っていた。特にすることがなかった、というのもある。
 俺は時間つぶしにぶらぶらと夜の散歩をしていた。その途中で、彼女を見つけたのだ。
 薄闇の中、風が乱れた。
 頬を指す冷たい風が吹き乱れ、カサカサと葉を揺らす音が響く。
 俺は外気にさらされて冷たくなった手を上着のポケットに突っ込むと、小さく息を吐きながら目線を上げた。
 夜空に浮かぶ星がまばらに散らばっている。月はなかった。

「ん……」

 どれくらい空を眺めていたのか、微かに漏れた息遣いに気づき、俺は視線を彼女へと向ける。ベンチの上で縮こまり、寒いのか自分を抱きしめるようにして横になっていた。
 マフラーを枕代わりにしてまで、こんな所で寝る必要もないだろうに。

「うー……ん」

 何度か唸るように小さな声を上げてから、彼女はゆっくりと目を開ける。一度身震いし、目をこすりながら起き上がった。

「むぅ、よく寝たぁ」

 欠伸をしながら、彼女は身体を伸ばす。それから、すくっと立ち上がった。

「っよっと……あれ?」

 そこでようやく、俺の存在に気づく。小首を傾げながら、彼女は俺をじっと見つめた。

「えーっと、こんばんは?」

 なぜか疑問符をつけて彼女はあいさつをする。表情はきょとんとしていた。

「んと、違う?」
「は?」

 何が違うのか、というか、何が言いたいのか解らず、俺はいつもの癖で思い切り睨みを利かせてしまった。
 けれど、彼女は全く怯んだ様子もなく、頭を掻きながらうーん、と唸る。

「こんばんは、じゃなかったかなってこと。言い返してくれなかったから」

 ニッコリと微笑みながら、彼女は言った。
 こんばんは……彼女がそう言ったときに俺が答えなかったから、その挨拶が適当では無かったのかと尋ねたらしい。
 間違いではないだろう。誰でも、今の状況ではそう言うだろうから。
 俺は軽くかぶりをふった。

「合ってた?」

 俺は頷く。すると、彼女はホッとしたような笑みを浮かべた。瞬間、何かで身体を突かれたような衝撃を受けた。
 何でかは解らない。解らないのに、俺は内心焦っていた。じっとりと手のひらに汗がはりつく。

「んー、よかったぁ。また得意の勘違いしたのかと思ったよ」

 顔をほころばせながら、笑う。

「あ、そういえば今何時なんだろ」

 ころころと表情を変え、彼女は時計を探しているのか辺りを見渡した。俺はポケットから懐中時計を取り出すと、街灯にかかげて時間を示す。
 彼女はそれに気づいて俺の方に近づいてくると、覗くようにして顔を近づけてきた。ふわりと甘い香りが鼻を突く。ギクリとした。手に力が入る。

「九時半過ぎ……あちゃー、二時間も寝てたんだ」

 二時間? 二時間もこの寒空の下で熟睡していたのか?

「風邪……」

 引くんじゃないか?

「風? そういえば風がでてきたねぇ」

 風邪を風と変換したのか、彼女は顔を上げて葉ずれのする木を見つめた。かと思うと、ぐるる、というなんとも気の抜けた音が響く。

「あ。あははー……」

 どうやら彼女の腹が鳴ったらしい。空笑いしながら、腹を撫でて赤くなっている。

「えへ、お腹すいちゃった」

 言いながら、じっと俺の顔を覗きこむ。

「……何だよ」

 俺の言葉を待っているかのように、まるで穴があくほどの凝視。それから、何かを含ませたような笑みが浮かぶ。

「お腹、すかない?」
「は?」
「お腹。すいてるでしょ? あ、それとももう、夕飯食べちゃった?」

 一体何がいいたいんだ?

「あ、やっぱりもう食べちゃったよね……」

 俺が答えないのが肯定と思ったのか、残念そうな表情を浮かべる。

「まだ食ってない」

 答えると、きょとんとしてから、先ほどの沈んだ表情が嘘のように嬉しそうに目を輝かせた。

「ホント!? よかった。じゃぁ、一緒にご飯にしよう!」
「は?」

 ぐいっと俺の腕を掴み引っ張る。俺は勢いで立ち上がったものの、咄嗟に彼女の腕を振り解いた。

「あ」

 振りほどかれて、彼女は軽く驚く。呆けたように口を開けて俺を見上げていたが、すぐにハッとして失敗失敗と呟きながら笑った。

「ごめんね。いきなり触ったから……嫌だったよねぇ」

 俺は答えず、ズボンについた砂埃を払い落とす。

「ね、すぐ近くにコンビ二があるんだ。そこで何か買って一緒に食べようよ」

 ね? と甘えるように首を傾げて見せる。

「何でだ?」
「え?」
「何で今会ったばかりの俺を誘う?」

 何か下心でもあるのだろうか。どちらにしても、信用なんかできない。

「理由かぁ。あえていうなら、独りじゃ淋しいからかな」

 笑みを浮かべたまま、それでも声だけは真面目だった。まっすぐに俺を見る。

「それから、やっぱり独りで食べるより二人で食べた方が美味しいから」

 言いながら、彼女は俺に背を向けた。歩き出す。

「ほら、そんなとこ突っ立ってないで、おいてくよー?」

 公園の出入り口で立ち止まると、俺を振り返り、手をふる。
 一緒に食事をするなんていってないのに、彼女の中ではすでに決定されたことらしい。俺を待っている。
 俺は諦めるように肩をすくめ、彼女のあとを追った。





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