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 雨が降っていた。
 屋敷の中は静かだったが、外は随分と荒れている。
 凪は自室に一人取り残されていた。
 いつも一緒にいる母は、父と出かけている。どんなに仲が悪くとも、貴族の行事には夫婦がそろって出向く。今日は、四大貴族が集まる恒例会議の日だ。
 月に一度、四大貴族の長が集まり、それぞれの大陸の内情を確認するだけの、つまらないものだと、前に母が言っていたのを思い出す。
 いくら後継ぎだといっても、この会議には長並びにその婦人しか参加することは許されていない。この日だけは、さすがの麟も凪を連れていくだけの権限を持たなかった。
 月に一度だけ。独りに戻るこの日が、凪は好きではなかった。
 大好きな本を読んでいても、どこか心細い。
 父と母は朝出ていくと、夜遅くまで帰っては来ない。使用人達も、あまり凪に関わろうとはしなかった。凪もまた、彼らの心中を察して、近寄ることはしない。
 独りでただ、母の帰りを待つ時間が、とても長かった。
「……」
 凪は読んでいた本を閉じた。つまらない。
 違う本を探しに行こうと、書庫へ移動するために立ち上がる。
 そこでふと、『魔女』へつながる扉を思い出した。
 父と話したあの日から、ずっと気になっていた扉の向こう側。魔女とは一体どんな人物なのか、馳せる思いは日に日に募った。
 母がいる手前、部屋に入ることもできず、けれど入ってみたいという思いに挟まれて今日まで過ごしてきた。
 幸いなことに、今日は父も母もいない。
 誰も凪を監視する者はいない。
 魔がさした、とでもいうのか。
 凪は、本をその場に放り投げ、禁じられていた場所へと向かう。頭ではいけないのだと解ってはいても、一度芽生えた好奇心を押さえるだけの理性は持ち合わせていなかった。
 子どもの本能ともいえるその感情のまま、凪は扉を開けた。
 簡単に開く扉。なんて軽い。
 入れないと思っていたから、鍵でも掛けてあるのかと思った。簡単には開かないのだと思っていた。だからこそ、こんなにもあっけなく開いてしまった扉に、少年は一瞬不安になった。
 もしかしたら、これは罠なのではないか。
 扉の向こうには、本当に魔女がいて、自分が来るのを待っているのではないか。
 襲われたりしないだろうか。食べられたりしないだろうか。
 最悪命を取られることがあっては、せっかく助けてもらった麟に申し訳が立たない。
 そう思う反面、魔女の正体を暴いてやりたい気持ちもあった。ごくりと、つばを飲み込む。凪は覚悟を決めたように、扉の中へと進んでいった。
 パタン、と、扉が後ろで閉まる音だけが響く。もっとじめっとしているのかと思っていたが、そうでもない。明りもちゃんと等間隔で続いている。
 その明りを目で追うと、目の前に続くのは螺旋階段だった。石が何段も積み重ねられ、壁も煉瓦でつくられている。屋敷とは違う造りになっているのだろう。筒状に造られた煉瓦と石の建物。
 階段を上り続けていて、一つも窓がない。薄暗い明りだけが頼りの空間。
 螺旋階段を、ドキドキしながら少年は上り続けた。何段目だろうか。最後の階段が見えてきた、その先に。
 一つの扉があった。
「ここが……」
 魔女がいる部屋。魔女に通じる部屋。
 扉の前に立つと、鳥肌が立った。恐ろしいのか、興奮しているのか。色々な感情が渦巻く中、凪は躊躇いがちに取っ手に手をかける。
 回し、扉をゆっくり引くと、それは簡単に開いた。と同時に、眩しい光が目をつく。思わず目をつむった。
「……だぁれ?」
 問われ、凪はパッと目を開いた。白い世界に、小首をかしげてそこにいたのは、彼の想像する魔女とは違う。
 今までの薄暗い螺旋階段が嘘のように、その部屋は明るく、そして可愛らしかった。白とピンクで統一された、レースや花柄がちりばめられたカーテンにベッド、ソファ。
 まるで違うのだ。凪が想像していたものと。そして最も違うのが『魔女』
 不思議そうにこちらを見ている、それは少女。凪と同じぐらいの歳の、とても美しい少女だった。
 儚さを強調させるような白の肌。美しい金糸のような髪。クリっとした瞳をさらに丸くして、少女はソファに座っている。
「あなたはだぁれ?」
「あっ……僕は、凪。凪・リラーゼ」
 少女の問いに、釣られるように答えた凪の名を聞くや、彼女は一瞬ハッとして、それから笑みを浮かべた。
「初めまして、凪。私は小鳥」
「小鳥ちゃん?」
 かわいらしい名前だと、思った。けれど、少女はくすりと笑って、頭を振る。
「名前ではないの。私はここから出られないから、小鳥。籠の中の、鳥」
「出られないの? どうして?」
「翼がないからかな?」
 比喩する少女の言葉の意味が、その時の凪には解らなかった。不思議な空気を纏った少女。
「私は、更。更って呼んでね、凪」
 にこりと微笑むその表情は、母が浮かべるそれとはまた違った笑みだった。とても柔らかく、すべてを包み込むような、彼女が笑うだけで、周りが明るくなるような、暖かくなるような、そんな笑顔。
 つられて、凪も笑みを浮かべていた。
「私、お友達がいなかったから、凪が会いに来てくれて、嬉しい」
「……僕も……でも、本当はここへは入っちゃだめだって、母さまに言われているんだ」
 更の言葉にパッと明るくなったのも束の間、凪はすぐにうなだれた。現実を思い出して、悲しくなる。せっかく出会うことができたのに、おそらく頻繁に会いに来ることは出来ないだろう。
「そうなの? では、今日はどうしてここへ?」
「今日は、月に一度の会合の日だから、父さまも母さまも外出していて誰もいないから……」
「会合……」
 考え込むように、更が顎に手を当てて首をかしげる。それからふと、口を開いた。
「それって、毎月あるんでしょう?」
 更の問いかけに、凪はコクリと頷いて見せる。返答を聞いて、少女はにこりと笑みを浮かべた。
「だったら、凪。大丈夫よ。月に一度、私たちも会合を開きましょう」


 それは幼い約束だった。
 始まりは、何気ない一言だった。
 月に一度、両親が出かける日に、会う約束。
 たったそれだけのことが、二人にとっては堪らなく幸せな日に変わるのは、そんなに時間を必要とはしなかった。
 月日は流れ、8年後―――――



「凪、今日はどんなお話?」
 書庫から本を何冊か積み重ね、更の部屋を訪ねた凪は、少女の問いに表情を緩めた。
「今日は色々揃えてみた。童話や絵本、小説もある」
「童話! 私、童話って好きよ」
 夢があるから。呟きながら手渡された本を受け取り、早速ページをめくる。
 子どものころは解らなかったが、歳を重ねるごとに解るようになった。
 なぜ更は、この部屋から出られないのかと不思議ではあったのだが、どうやら彼女は一人では歩けないらしい。足が動かないのだ。後天的なものらしいのだが、彼女は何らかの事故に合い、両足で立つことができなくなってしまったらしい。だから、この部屋から出ることができない。
 部屋の中は車いすで自由に移動できるが、長い螺旋階段を一人で移動することはできなかった。
 故に、この部屋で彼女ができることは限られている。
 日中はもっぱら本を読むか、絵を描くか、物を作るか……凪が来たときは、楽しそうにそれらの話をする。この間は何を完成させたとか、何の絵を描いたとか、あの物語が良かったとか。
 そんな他愛のない話が、二人にはとても幸せな時間だった。
 けれど、一つだけ分からないことがある。
 それはなぜ、彼女がこの部屋にいるのかということだった。
 彼女は一体誰で、なぜこの部屋に居続けるのか。
 凪には、現当主である義父の意に沿った形ではないにしろ、義母が祭り上げた跡取り息子という肩書がある。けれど、この少女が一体どういった肩書を背負っているのかは、凪には解らなかった。
 幼いころ、本人に何度か聞いたことがあるが、彼女は決まって寂しそうに笑うだけだった。
 答えたくないのだと、聞かれたくないことなのだと思って、それ以来、聞くのをやめた。辛い思いをさせるだけの問いかけならば、そんなものには何の意味もないのだから。
「私、童話の中ではこの話が一番好きよ。翼を貰った魚。凪は読んだことある?」
 無邪気に笑う少女に、凪は瞬時に思考を切り替えた。答えに、頷く。
「一度だけ。確か、鳥にあこがれた魚が、女神に頼んで翼を貰い、色んなところを旅する話だろう?」
「そう。水の中へ二度と戻れなくなる代わりに、翼を、空で生きることを選んだ魚。私も、翼が欲しかった」
 台詞とは裏腹に、羨ましいというよりは、どこか諦めたような表情だった。
 寂しそうに、笑う。
 あぁ、またこの、表情。
 凪は胸がズキリと痛むのを感じた。更のこの表情を見るたびに、居た堪れなくなる。
 それがなぜなのか、はっきりした理由は解らないのだが。
「更は……旅をしたいのか? 遠くへ行きたいのか?」
 よほど不安そうにしていたのだろう。凪の問いかけに、更は目をぱちくりと瞬かせた。そして、ふっと柔らかい笑みを浮かべる。
「違うわ、凪。例えば翼を貰ったとしても、私の帰る場所はここしかないの。どこへも行かないわ。ただ、もうこれ以上、誰かの負担になりたくないの」
 それは、立ち上がることのできない、自身の足のことを指しているのだろう。車いすで行けないところは、誰かに抱えられなければいけない。誰かに運んでもらわなければ、移動すらできない。
 誰かの負担になるたびに、なっているのだと思うたびに、更は胸が苦しくなるのを感じた。誰かを巻き込まなければ自分一人まともに生かすことのできない存在に、一体どれだけの価値があるのだろう。
 そんな更の答えを聞いて、今度は凪が笑みを浮かべた。
「馬鹿だな。俺の腕は、お前を抱きしめるためにあるのに。翼なんか持ってしまったら、それこそ俺はお払い箱だ。更は俺から楽しみを奪うつもりか?」
 そっと更を抱きしめて、凪は彼女の頭をなでた。更も慣れたもので、凪の胸に頭を預け、されるがままになっている。
「俺がお前の翼になるから、それでいいだろう? どこにでも連れて行ってやる。更が望むところへ」
「凪……んっ」
 有無を言わさず、唇が重なった。更の口から艶めいた声が零れる。それでたがが外れたように、凪は更をベッドまで運ぶと、そのまま押し倒した。
「ダメ……っあ……」
 慣れた手つきだった。動きに迷いはなく、指で更の身体をなぞるとそれに応えるように、少女は吐息を洩らす。
 凪は熱っぽい瞳を湛えた少女を、愛しい少女を抱きしめ、幸福を全身で感じていた。


 それが、いつまでも続くと思っていた。
 永遠に続くと思っていた。
 ずっと……



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