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 世界は四つの大陸によって成り立っている。
 その大陸の一つ、東の和の中心に位置する貴族の屋敷に、その少年は暮らしていた。
 リラーゼ邸 南塔。
 その日、いつものように読書にふけっていた少年にとって、世界が一転する訪問者が現れた。
「来客?」
 使用人が告げた内容に、少年は眉をひそめる。
 名のある貴族だけあって、客の出入りは頻繁にあったが、それは全て父親を訪れての客で、少年を訪れてくるものは珍しいどころか、今まで皆無であった。
 特に知り合いもいない。
「人違いじゃないのか」
「それが、私も何度も確認したのですが……」
 どうやら、間違いではないらしい。使用人も困惑している。これ以上引っ張るのもかわいそうか……会ってみれば済む話だ。
 よほど怪しい客であれば、使用人がここまで話を持ってくるはずもない。それなりに地位の在る人間なのだろう。
 少年は軽く手をあげて、通してくれ、と態度だけで示した。
 使用人はほっと胸をなでおろし、すぐさま頭を下げて一旦部屋を出て行った。しばらくして、再び部屋の扉がノックされる。
「開いている」
 決まった返事を返して、扉が開けられた。
「やぁ」
 扉を伺うと、人当たりの良さそうな青年が立っていた。笑顔を浮かべ、軽くお辞儀するその仕草は、彼がいいところのお坊ちゃんであることが知れた。貴族だ。
 光の加減で、赤にも見える茶色の髪。海よりも深い澄んだ蒼色の瞳。それで、彼がこの大陸の人間ではないことが分かる。
 そしてなぜか、そんな青年の傍らに当たり前のような顔をして佇んでいる、幼い少女の姿。親子のようには見えないし、兄弟にしては年が離れすぎているようにも見える。そのアンバランスさに、凪は眉をひそめた。
「初めまして。僕はディオール・アルバードというものです。不審者じゃないから、そんなに警戒しないで」
 不審がられるのには慣れているのだろう。明らかな凪の態度に気を悪くする様子もなく、ディオールと名乗った青年は、にっこりと笑みを刻んだ。
「……アルバード」
 凪はその名に僅かに目を見開く。
 アルバード家と言えば、南の大陸のみならず、他大陸でも知らない者はいないという程の大貴族だ。そんな名家の坊ちゃまが一体何の用だというのか。
「とりあえず立ち話もなんだから、座らないかい?」
「どうぞ……」
 目線でソファを見やり、それを受け取ったディオールは勝手に腰を落とした。先ほどからだんまりを決め込んでいる少女も、ちょこんと青年の隣に座る。
 それを確認してから凪も向い側に腰を下ろすと、ちょうどいいタイミングで使用人がお茶を入れてきた。テーブルの上に並べられたティーセットに、焼きたてのいいにおいがするお菓子。
 ディオールは遠慮なくその中の一つをとりわけ、少女に差し出した。
 渡されたケーキに一瞬目を輝かせ、しかし凪と目が合うとすぐに無表情に戻ってしまう。そのまま無言でケーキを口にした。
(何なんだ……一体)
 よく解らない二人の関係に、凪は怪訝そうにこっそりと溜息をこぼす。
「それで、今日君を訪ねたのは他でもない。単刀直入に言うと、君の力の覚醒についてなんだけどね」
 紅茶にミルクを入れ終えたディオールが、顔をあげてまたにこりと笑う。
 凪は意識して聞いていなかったため、彼が何を言ったのか全く分からなかった。
「何だと?」
「君、最近人形を作っているだろう?」
 ビクリ、と凪の身体がはねた。誰にも言っていない。言ったのは、たった一人だ。
 けれど、その一人から誰かに口外されることは絶対にない。
「そんなに怯えなくても大丈夫。別にそれを責めるとか笑うとかしに来たわけじゃない。作り始めたのはいつ頃から?」
「……一か月前」
 それまで、人形など作ったことはなかった。作り方さえ知らず、材料も道具の使用方法も分からないのに、なぜだか自分の手は勝手に動く。
 まるで、『知っている』かのように。
「何かに取りつかれたように、没頭してしまうだろう?」
「ああ。手が勝手に動くような感じだった。最初は」
 答えると、ディオールは紅茶を一口すすり、うんうんと頷いた。
「それはドーマとしての性だね。作らずにはいられない。最高のドールを」
「ドーマ?」
「ドーマとは、人形師のことさ。君のような特別な人形師の呼称」
「特別……」
「そう。人形を作る過程で、欲しいと思ったものはないかい? 足りないと感じたものが」
「!? あんた……何者だ?」
 作りたい。作りたい、最高の人形を。
 でも、足りない。どうしても足りないものがある。
 欲しい……欲しい。
 体が勝手に動く。勝手に作る。
 止められない。
 そして、いつも欲していた。
 欲しくてたまらなかった。
「人の、魂」
 そう思ったとき、どれほど愕然としたかわからない。
 人の魂など、欲する人間がどこにいる?
 どうして欲しいと思うのか、その渇望をどうして抑えきれないのか。
 夜な夜な街を徘徊するのは、自分が普通ではないのだと主張しているかのようで。まるで餓えた獣そのものの姿に、ぞっと体が震えるのを感じた。
「君は普通の人形師ではない。特別といえば聞こえはいいけど、ただの異端者さ。僕達は、神から見放された存在。魂を冒涜する者」
 ティーカップを受け皿に戻し、台詞の割には淡々とした口調でディオールは続けた。
「この世界の業を背負いし者。君も僕もそのドーマなんだ。そしてこの子が、僕が作った、ドール。生きた人形さ」
 先ほどから黙って青年の傍らにいた少女に視線を向ける。
(これが、人形だと?)
 凪は目を疑った。どこをどう見たって、人だ。当たり前に動き、焼き菓子も食べていたではないか。
 何を馬鹿なことを……本当なら笑い飛ばしてやりたい。
 でも、それを肯定する自分がいた。

 少女は人形で、青年が言っていることは正しいのだと。

「君の中のドーマの血が、この子をドールと認めているだろう? 否定できないだろう? 君には解るはずさ。この子の魂が、何によって縛られ、支配されているかを」
 白色した魂を汚すような赤黒い何か。
 まるで上書きするように、上塗りするように、その輝きを侵食している鎖。
 凪はそれを理解すると同時に、激しい吐き気を感じた。
 背筋が凍る。
 あまりにも、この世の理から逸脱している。
「……血、か」
「そう。僕の血を持って、終わろうとしていた彼女の魂を無理やりに人形の中へ繋ぎとめているんだよ。その反動で、人と変わらない姿を得た、可哀相な人形。それが、ドーマのドール。僕達だけが作れる人形」
「可哀相だと言うのなら、ではなぜ、魂を縛ったんだ?」
 ディオールの言葉は避難的だが、実際にそれを実行しているのもまた事実。凪はまだ、魂を縛ることはしていない。求めても、手に入れてはいないのだ。
「僕には彼女が必要で、彼女も僕を必要としてくれたから……かな。それこそ理由は人それぞれさ。僕らのようなドーマが、四大陸に一人ずついるんだ。今、西のドーマは欠けてるから三人だけど、いずれ近いうちに現れるだろうね」
「必ずそれぞれの大陸に一人ずつなのか?」
「そうみたいだね。僕も寿命を迎えた瞬間を見たことはないからなんともいえないんだけど……今回西のドーマが寿命を迎えたのだって突然だったんだ。交流は何度かあったけど、看取ることはできなかったな。欠けたドーマは欠けた大陸で必ず現れる。同じ大陸に二人、なんてことは今までにはないみたいだから」
 それはまるで、誰かの手によって定められているかのような……
「そうそう、北の子は君と同じ位の時期にドーマの力が目覚めてね。彼女もまだドールは完成させてないんだ。いずれは君たちも、それぞれのドールを完成させることになるんだろうね」
 日に日に増す衝動。
 他人の魂を冒涜するような行為に及ぶことには躊躇するが、これは人が息をするのと等しいほどの生理現象なのだ。ドーマにとっては、人形を作り魂を入れて完成させることこそが全て。
 それが業。
 それは呪いともいえる、鎖。
 己が手を汚し、理から反する者。ドーマ。
 人の命を預かるということは、生半可な覚悟ではいかない。それくらい、責任のあることだ。
 頭では解っていても、しかし凪は思い浮かんでしまった疑問を、口に出さずにはいられなかった。
「例えば……」
「うん?」
「例えば、ドールが新たに命を宿すことは、あるのか?」
 凪の問いに、ディオールの眉がピクリと動いた。少年の問いに含まれる意味を正確に読み取ろうと、表情を窺っている。
「それは、人形と交わるということかい?」
「人間と変わらないんだろう? そういうことが起こらないとも限らないんじゃないのか?」
「……全くない話ではないだろうけど、ドールがその身に新たな命を宿すことは、おそらくないだろうね。実証したことも、今までにそういったことを聞いたこともないけど……いくら人間のような姿をしていても、基は人形で、無から有は生まれない」
 ディオールの言っていることはもっともだった。
 頭に浮かんだ1つの案が、さざ波のように流れていく。
「でも、なぜそんなことを?」
 どこか不安気に、ディオールは凪の顔を覗き込む。まるで悪いことをした後に諭されるような、落ち着かないような面持ちで、凪は視線を落とす。
「知り合いに、足の不自由な娘がいるんだ。彼女に新しい身体をと……」
「その子のことが、好きなんだね?」
 ずばり言われるほど、態度に出ていたのだろうか。凪はぎくりと僅かに身を引く。顔を上げると、悲しそうに笑う瞳とぶつかった。
「?」
「凪。それがどういう意味か、解っているのかい? その子はもう、人間ではなくなるんだ。人形になるんだよ? それを、本当の意味で君は解っていない」
「それくらい解っている。だから、人間と同じように繁殖機能が備わっていれば、別に問題は……っ」
「あるんだよ。問題があるから、言ってるんだ。ドーマとドールは、同格じゃない。ドーマがドールを使役するんだ。関係は平等じゃない。そして、ドールにとってドーマは絶対的存在。ドールはドーマなしでは生きられない。僕達ドーマは、ドールになった者の思考までも縛るんだ。道具のように」
 いくら人と変わらない外見でも。
 本質は、人形なのだ。それは人間ではない。
 本人同士は愛し合っていても、それは夫婦ではなく、主従だ。
「それは、君が気にしていることなのかい?」
 言葉は柔らかいが、責められていることは解った。考え込んでいたところに、唐突な疑問が投げられ、凪は一瞬何のことか理解できずに眉を顰める。
「その女の子が歩けないことを、気にしているのは凪なのかな?」
「いや、気にしているのは俺ではないが……?」
「彼女の方が気にしているんだね? だったら、何も問題ないさ。人形に移し替えるとか、考える必要はない。歩けなくても、好きなんだろう?」
 好きなんだろう、と親しげに問われても、誰が素直に頷くというのか。
 凪は否定も肯定もせず、反応も返さなかった。ディオールは、それを勝手に肯定ととったようだが。
「気持ちがあれば、問題ないさ。あとは、君がどれだけその子を支えられるか。問題があるとすれば、それだけだよ」
 柔らかく微笑む青年に、どこか悔しいと思った。
 凪も、解っていた。自分がどれだけ馬鹿な発想をしたかなんて。それでも、凪は更が苦しんでいることを、知っている。
 誰だって、大切な人が苦しむ姿は見たくない。できれば、何とかしたいと思うのも、当然の気持ちではあった。
 だからこその疑問だったが、ここまでぴしゃりと正論を言われると、何だか悔しい。
「ははっ。初対面の人間にここまで言われたくないって顔だ」
 しかも思っていることまで思いっきり見透かされている。
 凪はますます不機嫌そうな顔を浮かべた。
「ごめん、ごめん。でも、これは経験者からのお節介だと思って、聞いてほしい。僕だって、百年生きていれば、厭でも色々なことを経験するよ。君みたいに若い頃が、僕にもあったんだ。今のように、大切な人とずっと一緒にいたいと、馬鹿な事をしでかしてしまおうかと思ったことも、あったよ」
 どこか遠くを見つめ、ディオールは聞いてもいないことをぺらぺらと話す。
 その中で、一つ気になる単語があった。
 百年。
 青年は百年と言った。百年生きれば、と。
 どう見ても、ディオールは20代後半くらいにしか見えない。彼の言うとおり、実際に百年を生きているならば、どれだけ若づくりなのだろうか。
「大袈裟じゃないのか?」
 凪は誇張された表現だと受け取ったらしい。けれど、ディオールは至って真面目だった。
「凪。僕達は異質なんだ。この世の業が生み出した、異端の者。僕達の寿命は、人とは違う。詳しい理由は解っていないけれど、僕達は不老長寿。ある程度成長すれば、それ以上の成長は止まる。僕は生を受けてから、もうすぐ百年になるよ」
 さっくりと告げられた事実に、言葉が出ない。
「ちなみに、ドールである彼女も、成長はしない。人形が変わらないのと同じように、彼女達は不変だ。それに加えて、治癒能力と戦闘能力には長けている。言ってしまえば生きた武器。僕達を守るための、ね……」
 解るだろう? というような表情で、ディオールが視線を向ける。
「人が百年も変わらない姿でいれば、それはただの化け物さ。僕達が生きていくには、この世界はあまりにも残酷すぎる」
 人は異種にはとても残酷だ。
 平気で恐ろしいことをやってのける。
 異種の殲滅が、まるで正義だとでも言うように。人間とはそういう生き物だ。
「僕達が生み出されたからドールを与えられたのか、ドールという理に反したものを作れるからこそ、こんな目に合うのか……始まりは解らないけれど、僕達は不変を生き、それから逃れることはできない」
 それが、運命だとでも言うように。
「僕達は、自らの命を絶つことは許されていない。僕達の生が終わるとすれば、その原因は、寿命のみ」
 ディオールの言葉に、とうとう凪は言葉を失った。
「凪。ここからは慎重に考えた方がいい。君は、誰かを愛したとして、変わらぬ自身と、老いていく者を目の前に、必ず見送る側になる。それに、耐えられるのかどうかを」
 例え、自分が耐えられとして、相手がそうとは限らない。老いていく自分と、変わらぬ相手を比較しないわけがない。
 苦しめることになるのかもしれない。凪は、柳眉を寄せた。
「好きな子がいるなら、ましてや想い合っているのだとしたら、いずれは決断しなくてはいけないよ」
「……」
 解っている。いずれはばれることだ。姿が変わらないのであれば、誰が見たっておかしい。
 ただ、自信がなかった。
 それでも自分と共に生きてくれるという、それだけの価値は自分には見当たらない。更が拒まないとも言い切れない。
 もし、拒絶されたら……
 両親のこともあるのに、凪はまた一つ、抱える問題が増えたことに、息を洩らすことしかできなかった。



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