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 次の会合の日に合わせて、凪はディオールを呼んだ。
 説明も交えて更と話をする時付き添ってほしい旨を伝えると、彼は快く引き受けてくれた。
「やぁ、初めまして更ちゃん。僕はディオール・アルバード。ディオって呼んでね」
 手の甲に軽くキスを落とし、ディオールが紳士的な挨拶をするのを黙って見守っていた凪に、更の視線が向けられた。
 驚いたような複雑な表情が浮かんでいる。凪はそれに苦笑しながらとりあえず頷いて見せた。
「アルバードって、あの?」
「アルバード家を知ってるのかい?」
 困惑したように問う更に微笑みながら、当の本人はあっけらかんとしている。
 その様子を見て、更はますます困惑した。知っているも何も、知らない人間の方がいないのではないかというくらいの大貴族だ。
「まぁ、アルバードと言っても、僕はあの家とは殆ど絶縁状態だからね。僕自身に大した力はないよ」
「そ、そう……」
 貴族にしてはやけに気やすい。普通ならもっとお高く留まっているものだ。
 更はどう接していいか掴めず返事も曖昧になる。
「そんなにかしこまらなくても大丈夫だ、更。ディオールとは別に貴族間としての付き合いをしているわけじゃない」
「……それって、もしかして凪の力の?」
 察しのいい更が、ハッとしたように二人を見比べる。
 それならば、ディオールを紹介されたのにも納得がいく。
「察しの通り、僕も凪と同じ力を持ってるんだ。といっても、僕の方が随分先輩だけどね」
 えっへんとなぜだか得意げのディオールに、更はようやく緊張の糸を緩めた。
「今日は力のこととこれからのことについて僕からも説明を加えようと思ってきたんだよ」
「俺も、自分の置かれた状況をまだ理解しきっていないからな」
 凪は凪で、置かれた状況に不安を抱いている。そんな二人がこの先を相談したって、不安しか生まれないだろう。
 更は努めて真面目に頷いて見せた。
「聞かせて……覚悟は、できているわ」





 以前、凪に説明したことと同じような内容の説明を終え、それぞれの反応を浮かべて沈黙する。
 更は呆気にとられたように瞬きを繰り返すだけだった。
 話の半分以上が理解できていない。
 あまりにもありえないことばかりで、想像が追い付かなかった。
「大丈夫か? 更」
 躊躇うように肩に置かれた掌がかすかに震えているのに気付いて、更はようやく顔を上げた。
「ええ、すこし吃驚していただけ」
 その手に触れながら、ぎこちない笑みを浮かべる。不安そうな凪の表情。
 それはそうだろう。人とは違う力を持ってしまったために、人としての寿命すらも超越してしまうなんて、不安でないはずがない。
 長い時間を、一人で生きなければいけない孤独。その心細さを、更は少なからず知っていた。
「なんといったらいいのか……現実的に考えれば、あり得ない話すぎて……」
 そう。ありえない。そして、仮にそれが事実だったとして、簡単に消化できる話ではなかった。
 ドーマの力。
 不老長寿。
 生きた人形。
 それらが全て、現実的にありえないことだ。理から逸脱しすぎている。
 頭が回らない。更は、混乱していた。
「ごめんなさい、凪。考えがまとまらないの。言葉が見つからなくて……少し時間をもらえる? これからどうしていくべきなのか、最善の選択をするためにも、冷静になる時間が必要だわ」
 自分がドールになれば、全てが解決することもなんとなくわかっていた。でも、すんなりとそれが言えない。なぜだか、そこに踏み込んではいけないような気がして。
 しかし凪には、それが受け入れようとしてくれていると取れたのだろう、少しだけ肩の力を抜いて頷いた。
「俺も、正直混乱している。そういってもらえると、助かるな。俺は、どうすればいいのか解らないんだ」
「そうよね……考えましょう、一緒に」
 一緒に。
 その言葉が、どれほどうれしいか、きっと彼女には解らないだろう。
 こんな得体のしれない自分を恐れるでもなく、共に考えようといってくれる存在が、どれほどありがたいか。
「焦ることはないさ。まだ時間はあるからね」
 二人を見守っていたディオールが割って入った。更もその言葉に少しだけ肩の力を抜く。
 そうだ、何も今すぐに変化が起こるわけではない。二人の外見に差が出始めるのはもう少し先だし、だからといってすぐさま決断しなければいけないということではない。
「ところで、気になっていのだけど」
「うん?」
 冷静さが戻ってくると、ふと更の中に一つの疑問が浮かんだ。ディオールを見ながら、首を傾げる。
「ディオ君にはドールがいるのよね? その子は今どこに?」
 先ほどの説明からすると、ディオールには既に完成させたドールがいるはずなのに、今はその姿はない。
「ああ、ロコなら凪の部屋でお留守番してるよ」
「連れていなくていいの?」
 ロコ、と呼ばれたドールの姿を想像しながら、更は不思議そうな顔のまま食い下がる。
「あー……実はドールになってから日が浅くてね。ロコ自身の精神状態もまだ不安定なところがあるから、あんまりこういう話を聞かせたくないっていうか」
「それであんなにピリピリしていたのか」
 どこか納得したような凪の言葉に、ディオールが目を丸くする。
「そんなにピリピリしてたかい?」
「ああ。可愛げないとは思っていた。俺を明らかに敵視した目で見ていたからな」
 いつも不機嫌そうに凪を見ていた幼女。しゃべることもなく、表情も硬い。
「そうなんだよね、彼女は昔色々あって、どうも貴族を嫌悪してしまう癖が抜けなくてね。ここに連れてくるのも迷ったんだけど、僕たちは一定距離離れられないから」
 申し訳なさそうにディオールが頭を掻いた。
「お互い不快感を与えるんじゃないかと思って、凪の部屋で待たせておいたんだけど、ごめん、代わって謝るよ」
「別に構わないが。俺も正直貴族は好きになれない」
 凪も元々貴族の出ではない。彼らの窮屈な仕来りやらなにやらが、煩わしくないわけがなかった。
「私も、ごめんなさい。そんな事情知らなかったら。気にしないで」
 ふと疑問を口にしただけだったが、予想以上に奥が深くて逆に申し訳なかったと更は慌てて取り繕う。
「それじゃぁ、今一人なんでしょう? 寂しい思いをしているんじゃないかしら。戻ってあげて?」
「え、でも……」
「私のことは気にしないで。少し混乱しているし、一人でゆっくり考えたいかなって」
 更に背を押されるように二人は躊躇いながら戻る選択を余儀なくされた。
 そろって部屋を出ると、沈黙したまま螺旋階段を下りる。等間隔で置かれたランプの炎だけが揺らめいていた。
 凪は先ほどの会話を思い返し、反芻する。
 これからのこと。
 途方もない時間の中で、必ず来る別れ。
 正直、その時自分が耐えられるのかどうかわからなかった。想像もしたくないことだ。時を刻むことを忘れた自信と、目に見えて時を刻みながら変化していく更を前にお互いの気持ちが変わらないとも限らない。
 いつか更に拒絶されるかもとと思うと、恐ろしかった。
「凪」
 ぞくりと悪寒を感じたその時、ふいに後ろから呼び止められた。振り返るとディオールが歩みを止めて、言葉を切り出すべきかどうかを悩んでいるような様子で凪を窺っている。
「何だ?」
 凪はあえてそれを促した。なんとなく彼が言いたいことが分かったからもあるが、気持ちを切り替えるのにちょうどいいと思ったからだ。
「いや、その……他所の家の事情に首を突っ込む気も口をはさむ気もないんだけどね。これは純粋な好奇心というか……更ちゃんは、一体どういう立場にあるんだい?」
 想定通りの問いに、凪は小さく肩を落とした。
「正直俺も、詳しくは知らない。昔何度か聞いたことがあるんだが、更がそれに答えたことはないんだ」
「普通に考えてリラーゼ家の息女だと考えるべきだよね? そうすると凪、君と更ちゃんは……」
 この家に使用人でもなく暮らしているということは、おそらくはリラーゼ家の正当な息女であることは容易に想像できた。
 そしてそれが何を意味するのか、歳を重ねるごとに否応なしに理解させられた。
 おそらく凪と更は戸籍上では姉弟ということになるのだろう。
「仮にそれが事実だったとして、実際血のつながりはないんだ。問題はないだろ」
 更が自分の素性を明かしたくないのは、おそらくそれが事実だからだ。いくら義姉弟だからといっても、そういう関係になるのは気が咎めたのだろう。だから、言わなかった……いや、言えなかったのかもしれない。
「君って意外とハッキリしているんだな」
「馬鹿にしているのか?」
「いや? 褒めているんだよ?」
 キッパリと言ってのけた凪に対し、むしろディオールの方が面喰っている有様だった。そんなことは大した問題ではないと断言する様は聞いていて悪い気分にはならなかった。
「まぁ、実際何の問題もないしね。近親婚なんて貴族間じゃ珍しくもないし」
「そうなのか?」
「うん。自分たちの財産と名誉を守るためにね。貴族ってのはものすごく業の深い人間の集まりなんだよ。だけど、それだとひとつ解らないことがあるなぁ」
 さらりと恐ろしいことを言ってのけた割には、当の本人はのほほんとしている。凪は黙って続きを待った。
「更ちゃんがリラーゼ家の息女なら、なんで凪を養子にとったんだろうね? それにあんな隔離されるような扱いをされていることも不思議だし」
 それは凪もずっと考えていることだった。
 更が正当な血筋の息女ならば、凪の存在は明らかにおかしい。貴族は何よりも正当な血筋に拘るものだ。跡継ぎならばなおさら軽視できる問題ではない。いくらできがいいからといっても、縁もゆかりもないような子供を引き取り当主に祭り上げることなどほぼ不可能。一族の反対は必至。
 それができるということは、リラーゼ家が衰退していることを意味している。
 貴族というものに詳しくない凪は知らないだろうが、リラーゼ家が随分と前から衰退し始めていることに、アルバード家は気づいていた。もちろん、ディオールも。
 実際、今の四大陸の中でそういった貴族はリラーゼ家に限った話ではない。近年、エレウス以外の大陸は進む荒廃化に悩まされてきた。
 人が増え、文明が栄え、大気を汚し、大地を侵してきたツケが回ってきたのだろう。その中でも、東の和は一番荒廃が進んでいる。
 その和の代表ともいえる貴族であるリラーゼ家の衰退は、おそらく荒廃化と無関係ではないだろう。
「これは俺の予想だが、更もおそらくリラーゼの血は引いていない。母の体が弱いのは生まれつきだと聞いた。そのせいで子どもは産めないと医者から宣告されていたそうだ」
「なるほど。だとすると、更ちゃんを当主にできない理由があとから発生した、と考えるべきか。彼女の足とその辺何か関係があるのかな?」
「……さぁな。どちらにせよ、どうせ俺の代でリラーゼの血が耐えるんだ。どうでもいいだろう。俺が潰すまでもなくリラーゼ家は衰退し始めているしな」
「! 凪、君……リラーゼ家を潰すつもりだったのかい?」
「そうしなければ更を解放できないというなら、迷わずやっただろうな」
 自嘲するような笑みを浮かべた凪に、ディオールは柳眉を寄せた。
「それはどういう?」
「俺が当主についても、母がいる限り更は自由にはなれない。むしろ俺がリラーゼ家を潰すようなことをすれば、要らぬ火の粉が降りかかりかねない」
 逆上した麟が更に何をするかわからない。
 あの塔に入れないと言った麟は、そこに更がいることを知っていたはずだ。おそらく、二人の間に何かがあったと考えるのが自然だろう。
 人一人を幽閉するほどの何かが。
「なるほど、麟さんか……リラーゼ家の正当な血を受け継いでいるのは彼女だからなぁ」
「なに?」
 ディオールは納得したような声を上げたが、今度は逆に凪が訝しむように眉をひそめた。
「どういうことだ?」
「あれ? 知らなかったのかい? 今の当主である閑(しずか)さんは婿養子なんだよ。裏で実権を握っているのは、正当な血を受け継いでいる麟さんってこと」
「……つまり、養父はただの飾りってことか?」
 凪の中で、絡まっていた糸が全てほどけた。ずっと引っかかっていた疑問がするりと解けていく。
 父である閑・リラーゼは、ずっと更のことを気にかけている様子だった。凪が近づくのを禁じられたあの塔へ入ったきっかけも、父の一言からだ。
 その父が、なぜ正当な息女である更をあの塔へ幽閉したままなのか、ずっと疑問だった。彼はこの家の頂点に立つ者だ。彼の言うことはいわば絶対。決定権はずっと閑にあるものだと思っていた。
 だが、その決定権が麟にあるならば、全ての辻褄が合う。
 更の幽閉に誰も異を唱えられないことも。
 孤児だった凪を養子にし、跡継ぎに祭り上げたことも。
 閑に対しての態度や物言いも。
「麟さん、昔は今とは違って、とても物静かでおっとりした人だったらしいよ。僕は面識がないからそれすらも風の噂で聞いた程度だけど」
「そう、なのか?」
「うん。心配性過ぎるのが玉に瑕なくらい他人を思いやる優しい人だったらしいけど、一体何が彼女を変えたんだろうね」
 凪が麟と出会った時には既に今の状態だった。
 あの母がおっとりなどと、正直想像できなかった。
「まぁ、人ってのは変われるものだからね。良くも悪くも」
 ディオールの言葉に、凪は視線を落とした。
 母と更の間に、何があったかは知らない。けれど、確かに何かがあったはずなのだ。
 だからといって、更への有り様は誰が見たって残酷だと感じる。いくら権限があるからといって、一人の人間の人生をあそこまで完璧に縛り付けることが許されるのだろうか。
 これはいよいよ自分達の関係がばれるわけにはいかなくなった。想像して、凪はぞっと背筋を凍らせる。
 執拗なまでに遠ざけて疎んでいる更と、執拗なまでに溺愛されている凪。二人が想いあっているのだと知られたら、冗談ではなく更は殺されてしまう。
 絶対にばれてはいけない。
 悟られてはいけない。隙を見せてはいけない。
(大丈夫だ。今までも隠し通してきた)
 心の中で念じながら、凪は静かに息を吐いた。顔を上げる。
 当面はこれからのことについて考えなくてはいけない。未来を見据えれば不安しかないが、それでもその先にあるものが絶望だけではないのだと、一筋の光を見るように目を細めて凪は少しだけ肩の力を抜いた。



 その背中を見届ける視線に、気づかぬまま……





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