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 目の前で湯気を上げながら、カップにお茶が注がれた。
 慣れた手付きで、少女がお茶の支度をしてくれたのだ。冴はその光景をぼんやりと眺めながら、緊張を解きほぐそうと試みる。
 甘い香りが広がった。
 数分前。
 冴達は、漆黒の青年の案内によってこの大広間に通された。
 無駄に長いテーブルと、装飾の施された豪奢なイス。向かい側に青年とディオ。そして冴の隣に、先ほどの少女がそれぞれ腰を降ろしていた。
「とりあえず自己紹介からにしようか」
 少女がそれぞれのカップにお茶を注ぎ終わるのを待ってから、ディオが口を開く。
「ではまず、僕から。名前はディオール・アルバード。ディオ、と呼んでくれて構わないよ。それから、彼女が……」
「ワタクシはロコよ。貴女と同じ、ドール」
 ディオールの語尾に続けるように少女、ロコが笑みを浮かべて冴を見上げた。その表情は、生まれて始めて受け取る友好的なものだった。
「で、問題の彼が……」
「凪(ナギ)」
 ディオールの隣で、相変わらず無表情、無口を決め込んでいた青年が、徐に口を開いた。開いたといっても、たったの一言なのだが。彼は、言葉と言うよりも口調が単語だ。要点しか言わない。
「補足すると、フルネームは凪・リラーゼ」
 そんな凪の横で、ディオールが苦笑混じりに付け足した。冴は口の中でその名前を繰り返す。
 凪・リラーゼ。それが、冴を助けた青年の名前。
「あ、私は……冴、といいます」
「冴ちゃんだね」
 冴は頷くと同時に、俯いた。彼女には姓がない。今の和に住んでいる者殆どに、姓はなかった。
 姓が在るのは、それなりに身分の高い人間だけだ。彼らに姓があるということは、冴とは違う、高貴な存在ということになる。
 その事実に、彼女は急に居心地の悪さを感じた。
「冴? 気分でも悪いの?」
 俯いたままの冴を覗きこむようにロコが心配そうな表情を浮かべ、冴の肩に手をのせる。小さな手が、温かい。
「大丈夫……」
 その小さな手をそっと外し、冴はかぶりをふった。こんな幼い少女に、心配をかけさせてはいけないと、ぎこちない笑みを浮かべる。ロコはそれで、ホッとしたように胸をなでおろした。
「よかった。無理はしないでね? 気分が悪ければ休んだ方がいいんだから」
「色々とわからないことがたて続けに起こったせいで、不安定になっているのかもしれないね」
 ディオールの言葉に、冴はハッとした。聞きたいことは山ほどあるのだ。その物問いた気な冴の視線に気づき、彼は悪戯な笑みを浮かべる。
「そんなに焦らなくても、逃げたりしないから」
 からかうようなそれに、冴はどう反応していいのか分からず、結局小さく頷いただけでうまく返答できなかった。
「そうだな、まず最初に、僕等のことから説明しようか」
 笑みを絶やさないディオールが、ちらりと凪を垣間見る。すぐに視線を逸らし、今度は冴をまっすぐに見つめた。その蒼い瞳が、一瞬揺れる。冴はそれには気づかずに、その飲み込まれるような深い瞳に魅入ってしまっていた。
「僕達は、一般的にいうと人形師なんだ」
「人形師?」
「そう。人形を創ることを生業としてるんだよ」
 ディオールの台詞に、そういえば、と冴はふとあることを思い出した。目が覚めたときに見た、あのアンティークドールの数。気持ち悪いほど細巧に創られた人形達。あれは、おそらく凪が創ったものなのだろう。だからあれだけの数の物が並べられていたのだ。冴は妙に納得する。
「っていうのはまぁ、表向きの、なんだけどね」
「え?」
「……僕達は、普通の人形師とは違うんだよ」
 いくらか低くなった声のトーンに、冴は息を呑んだ。ディオールから笑顔は消えないが、明らかに目が笑っていない。
「普通の人とは異なった力がある。それは異質であり、この世の理に反するもの……」
 異質、異様、異端。
 普通の人間とは違う、異なった力。そんなものが存在するのかと、冴は疑念した。からかっているのだろうか? 一瞬そんな思考が過ぎったが、彼の真摯な瞳に、すぐその考えを打ち払う。
「僕達は、この能力ゆえに自分達のことを道魔(ドーマ)と呼んでいる」
 道魔。
 ロコの台詞の中にも出てきたその単語を、冴はすんなり飲み込むことができなかった。
「道魔……力を持って人形を操る者達。そのドーマが創った人形が、ドールなんだよ」
 ディオールは一転して穏やかな笑みを浮かべ、ロコに視線を移す。その視線に少女は頷き、冴に面を向けると、咲き誇るような笑顔を向けた。
「そのドールが、ワタクシなの」
 屈託なく広がる笑みは、冴の胸をつく。ロコは自分のことをドールだと躊躇いなく告白した。
 彼女が、人形? 人ではない?
 この自然な笑みを浮かべる少女が?
「人形……なの?」
 恐る恐る紡がれた言葉は、弱々しく空気に溶けた。とてもじゃないが、ロコが人形であるなどとは思えない。人間となんら変わらない、表情もあるし、何より自然な動きをする。
 人形は、ひとりでには動かない。ましてや、意思を持って喋るなどもっての他だ。
「ええ。根源はそう。でも、魂が入った瞬間から、その衝撃と力の作用によって、人間の身体に限りなく近いものになるの。空腹も感じるから食事もするし、神経があるから痛みも感じるわ」
 ロコが得意げに説明するのを、冴はまるで他人事のように聞いていた。
「冴も、ドールなのよ?」
 その雰囲気が伝わったのか、ロコは確かめるように冴に告げる。一瞬何を言われたのか解らずにきょとんとしていたが、すぐにその言葉が冴の身体に染み込んでいった。
 自分が、人形?
 冴は咄嗟に自分の掌を見つめた。肌の質感は人間であった時と何ら変わらない。どちらかというと、今の方がより人間らしい滑らかな肌をしていた。  これが、人形?
 不安が覗いた。
「これこそが、異端」
 冴の心情を察したかのように、ディオールが抑揚のない声音で紡ぐ。冴はそれに顔を上げ、彼を見つめる。ディオールの言わんとすることが理解できずに、首を傾げた。
 その間中も、不安は消えない。ずっと冴の中にとぐろを巻き、ひっそりと蠢いている。
「さっきも言ったね。僕達は人とは異なった力があると。それは、この世の理に反する……魂を掌握し、人形の肉体をも変貌させてしまう力」
「魂の、掌握?」
 冴は無意識に繰り返していた。それがどういうことであるのか、解らなくて。
「どんな生命体にも、必ず魂が存在する。いうなれば生きるための核ともいえる、生命を維持し、保つためのエネルギー体、と言えば解りやすいかな?」
 冴はその説明を口の中で反芻し、やがて飲み込むと頷いた。ディオールはその応えに目を伏せ、テーブルの上に肘をつくと、口元の前で手を組む。笑みが、消えた。
「魂は通常、死を持ってしか身体を離れることができない。器と魂を切り離す切欠は、死という衝撃によってでしかありえない。そして器から切り離された魂は、瞬時に消滅する。ここまでで何か質問はあるかい?」
 冴はかぶりを振った。
「僕達は人が瀕死の状態に陥った場合のみに、器から魂を引き離すことができるんだ。魂が抜けて消滅する前に」
 器から抜ければ、魂は消滅する。完全に死んでしまった後では、魂を掴むことはできない。身体と魂が切りはなされた瞬間こそが、死、なのだから。
 けれど、瀕死の状態であれば、魂は酷く不安定な状態になる。身体に定着する力が弱まり、そのために彼らは容易に、消滅する前に魂を身体から切り離すことができるのだ。逆を言えば、健全な者の魂は、抜き取ることは不可能ということになる。
 冴はそれに、驚きの色を見せた。人の魂を掌握する力。そんなことが、本当にできるというのか。
 信じられない。信憑性がなさすぎ、また非現実的すぎる。
 けれど予想通りの反応に、ディオールは苦笑を浮かべた。冴のそれは、当然と言えば当然の反応だろう。
「信じられないだろうね。でも、冴ちゃんの身に起こったのは、まさにこれなんだ」
 フッと困ったような笑みが浮かび、その表情が冴に向けられた。
「瀕死の状態に陥った覚えがあるだろう?」
 問われ、冴は咄嗟に頷く。
 忘れられるはずがない。母親に刺され、死の淵を漂っていたあの瞬間を。
 苦しくて、痛くて、でも死にきれなくて……死にたくなくて必死に抗っていたあの記憶を。
 きっと一生、冴は忘れることなんてできない。
「その時に、彼が冴ちゃんの身体から魂だけを抜き取ったんだよ」
 言いながら、ディオールは凪に視線を移した。その視線に気づいたように、凪は彼を一瞥し、それから冴に視線を向ける。冷たい瞳。それとかちあって、冴は無意識に肩を揺らした。
 怖い、と思ってしまう。
「冴ちゃんの魂を、今のその身体、つまり人形に移し替えることで、冴ちゃんは新しい身体を得た、ということになる」
「あ……」
 さらりと何事もなく言い放ったディオールに、冴はそれで、と納得した。だから鏡に映った顔は自分のものではなく、別の女のものになっていたのだ。これで冴は、ディオールの話を疑うわけにはいかなくなった。
 疑えない。だって、全ての辻褄があってしまうから。
 突然容姿が変貌したことも、受けた傷がないことも。自分が人形である事実はまだ上手く飲み込めないし、信じ難い。けれど、繋がっていく真相に冴が小さな安堵を覚えたのも事実だった。
 しかしそれも束の間、冴は一つの疑問に行きつく。今の自分の身体が人形だというのなら、それでは一体、元の冴の身体はどうなったというのか……
 厭な考えが冴の体内を駆け巡った。
「私……私の身体は?」
 尋ねると、ディオールの表情が曇った。逡巡するようにしばらく沈黙し、ゆっくりと口を開く。
「……冴ちゃんの身体は、極論をいえば、死んだ、ということになるね」
 彼の発した単語が瞬間、冴を貫いた。
 死んだ……?
 その途端、せり上がるものを感じる。冴の中でとぐろを巻いていた不安が、ゆっくりと浮上し、冴を飲み込もうとする。眩暈がして、酷い吐き気に襲われた。
 死んだ。自分の身体は、もうない?
 けれど、意識はある。今自分は、生きている。
 何たる矛盾。
 身体は死んでいるのに、もうないのに、記憶も、意識も、生きているという実感すらもある、この状態。
 解らない。
「嘘……」
 身体が無意識に震えた。冴は自分を抱きしめるように身を屈める。
 この身体は、冴のものではない。冴の身体じゃない。
 急に自分の存在が不確かなものに思えた。魂だけが残り、器は全く別のもの。



―――――私は……本当に冴?



 それは果たして冴と呼べるのだろうか。
 意識や記憶は冴のものでも、それと同じように成長してきた体は死んでいる。
 冴は腕に力を込めた。
 自分は誰。本当に、生きているの?
 混乱が湧く。身体が強張って、酷い寒気を感じた。
「冴っ。ディオ! もう少し考えてものを言いなさいな! 直球過ぎるわっ」
 ロコが今にも崩れそうな冴の身体を支え、ディオールに一喝する。優しく背中をさすりながら、ロコは大丈夫、と声を掛け続けた。
 背中に温かい熱を感じ、けれど今の冴には、ロコに気をつかえるだけの余裕がなかった。自分を抱く腕の力を緩め、ゆっくりと息を吐き出す。その途端、軽い眩暈に襲われ、冴はイスの背に背中を押し付けて、後ろへ項垂れた。手足に力が入らず、だらりと降ろした状態のまま。
 天井に飾られたシャンデリアの淡い光が、冴の視界を突き刺す。冴はそのまま瞳を閉じた。
 暗転する意識の中、それを手放さないように必死で奥歯を噛む。
「……冴」
 トーンの高い澄んだ声が、遠慮がちに掛けられる。けれど、それに反応することさえできない。
 解らないことだらけだったものが一度にばらけ、そこに受け入れられない事実が圧し掛かり、冴を押しつぶそうとしていた。酷い圧迫感を感じて、彼女は低く呻く。
「だから、言っただろう」
 ポツリと、まるで冴を心配する様子もなく、凪の声が静まり返った空間に浸透した。冴は弾かれるように身体を浮かし、イスから背中を離して視線を頭上から目前に移動させる。気持ちの悪さよりも、何故か凪の存在の方が冴には大きかった。視線が交錯する。
 その、冷ややかな瞳。
「お前は元の生活には戻れない、と」
 嘲笑うような口調。
 それは、部屋に案内された時に言われた、冴にとっての疑問の言葉。
 強引に突きつけられた現実に、冴は言葉を失った。



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