07 もう、逃げたくないから 案の定、凪に食事をとらせるのは困難を極めた。 そもそも、部屋を訪れても返答がないのだ。 本当に部屋にいないのか、それとも居留守を決め込んでいるのかは分からない。扉を開けるまでは冴もしないので、確認のしようがない。 「凪? いませんか?」 何度か扉をノックする。返答はもちろんない。 これで一週間、まともに凪の姿を見ていないことになる。 それでもめげずに部屋の前に食事を置いておくのだが、それらに手をつけた気配もない。朝食を下げ、持ってきた昼食を代わりに置く。これの繰り返し。 「今日も音沙汰なしかい?」 「ディオ」 しょんぼりしながら戻ってきた冴に、ディオールが慰めるような視線を投げる。冴は肩をすくめて、困ったように笑った。 「凪は、私のことが嫌いなのかな……」 「どうして?」 「部屋にいるなら、呼んでも出てきてくれないのは、私に会いたくないからなのかなって」 「うーん……凪はあんな感じだから誤解されやすいけど、完全に無視するってのも意外とできなかったりする性格なんだよね」 「じゃぁ、本当にずっと部屋にいないってこと?」 「多分、書庫とか、アトリエじゃないかなぁとは思うんだけど」 「アトリエ?」 聞きなれない単語に、冴は首を傾げる。 その反応に、ディオールは納得したような表情を浮かべた。 「そうそう。言ってしまえば作業場だね。人形を作る作業場を、アトリエって呼んでるんだけど、そうか。考えてみればあそこに籠ってるのかも」 「人形を作ってるってこと?」 「仕事の依頼は暫く入ってなかったと思うけど……どうだろう?」 「仕事?」 「僕たちは作った人形を売って、生計をたててるからね。僕はその仲介もやってたりするんだ」 異端の人形師、ドーマ。 確かに人形師なのだから、人形を作って生計をたてるのはおかしいことではない。 けれど冴は、どうしても拭えない違和感があった。 「私たちみたいな、動く人形を売るの?」 見ただけでは人間と変わらない、ドール。 それは、人形というよりも人間を売っているみたいで、あまりいい気分ではない。 冴の言わんとすることを理解して、ディオールは苦笑した。 「違う違う。普通のアンティークドールだよ。動きもしないし、ましてや魂なんかも入ってない。本当にただの人形さ」 それに、とディオールは続ける。 「ロコや冴ちゃんのようなドールは、一体しか作れないんだよ。一人のドーマに一体のドール。そういうルールだから」 「そうなの?」 「そう。仮に新しいドールを作りたければ、今あるドールを壊すしかない。それの意味は、わかるよね?」 苦い表情を浮かべたディオールを見て、言わんとすることを察した。 壊すということは、殺すということなのだろう。 魂を消滅させる。つまりはそういうことだ。 「じゃぁ、凪はいつでも私を殺せるのね」 「え?」 「凪に言われたの。余計な詮索をしなければ、邪魔じゃないって。でもそれって、邪魔になったらいつでも殺せるぞってことでしょう?」 「冴ちゃん、それは……」 傍から聞いていれば物騒な会話だが、冴は不思議と冷静だった。 「私ね、ずっと、何も言えなかったの」 何が、と口を開きかけたディオールに、視線だけで制止する。 「毎日毎日、いつ殺されるんだろうって怯えながら、今まで生きてきたから……嫌でも辛くても、何も言えなかった。だけど結局、あんな終わり方を迎えるんだったら、言えば良かったって、思ったの。 私は物じゃないよ、私にも心があるんだよ、って、お母さんに伝えればよかった」 その結果、母の逆鱗に触れることになったとしても。 伝えることを初めから放棄してきた二人には、結局終わりしか待っていなかった。 もっとちゃんと伝えていれば、主張していれば、何か変わったのだろうか。変えられたんだろうか。 あったかもしれない未来に、冴は終わってから気が付いた。 「だから、今度は逃げたくないの」 それは彼女の意志だった。心に収めた、固い意志。 例えその結果が、また終わりへと続くものだったとしても。 「……行ってみようか、アトリエ」 「いいの?」 「冴ちゃんにそこまで言われたら、嫌だなんて言えないかな」 「ありがとう! ディオ」 それは無意識だったのだろうが、破壊力は抜群だった。 綻んだ冴の笑みに、ディオールは良心がズキリと痛むのを感じながら、それを表に出さないように薄ら苦笑してみせた。 凪のアトリエは、想像していた場所とはかけ離れたところにあった。 この屋敷には温室がある。中央に噴水が設置され、そこを中心に輪になった花壇が並んでいる。今はそこに何も植わってはいないが、花が咲けば見事な温室だろうことは容易に想像できた。 その温室の裏手に、小さな小屋があった。 おそらく当初は温室の手入れをするための管理室のような場所だったのだろう。剪定鋏や袋が朽ちて中身が零れた土が数個積み重なったまま入口の端で放置されている。 冴は物珍しさに周りを見渡しながら、部屋の奥にいる人物に視線を止めた。 「凪……」 集中していたのだろう。予期せぬ訪問者に、凪はピクリと肩を揺らした。 ゆっくりと顔を上げ、こちらを振り向く。 「なぜ、いる」 「その質問そのままそっくり返すよ。一体どれだけ缶詰してたんだい? 顔色が悪い」 食事はおろか、睡眠もまともにとっているような顔色には見えなかった冴は、ディオールの言葉に深く頷いて見せた。 「問題があるのか?」 「大ありだろ。冴ちゃん放ったらかしで、こんなところに何日も缶詰で、一体何をしてるんだ?」 「……別ルートで注文が入った。それを片付けていただけだ」 心なしか、ディオールの口調がきつくなっている気がする。それを感じ取ったのは冴だけではなかったらしい。 珍しく素直に凪が言い訳を述べた。 「君は……もう少し自分を大事にできないのかい? 一週間健気に君の部屋に食事を運んでいた冴ちゃんの気持ちを少しは汲んであげるべきだ」 「食事?」 「その様子じゃ、一度も部屋に戻ってないんだな?」 「納期の期日が短い」 つまりは肯定なのだろう。凪は興味が失せたように視線を手元に戻し、作業を再開した。 背中が、邪魔をするな、と語っている。 「作業の邪魔をするつもりはないけど、食事は最低限取るべきだ」 「私! 持ってきます!」 踵を返した冴の腕を、ディオールが掴んで止めた。 冴は不思議そうに腕の主を仰ぎ見て、咄嗟に表情をひきつらせた。 (怒って、る?) 基本的にいつもニコニコと笑みを浮かべている青年から、表情が消えている。 纏う空気も、どこか薄ら寒い。 「作業を捗らせたいなら、適度に休憩は取るべきだ」 「……何が言いたい」 「君が食堂へ来るんだ。食事をとってもらう」 「必要ない」 冷たい空気は伝わっているはずなのに、凪は一向に気に留める様子もなく作業をしながら短く答えた。 「……そうか。なら、仕方ない。行こう、冴ちゃん。君には色々と話さないといけないことがある」 「え?」 掴まれていた腕を体勢とは逆の方向に引かれ、体がぐらつく。それを支え、ディオールの腕を振り払うように冴を引き寄せたのは、凪だった。 「余計なことをするな」 「余計? 一体どれのことだろう?」 くすり、と馬鹿にしたような笑みが浮かぶ。こんな顔もするんだ、と冴はどこか他人事のように思った。 さっきから、二人が何を言っているのかさっぱり理解できない。完全に蚊帳の外だ。 「君が冴ちゃんに対して責任をとらないのなら、僕から説明するしかないだろう?」 「……脅しのつもりか?」 「食事、とる気になった?」 どうやらこの場はディオールの方が優勢らしい。凪は柳眉を寄せながら、小さく舌打ちした。 脅し云々と穏やかじゃない会話に終止符が打たれたらしい。折れた凪に満足したように、ディオールはいつもの笑みを浮かべた。 「人間素直が一番だよね」 ね? と答えを求めない問いを向けられ、冴はディオールを怒らせないようにしよう、と心の奥で誓った。 「明日は雪でも降るの?」 三人連れ立って食堂へ戻ると、夕飯の仕込みをしていたロコが、開口一番言い放った。 信じられないものでも目の当たりにしたように、どう反応を示すのが正しいのか困っているようだった。 「槍かもねー」 先程までの雰囲気が嘘のようにすっかりいつも通りのディオールが、さらっと酷いことをしれっと宣った。 「一体どうやって説得したの? 本当に槍が降ったらディオのせいよ?」 「ん? まぁ僕もやる時はやる男だってことかな? 槍は……降ったらごめんね?」 いつまでこのネタ引っ張るんだと止めるツッコミ役がいないせいで、会話が前に進まない。 冴は不自然に話題を変えた。 「食事! 温めなおしますね」 すっかり冷めてしまった昼食を、甲斐甲斐しく温めなおす。 冴の咳払いに気が付いた二人はちらっとお互い視線で会話をし、苦笑を浮かべた。 「邪魔するのもなんだから、僕たちは退散しようかね」 「そうね。部屋に戻っているわ」 「え?」 「仕込みは粗方終わったから、お夕飯までは自由行動にしましょう。またあとでね、冴」 退散する時は素早い二人。 そそくさと食堂を出ていくのを引き留める隙が無かった。 食堂にポツンと残された二人には、もちろん会話はない。 (ど、どうしよう。てっきりみんなでわいわい話をするのかと思ってたから……) 突然崖に突き落とされたような衝撃だった。 この展開は予想していたなかった。まぁ、予想できたとして、対処できたとは思えないのだが。 「え、えっと、とりあえずできるまで座って待っててください」 「……ああ」 凪は凪で、監視役のようなディオールがいなくなっても律義に残っている。一番にそれじゃ解散! となってもおかしくなさそうなのに。 素直に席について、食事が出てくるのを待っている。 冴はロコに教わった通りにスープとおかずを温め、新しくパンを切り分けた。既に切り分けていたものは少し乾燥して表面が硬くなっていたので、その分は夕飯の時に自分が食べることにする。 「お待たせしました。どうぞ」 我ながら完璧だ。と冴は内心ホッと一息つき、凪の向かい側に腰を下ろす。 凪は出された食事を前に、特に感想も表情もなく手をつけた。一口大に切り分けた料理を口に運ぶたびに、漆黒の髪が揺れる。 食事をする姿勢に乱れはなく、慣れた手付きでフォークとナイフを駆使している。 (食べ方、綺麗) 冴はテーブルマナーなど知らなかった。知るはずもなく、始めのうちはカトラリーが使いづらく食べづらいので、かなりストレスを感じていた。 満足に食事を楽しめず、折角の料理が台無しだと何度も思ったが、それでも根気よく使い続けることで、今では普通に食事を楽しめるようにまでなった。 凪にも、そんな時期があったのだろうか。ふとそんなことを思い、想像して、小さく笑みを零す。 「……何だ」 突然思い出したように笑った冴に気づき、凪が怪訝そうな表情を浮かべた。慌ててかぶりを振って笑みを消すが、凪の視線は外れないまま冴を捉えている。 その、吸い込まれるような漆黒の瞳。 強く射るような眼差し。 「どうですか? 口に合いますか?」 何となくこのまま彼の気をそらせるのも惜しいと思った。そんな冴の質問に、凪は面白くない、というような表情を作る。 「問題はない」 面倒くさそうに答えながら、視線を逸らす。台詞は冷たかったが、不機嫌なものではなかった。それが責めるような口調ならば、冴はいつものように口を噤んでいただろう。けれど、彼女は何かに背を押されるように問いを重ねた。 「好きなものはありますか? 嫌いなものは?」 知りたかった。何でもいい。別に食事の好みでなくてもいい。兎に角、凪のことを何か知りたかった。そんな彼女に迷惑そうな顔をして見せたものの、珍しくも凪が無視をすることはなかった。 「食べられれば何でもいい」 「甘いものは? 辛いものは?」 「……度が過ぎるものは好みじゃない」 まともに返答が返ってきたことに、胸を覆う氷が少し解けるような温かさを感じた。 緩みそうになる顔を抑えるのに必死になるほど。 相変わらずの無表情に、無関心。他人の介入を許さず、また、他人のことに全く干渉しない凪。 無愛想で、酷薄で、冷徹。会話も気まぐれで、決して楽しいものではないのだけれど。それでも今、少女は満たされていた。 理由はどうあれ、きちんと最後まで食事を終えようとしてくれている。 それだけで、今は十分だった。 |