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 空間が静寂を包む。
 淡く灯るシャンデリア。
 漆黒の瞳。
 真っ直ぐに向けられた、それは、皮肉。

「全てお前が望んだことだ」

 凪は淡々と言葉を紡ぐ。そこに感情は一切含まれていない。
 冴はその言葉を受け入れられず、口の中で持て余した。
 自分が、望んだこと?
 確かに冴は、死にたくなかった。
 あの時、助けてくれるという凪の言葉に自ら縋った。でもそれは、こんなことになるだなんて思ってもみなかったからだ。
 そう。あの時冴は何も知らなかった。
 凪が道魔であること。人の魂を扱い、人形に移し替えることができること。そして、自分の身体から魂が切り離されることも、全部、冴は何も知らなかった。  だから、凪の手を取ったのだ。

「私は……」

 言いかけて、言葉を飲み込む。
 助けてもらっておいて、非難の言葉を向けるには、あまりにも恩知らずというものだ。さすがの冴にもそれは理解できた。
 言葉がない。

「ちょっと!! お言葉ですけど凪・リラーゼ! どうせ貴方のことだから、何の説明もしなかったのでしょう!? それならばこの状況は冴の本懐とはいい難いわ!」

 ことの成り行きを見守っていたロコが、もう我慢の限界だといいたげな表情を浮かべながら、凪を睨みつけた。冴を庇うように、勢いよく立ち上がる。
 対峙する二人。しばらく睨みあって、ディオールが溜息混じりに仲介に入った。

「まぁまぁ、二人とも。今は喧嘩してる場合じゃないだろう」

 しかし、その呆れを含ませた一言が、ロコの怒りの矛先を受けることになる。

「ディオっ。大体貴方も、配慮というものが足りないのだわ! 貴方達には、ワタクシ達ドールの気持ちなんて解らないでしょうけど、自分の肉体がすでに存在してないということは本当にショックなことなのよ!? そんなことすぐに受け入れられるわけがないでしょう!」
「え、僕にもお怒りなの? ロコ」
「あたりまえでしょう! もともとはディオが直球すぎたのが原因なのだから! これだからドーマはっ!」
「うわぁ、あんまりな言い草だなぁ」

 心外だ、とディオールが穏やかな笑みを浮かべつつ、控えめな反論を繰り出す。けれどそれはものの見事に一喝されてしまった。

「おだまりなさいなっ! そういわれて当然のことをやっているのじゃない、貴方達は!」
「うーん……配慮の話になるとなんともいい返せないけど。でも、少なくとも僕らの力のおかげでロコも冴ちゃんもこうして生きながらえているっていうのは事実だよ?」

 ディオールの口調に、責めは含まれていなかった。ただやんわりと、まるで他人事のようにロコを宥める。

「それは……そうだけれど」

 ロコが言い淀む。そこを突かれると弱いらしい。彼女は言葉なくしおれた。

「でもまぁ、一度に極論を話しすぎたっていう点は否めないかな。確かに配慮が足りなかったね」

 苦笑を浮かべ、ディオールは徐に腰を上げた。カツカツと靴音を響かせながら、冴の隣まで移動する。緩慢な動作で彼女の顎を捉えると、自分の方へ引き寄せた。
 冴は突然のことに目を見開く。されるがまま、目前に彼の顔が近づいた。飲み込まれるような蒼の瞳。今にも吸い込まれそうなその深さに、冴は息を詰める。

「綺麗な瞳だ。もとが創りものとは思えないな」

 言いながら、ディオールはもう片方の手で冴の視界を遮った。目の前に掌をかざす。冴は急に迫った掌に、思わず瞼を閉じた。その途端、温かいものが身体の中に流れ込んでくる。
 安らぎともいえる酷く安堵を覚えるそれは、体中を駆け巡り、やがて冴の中でとぐろを巻いていた澱みを流していった。急に身体が軽くなる。

「これで少しは楽になったかな?」

 ディオールの手が離れた。目を開き、視線を上げると、間近に彼の微笑がある。冴はそれにドキリとして、慌てて視線を外した。小さく頷く。

「それはよかった」

 一体何が起きたのか解らなかったが、冴はそれどころじゃない。高鳴る心臓を沈めるために、必死で深呼吸を繰り返した。

「本当は凪がするのが一番効果的なんだけどね。頼むだけ無駄になりそうだったから」

 ディオールの気配が離れ、声もどこか遠くなる。顔を上げると、彼は元の席に戻っていた。

「今のは治療みたいなものなのよ。基本的にドールには、病や怪我といった類の現象は起きないの。もちろん、全く怪我をしないというわけではないわ。ただ、著しく自然治癒能力が向上して、怪我をしてもすぐに治ってしまうの。でも、精神的なダメージは自然治癒に長けていようが意味がないから、そういう時は、ドーマが負担を取り除いてくれるのよ」

 ロコが手早く説明を付け加える。冴は半分以上それが理解できなかったが、特に気になった部分を無意識に口にしていた。

「自然治癒の向上……って?」

 問いかけた冴に、今度はロコではなく、ディオールが答えた。

「ドールの身体は人間と限りなく変わらないといったね。けれど二つ、大きく異なる点がある。並外れた自然治癒能力と、獣並みの運動能力の高さ。ドールは怪我をしても、寸分違わずすぐに元の状態に戻る。かすり傷程度なら瞬きするほどの間にね」

 それを証明するかのように、ロコが徐に自分の掌を冴の前に突き出し、空になったカップを割った破片で、自分の指を掠めた。切られた場所からじんわりと血が滲んだが、けれど瞬きする間にそれは消えていた。
 吸い込まれるように鮮血が消え、傷口が塞がっている。時間が巻き戻されたかのように、傷跡さえ残っていなかった。
 冴は驚愕に言葉を失う。

「さすがに致命傷ともいえる傷になるとこうはいかないけど、それでも一日もあれば元通りになるよ」

 追い討ちをかけるように、ディオールがさらりと告げる。ロコもそれに同意するように頷いていた。
 しかし、冴はたった今見た光景に衝撃を受け、反応すらできない。あんなにも何事もなかったかのように傷が瞬時に治ってしまうなんて。

「とりあえず説明はこれくらいにしておこうか。あんまり一度に説明しても、余計混乱を招くだけだろうし」

 冴の反応が時を刻むごとに薄くなっていくのに気がついていたディオールは、労わるように微笑む。冴は話の区切りに小さく安堵を漏らすと、肩の力を抜いた。  正直、限界を超えていた。半分以上説明が理解できず、頭の中は混乱して理解したものまで解らない状態になっていたのだ。冴には、少しゆっくりと話をまとめるだけの時間が必要だった。

「当分ここに厄介になるつもりだから、解らないことはいつでも教えてあげるからね」

 にこやかな笑みを浮かべて、ディオールは当然のように告げた。しかし、それに瞬時に反応したのは、凪。あからさまに不快な表情を浮かべ、ディオールを睨みつける。
 一触即発な雰囲気に、冴は無意識に身を縮めた。ロコは呆れた風に肩をすくめている。

「帰れ」
「それは聞き入れられないな。案の定、君は冴ちゃんに説明の一言もなかったみたいだし。ドールが見たかったというのもあるけど、ここまでわざわざ足を運んだ理由は、その状況を想定したからだ」
「余計なことだ」
「心外だな。君は僕のおかげで説明する手間が省けたんじゃないかな? 感謝されても邪険に扱われる覚えはないんだけど」

 あくまで無表情、あくまで笑顔の二人は、ただならぬ圧力を放ちながら対峙する。お互いに引く気配はない。

「ワタクシも今回はディオの意見に賛成だわ。冴がいなければこんなところに長居は無用だけれど、冴一人を置いて帰るのは忍びないもの。特に、貴方のようなドーマの傍で、まだ状況も飲み込めてない状態なら尚更。それこそ、貴方がきちんと冴に説明するというのなら問題はないですけれど? どうせ放ったままなのでしょう」

 いかが? とロコに指摘され、凪は柳眉を寄せた。大半が図星なだけに、反論できない。
 やがて根負けしたように、荒く立ち上がった。

「好きにしろ」

 言い放つと、凪は部屋から出て行く。冴はそれにつられるように席を立つと、彼の後を慌てて追った。
 重たい扉をこじ開け広い回廊に出ると、随分先に進んだ場所に凪はいた。歩く速度が早いのか、距離は一向に開くばかりだ。冴の足は自然、駆け足になる。

「待って……っ」

 全速力で走り、息を切らせた状態の冴が凪の衣服を掴んだ。その途端、勢いよく振り払われる。
 冴は呆然として、振り払われた自分の手を見つめた。

「何だ」

 不機嫌な声が降ってきて、冴は視線を手から凪に移す。予想通りの表情があって、冴は身体を強張らせた。
 咄嗟に凪を追ったのは、まだ自分が礼を言っていなかったからだ。理由ややり方はどうであれ、助けてもらったことに代わりはない。例えそれが、納得できなくとも。

「あの……お礼を言いたくて。助けてもらったことの……」

 今にも消え入りそうな声音。凪の存在に畏怖してしまって、冴は俯いてしまう。あの冷ややかな瞳が怖かった。
 そんな冴を嘲笑うかのように、凪が冷たく皮肉めいた声を紡ぐ。

「ショックを受けていたようだが?」
「それは……」
「心にもないことを言うな。不愉快だ」

 窘められて、冴は益々竦んでしまった。声がでない。弁明もできず、目頭が熱くなるのがわかる。
 沈黙を決め込んだ冴に、凪は踵をかえすとそのまま去って行った。角をおれて、その姿は見えなくなる。それでも、冴の中に渦巻く感情が入り乱れて、その場から動くことができない。
 掌に力がこもる。
 自分は、凪に嫌われている……
 それがはっきりと受け取れて、酷く哀しかった。別に他人にどう思われようと、冴はそれほど気にしない方だ。というか、今までは気にする余裕もなかった。
 それなのに、凪に嫌われてしまうのは、なぜか酷く辛く、哀しい。胸の奥が疼くような、持続する痛みを伴う。
 先ほど会ったばかりなのに。凪のことなど何も知らないのに。
 きっと、ディオールやロコに嫌われても、ここまで苦しいと思うことはないだろう。
 それは異性へ向ける愛とか恋とかの類ではなく、あえて言うなら、母親に見捨てられた時のような状況に酷似していた。まるであの、母親に殺されかけた時のような、諦めにも似た切なさが込み上げてくる。
 冴は締め付けられる思いを振り払うように、頭をふった。溢れそうになる涙を噛み殺す。
 少しずつ身体が動くのを確かめて、冴はゆっくりと来た道を戻った。





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