08 和の市場





 薄暗い廊下に響く音が余韻を残し、少年の耳まで届いた。
 一定のリズムで鳴るそれは、確実に距離を縮めている。次第に大きく、はっきり聞こえるのがその証拠。
 少年はその音を聞きながら、閉じていた瞳をゆっくりと開く。その途端、鳴っていた音が少年のいる部屋の前でふと止まった。
 扉が開く。後から続いたのは、先ほどから鳴り響いていた足音と、青年の低い声。

「起こしてしまったか?」

 青年に表情はないが、口調は申し訳なさそうだった。ソファに横になっている少年の前で膝をおり、顔を覗きこむ。十三、四歳くらいの少年は、肩の近くまで伸びている金の髪を鬱陶しそうに払いのけた。新緑のような翠の瞳が青年を捉える。肌は少し褐色気味だ。

「起きていたよ」

 軽く頭をふりながら、少年は近づいた青年に手を伸ばす。頬を撫で、僅かに微笑むと、青年はようやく表情を緩めた。

「何か軽く食事でもとるか? 最近あまり食べていないだろう」
「欲しくない。それより、何か用があったんじゃないの?」

 少年は面倒くさそうに返しながら、青年から視線を外した。
 彼はその指摘に肯定の意味も込めて、瞬時に表情を消す。青年の態度から、少年はその用というのが深刻なものであるのだと悟った。

「先ほど使いが」
「……誰から?」
「南のドーマ」
「ディオールが、僕に何を?」
「……東のドーマが、ドールを完成させた、と」

 先ほど得たばかりの情報を、青年は抑揚なく口にする。その途端、少年の表情が固くなった。辺りの空気が一気に凍る。

「なるほどね……」

 緊張がかった声。何かを納得しながら、少年は再び青年を見つめた。

「一応ドーマ全員に報知しているのか。律儀な男だね」
「……行くのか?」
「ディオールは?」

 青年の問いには答えず、代わりに少年は己の問いを重ねる。青年は僅かに逡巡し、それに答えた。

「すでに接触している」
「そう。彼も物好きだね。あそこのドーマは僕達の中でも一番排斥的だというのに。彼にそこまでの魅力があるのか……それとも何か、別な理由があるのかな?」

 問いかけてはいるが、その表情は確信の色を浮かべていた。青年は眉を寄せる。

「どちらにしても、一度挨拶しに行かなきゃと思ってたんだ」

 少年は微笑した。そのまま上体を起こし、青年の首に腕を回して抱きつく。細い腕が絡み付き、甘えるような態度に青年は僅かに表情を曇らせたものの、その華奢な身体を腕で覆った。
 そのまま抱きかかえて立ち上がる。

「行くよ、東のドーマに会いに」

 部屋を出る間際、何かを決意したように少年がポツリと呟く。青年は顔色こそ変えなかったが、口調が少し沈んでいた。

「……お前が決めたことだ。俺はそれに従う」
「止めないの?」
「理由がない。それに……」

 青年は少年を抱く腕に力を込める。

「お前にはお前の考えがあるんだろう。それなら、止める権利すら俺にはない」
「考えなんてもっていないかもしれないよ?」
「お前はそんな愚かなことはしない」
「買いかぶり過ぎだよ」

 言いながら、少年は曖昧な表情を浮かべ、そのまま縋るように青年の胸に顔をうずめた。
 青年は宥めるように背中をさすり、目を伏せる。この腕の中にいる少年は、普段誰かに甘えることなど滅多にない。そんな素振りを見せる時は、決まって気持ちが不安定な時だった。

「何も心配はいらない」

 言い聞かせるような青年の声は酷く穏やかで、優しいものだった。まるで不安を拭うように。絶対の味方であると示すかのように。

「例え誰がお前を責めようとも、俺だけはお前の味方であることに代わりはない。だから何も不安に思うことなどない」
「……うん」

 力強く言われ、ようやく少年は微かに笑みを見せた。幼く、安堵するような表情。
 それは、少年が唯一青年にだけ見せる、純粋で自然な、笑みだった。



**********



 容赦なく照り付ける太陽に、冴は眩暈を覚えた。目を細め、陽炎の向こう側をじっと見つめる。
 フッと浮かぶ光景に、そのまま意識を投じた。



「冴ちゃん、明日デートしない?」
「え?」
「は?」

 夕飯時の会話にさらっとディオールがそんなことをぶっこんだ。
 ちなみに「え?」は冴で、「は?」は凪だ。
 反応から察するに、完全なるディオールの独断なのだろう。

「ずっと屋敷の中にいるのも退屈だろう? 明日は週に一度の市が出る日なんだ」
「行かせるわけがないだろう」
「じゃぁ凪は来なくていいよ」
「行くわけがないだろう」

 これで会話が成立するのだからすごいなぁ、と冴は場違いにも関心する。
 テンポよく飛び交った会話を聞きながら、冴は一口サイズにちぎったパンを放り込み、思案するように噛み締めた。
 市とは何だろう。冴は聞いたことがなかった。

「その市って、ここから近いの?」
「うん。そんなに距離はないよ。徒歩十分圏内ってところかな?」
「市ってどんなところ?」
「食べ物とか、服とか物とか、色んなものを売ってる店が並ぶのを市場って言うんだ。何でも、とまではいかないけど、この和で唯一開かれる市だからある程度物は揃ってると思うよ」
「店があるの? この和に?」

 冴がいた町と呼べるのか分からない場所には、店などなかった。店というか、物自体貴重だった。食べ物も、着るものも、身に着けるものも。誰かがどこかから奪ってきたのを、また誰かが奪う。
 それの繰り返しだった日常。

「一応この屋敷は和の中心地にあるからね。冴ちゃんがいた場所はここから少し外れたところだったから、市の存在を知らなくても仕方ないか」
「和の市場はワタクシも初めてだわ」

 今まで黙って静観していたロコが、徐に口を開いた。
 冴は首を傾げながらロコに視線を向ける。

「他にも市場ってあるの?」
「エレウスでは市場は常に街に並んでいるわね。あそこは何でも手に入るもの」
「一番栄えている国だからね」
「そんなに物があって、盗まれたりしないの? 奪い合ったりしないの?」

 殴り殴られ、奪い奪われ。
 そんなのは日常茶飯事だった。
 そうしなければ生きていけなかったから。

「エレウスではそうそうないけど、和では毎回騒動になってるよ。それでもこの地に住む人たちの命綱だからね。ある程度警備体勢は布かれてるよ」
「あら、結構危ないのじゃない?」
「僕がいるから大丈夫だよ」
「それはそうかもしれないけれど……冴は初めてなのよ? 身形もいいし、狙われたりしないかしら」
「行かせないと言っている」
「僕がいるから平気平気」

 凪の主張は軽く流される。それに追い打ちをかけるように、冴がポツリと零した。

「私、行ってみたい」

 ほぼ無意識に発していたことにハッとして、冴は恐る恐る凪を見た。
 案の定、冷やかな表情を浮かべていた。

「却下だ」
「いいねいいね! 行こう行こう! 見聞を広めるのはいいことだよ」
「行かせないと言っている」
「行きたいと言っている」
「……お前は、この前から何なんだ」

 はぁと大きなため息を零し、凪はこめかみを抑える。
 先日の一件から、ディオールは時々こうやって強行することがある。その度に凪は不機嫌ながらも彼の強行を結局は受け入れている。今四人で食事をとっているのもその強行あってのことだ。

「この距離なら大丈夫だろう? 君も来るなら止めないけど」
「……勝手にしろ」
「決まりだ! 冴ちゃん、明日はよろしくね」



 にこやかに笑ったディオールの顔が、蜃気楼に溶けた。
 汗が滴るのを感じ、我にかえってそれを拭う。
 ディオールの『デート』というものに付き合って歩き始めること数分。冴は屋敷を出てすぐのことを思い出して小さく息をつく。
 凪に助けられてから一度も外へ出る機会がなかった冴は、屋敷の外観を眺めて唖然とした。その巨大さは城を思わせたほどだ。
 それはあまりにも不自然で異様な光景だった。荒んだ町には似つかわしくない違和感と存在感を放っているにもかかわらず、町人は誰一人としてこの屋敷を気にしている素振りがない。むしろ始めから見えていないのだという風に、誰もが素通りなのだ。
 冴はそれに首を傾げたが、町人にとってはすでに見慣れた光景だからなんだろうと勝手に結論付けることにした。
 見渡す限り砂漠が広がる大陸、和。熱と砂が人々の暮らす唯一の場所さえ奪い、荒廃が侵食し、荒んだ大地がどこまでも連なっている。
 実際町として成立している景観を目の当たりにするのは初めてだった。
 人がいる。
 家がある。
 【人間】の暮らしが、そこにあった。
 冴が暮らしていたのは、和の中でも一番荒んだ町の界隈だった。毎日人の死体が摘み上がって行くような場所。常に強い死の匂いを漂わせていた町。そんな場所で、今まで生きてきた。
 中心都市で開かれる、週に一度の市。こんな場所が、存在していたなんて。

(ああ、まただ……)

 心が酷くざわつく。
 そんな冴の心情を知ってか知らずか、ロコが大仰に歓喜の声をあげた。

「まぁっ、これが和の市なのね!?」

 声につられて、冴もそちらに視線を向けた。たどり着いた市場の入り口前で、目を見張る。
 路上に一列に連なった、テントのような幕。日を避けるために張られたそれらの下には、色々な食材が立ち並んでいる。やはり瑞々しい野菜や果物はほとんど見られないが、乾燥させた野菜はあった。他にも干した肉や魚などが並べられている。
 それでも冴の目を引くには十分で、ふらふらと店の前に誘われるように移動すると、僅かに目を輝かせた。

「……すごい」

 昨日聞いていた話から想像していたよりも賑やかだった。

「やっぱり売ってるものはエレウスに比べれば少ないわね」
「というより、エレウスが異様なんだろう」

 ロコの呟きを拾ったディオールが、苦笑を浮かべながら答える。冴は二人の会話を聞いて、一番豊かである南の大陸、エレウスの市場を想像してみた。
 ここにある品よりももっと豊富に揃った食材。賑わい、活気のある人々。
 高級で品のある物品。
 まるでそれは、異世界のような光景だった。冴の知る世界とは、あまりにも異なり、うまく想像もできない。

「エレウスって、どんなところ?」
「ん? んー、まぁ、変わり者が多いね。悪趣味な私欲のために大金をはたくような輩ばかりさ。今この大陸で、あそこだけが切り離されたような、賑やかで無駄に華やかな大陸」
「でもその悪趣味のおかげで、ワタクシ達はこうして暮らしていけるのだけれどね」
「どういうこと?」

 冴の問いに、二人の微苦笑が浮かぶ。反応はそれだけで、答えはなかった。

「まぁっ、何かしらあれ!」

 冴は二人の反応が気になったものの、何かを見つけて声を上げたロコに引っ張られ、問い返すことができなかった。

「冴っ、見て見て!」

 後から後から目移りし、ロコははしゃぎながらズイズイと人ゴミの中を掻き分けて行く。腕を引っ張られながら冴は必死についていくが、何度か人とぶつかった。

「ろ、ロコ。そんなに早く歩くとディオが……」

 着いてこられない。そう告げようとして後ろを振り返り、すでに彼の姿がないことに気づく。冴は瞬間、青ざめた。
 はぐれてしまったのだ。

「ロコ。ディオがいない」
「え? あら、ホント」

 しかし、冴の不安も吹き飛ばすような、あっけらかんとした答え。腰に手をあて、どうしようもない人ね、と呆れている姿は、自分達が迷子になったのではなくディオールが迷子になったのだと判断しているようだ。
 自分達からはぐれたことを指摘するべきかとも思ったが、真実を告げてロコを不安にさせる必要もないだろうと思いとどまり、冴はそれを飲み込む。
 とにかく、ロコはまだ幼いのだ。自分がしっかりしなければ。冴は自分に言い聞かせた。

「とにかく、捜しましょう」
「全く、世話が焼けるわね」

 ロコはやれやれと肩を竦める。
 自分達もはぐれてはいけないと、二人はしっかりと手を繋いでディオールを捜した。けれど、意外と人がいる場所で一人の人間を捜すのは容易くない。行き交う人々が邪魔をしてなかなか遠くまで見渡せないし、人の間をかいくぐって進むのはなかなか至難の業だった。
 ましてや始めて来る場所なだけに、歩き回っているうちに自分達がどちらから来たのかも判らなくなってしまった。

「参ったわね」

 ロコが小さく悪態をつき、冴も項垂れる。
 人込みから少し離れた路地裏で嘆息していると、それを見計らったかのように人影が近づいてきた。

「こんなところで何してんの?」

 下卑た笑い声。咄嗟に顔を上げた先に、数人の男達が立ちはだかっていた。薄汚れたみすぼらしい格好をして、明らかに下心のありそうな男達に、冴は咄嗟にロコを庇う。
 ここが治安の悪い大陸であることを、冴は瞬時に思い出す。こんな場所で、身なりの整った冴達に視線が行かないわけがない。おそらく市に入る前から目をつけていたのだろう。男達は確信めいた口調で言葉を紡ぐ。

「あんた達見たところここら辺の人間じゃないよな? その身なり、それなりに身分のある者だろ」
「金も持ってんじゃねぇの? なぁ、俺達と遊ぼうぜ」

 にたにたと気持ちの悪い笑みを浮かべ、一人の男が見定めるようにジロジロと冴を見つめる。冴はその視線に不快を覚え、ビクリと身を引いた。
 その仕草がまた男達の気を惹いたらしく、歓声があがる。

「見ろよ。怯えてるぜ?」
「へへっ、それにしても綺麗な女だな」
「別に怖がるこたぁねぇよ。ただちょっと俺達につき合ってくれればいいんだからさ」
「冴っ!」

 ロコを庇っていた冴の腕を引っ張り、男がそのまま肩に腕を回す。急に男の身体が迫って、冴は短い悲鳴を上げた。ガタガタと震える身体を必死に押しとどめようとするが、うまくいかない。

「あーあー、こんなに震えちゃって」

 そうしている間にも、別の男に腕を捕まれ、完全に逃れられない状況に追い込まれていた。

「や……っ」

 冴はやっとの思いで抵抗を試みる。だがそれも、男達の欲望をかきたてるだけに終わった。
 にたにたと卑俗な笑みが間近に迫り、冴はそうとは知らずますます抵抗する。

「ちょっと、貴方達! 冴を放しなさい!!」

 恐怖に引きつる冴を助けようと、ロコが怒声をあげた。甲高い声を張り上げる幼女に、たかが子どもの喚きと、一人の男が嘲笑うような声を上げる。

「お譲ちゃん、勇ましいねぇ。でもガキに用はねぇんだよ。帰ってママの指でもくわえてな」
「なっ……!」

 ロコは怒り露に、思いきり男の脛をけり飛ばした。完全に油断していた男は、予想外の衝撃に低く呻る。

「……っのクソガキ!! ぶっ殺してやる!」

 男が逆上し、怒りの形相を浮かべてナイフを取り出すと、その切っ先をロコに向けた。切れ味のよさそうな刃が、ロコに迫る。

「ロコッ! 逃げて!!」

 冴の絶叫。
 振り下ろされるナイフ。怒濤の如く甦る記憶。
 かつての自分と重なって、冴は叫号する。
 懸命に男の腕から逃れようとするが、きつく握られたそれから抜け出すことが叶わない。冴は悔しさに奥歯を噛んだ。

「くたばれッ!」

 刃がロコを襲う。しかし少女は、それをさらりとかわした。

「っの、ガキがぁっ!」

 男はますます逆上し、瞬時に身を翻してナイフをふるった。切っ先が再びロコに向かう。

「やめて……!」
「っ、ぐぁッ!?」

 冴の悲鳴と、男の悲鳴が重なった。少女に向かったナイフが不自然に止まる。

「女の子にこんな物をつきつけるなんて、穏やかじゃないね」

 続いた声。聞き覚えのあるそれに、冴は安堵からか一気に体の力が抜けるのを感じた。笑みを貼り付けながらも凍るような眼差しを男に向けていたディオールは、ちらりと一瞬冴の姿を確認すると、すぐに視線を戻す。
 蛇ににらまれた蛙の如く、男が顔をひきつらせて逃げ腰になっていた。

「これが何か、解らないわけじゃないだろう?」

 ディオールは男の片腕をさらに捻り上げて手に持っていたナイフを奪いとり、その刃を男の前でちらつかせる。
 男はそれに息を飲みながらも必死に抵抗を試みるが、腕を掴まれているだけなのに反撃できない。それどころか、動くこともままならなかった。

「これは命を刈り取るための道具だ。その意味がどういうことなのか、身をもって知るか?」

 ディオールは刃の切っ先を男の喉元に突きつけ、薄っすらと笑みを浮かべた。彼から放たれる気配は、激しいほどの殺気。

「ひっ……」

 男は喉の奥で悲鳴を上げる。ディオールの表情や自分のおかれている状況から、瞬時に敵わないことを悟ると必死に首を振った。
 みっともない面を浮かべながら、先ほどの威勢など欠片もなく、男は惨めに助けを請う。

「彼女を放せ。一歩も動くな」

 男の懇願を聞き入れる変わりに、ディオールは冴を捉えている男に冷たく告げる。男は顔を引きつらせながらそれに応じた。解放されて、冴は身体から力が抜けていくのを感じる。
 それでも、まだかすかな恐怖や震えがあった。

「冴っ」
「ロコ……よかった」

 青白い顔を浮かべる冴の元へ駆け寄ってきたロコが、彼女の身体を支える。

「ワタクシは平気。それよりも冴、少し腕が赤くなっているわ。強く絞められていたのね、可哀そうに」

 言いながらロコが労わるように冴の腕を撫でると、それに答えるように赤みが薄らいでいく。ドールとしての自然治癒が発揮されているのだろう。二、三度瞬きすると、赤みは完全に消えていた。

「さてと。僕のものに手を出そうとした御礼をしなくちゃね」

 冴が解放されたのを見て、ディオールは不敵な笑み浮かべる。掴んでいた腕に力を込めると、ポキンッ、と何かが折れる音が響いた。

「ぐあぁぁァァァっッ……!」

 その途端、男が悲鳴を上げてのた打ち回り、ディオールは痛みに悶える男の腕を放した。

「これだけですんだことに感謝してほしいね。これが凪だったら、君達全員、即死だよ」

 さらりと告げながら、暴れる男に一発蹴りを入れる。男はそれで意識が混濁し始めたのか、だらりと項垂れ、そのまま抗う様子も見せずに地面に倒れこむ。それを見ていた男達からどよめきが上がった。
 ディオールはそれに答えるようにゆっくりと振りかえる。男達は揃って肩を震わせ、地面に倒れた男とディオールを交互に見比べると、脱兎の如く逃げ出して行った。
 去っていく男達の背を見やりながら、冴はようやく肩の力を抜く。

「二人とも怪我はなかったかい?」

 取り残された男を路地の奥へと放り投げ、ディオールが立ち尽くす少女達に視線を向ける。いつもの笑みを浮かべて近寄ってくる彼を見て、冴はいい知れぬ安堵を覚えた。
 コクリと頷き、やっとの思いで弱々しく微笑む。

「良かった。怖い思いをさせてしまって、すまなかったね」

 ディオールの手が、冴の頭を撫でる。労わるようなその優しさに、目の奥が熱くなるのを感じた。

「ロコも。怪我がなくてよかった」
「あれくらい、ワタクシにはどうってことないわ。それよりも、来るのが遅いわ、ディオ」
「悪かったよ。遅れてしまって」

 ムスッとした表情を浮かべて頬を膨らませる少女に、ディオールは苦笑を浮かべながらも素直に謝り、そのままロコを抱きかかえた。
 いきなり視野が高くなり、ロコは目を丸くする。

「またはぐれたら大変だから、お詫びも兼ねて抱っこしてあげよう」
「なっ! こ、子どもじゃないのだからいいわ! 降ろして!」

 いたずらな笑みを浮かべるディオールに、顔を赤くして抵抗を試みるが、ロコの表情は嬉しそうでもあった。
 そんな二人を見て、冴は静かに微笑んだ。





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