09 新たなる邂逅





 砂埃を立てて、風が強く吹き乱れた。
 高い熱を孕んだ砂を踏みしめ、屋敷の前に佇む二つの影が浮かぶ。
 熱を避けるために被られたフードのついたローブの中から、屋敷を見上げるような視線が送られた。

「……随分と用心深い結界。僕らの屋敷とは比べ物にならないね、これは」

 まだ少し高音の残る少年の声。
 呆れと感嘆とを交えたそれは、もう一つの影に向けられていた。

「これには骨を折っただろうな」

 少年よりも遥かに長身の、低い声音がそれに答える。青年と呼べるほどの年齢だろう。彼もまた少年同様フードのついたローブを被っている。

「ますます知りたいよね、ここまでするディオールの理由ってやつをさ」

 少年はクスクスと笑いをたてた。青年は何も言わない。ただ黙って、少年と屋敷を交互に見比べているだけ。

「さぁ、会いに行こうか、東のドーマ、凪・リラーゼに」

 少年の言葉に、青年は頷く。
 正面入り口に手をかけると、必要もないのだろう。鍵はかかっておらず、簡単に屋敷内へ入ることができた。
 玄関を入ってすぐ、真正面に広い階段があり、その途中にある広い踊り場からは左右に別れていた。ワインレッドの絨毯が敷かれ、踊り場の頭上には豪奢なシャンデリアが下がっている。
 二人は入ってすぐの所でローブを脱ぎ捨て、互いに視線を合わせると頷き合った。
 慎重に気配を探り、階段を登る。部屋の一つ一つを調べていき、目当ての人物を捜した。

「まるで迷路だね」
「……迷いそうだな」
「というか、すでに迷ってるのかもね」

 笑みを浮かべながら、少年は金の髪をかきあげた。さてどうするか、と思案していたその時。前方で扉が開く気配がした。
 二人は瞬間身体を硬直させる。
 中から姿を見せたのは、漆黒の髪に、同じく漆黒の瞳を持った長身の青年、凪だ。彼は回廊で立ち尽くす二人の存在に驚く様子も見せず、むしろ気づいていたとでもいうように二人を見据えている。

「……あんたが、凪・リラーゼ?」

 少年は凪を見た途端、肩の力を抜き、確信した声音で尋ねた。
 当然凪は答えない。ただじっと、静かに二人を眺めているだけだ。

「初めまして、だね。僕は西のドーマ、オルビス・ジェンファ。覚えなくてもいいよ、仲良くする気なんてさらさらないからね」

 凪の態度を気に留める様子もなく、言いたいことだけ言って少年は薄っすらと笑みを浮かべた。目を細め、吟味するように凪の姿を観察していく。

「戎夜(ジュウヤ)」

 やがて視線を外すと、少年が言い聞かせるような口調で呟いた。それに答えるように隣にいた青年がピクリと反応を示す。だが、すぐにだらりと糸が切れたように項垂れた。
 その瞳には、まるで正気が感じられない。上から糸で吊られているような、今にも崩れそうな体勢だった。

「いきなりで悪いんだけど、試させてもらうよ」

 少年が指をならし、凪が眉をひそめた、その瞬間。
 まるでそれを合図とするように、先ほどの崩れそうな雰囲気が嘘のような速さで、青年がその場を蹴った。



**********



 陽射しが弱まる気配はなく、行きよりも帰りの方がむしろきつかった。
 日が傾き始めているとはいえ、まだ気温が下がる様子はない。砂漠の夜は逆に寒いというが、それに至るにはまだ少し時間がかかるらしい。
 足から伝わる熱と、頭上から届く熱とに挟まれ、冴の体力は消耗しきっていた。いくらドールの自然治癒に恵まれていようとも、暑いと認識するだけで気が滅入りそうになる。
 冴は気だるそうにとめどなく流れる汗を拭い、持っていた荷物を抱え直すと、苦笑を浮かべた。
 ディオールが男達を蹴散らしたあの後、当初の目的どおり三人は買い物に熱中した。まるで先ほどの騒動を忘れるかのように。
 始めのうちは、辺りに気を配ってビクビクしていたのだが、ロコの楽しそうな雰囲気に中てられたおかげか、時間が経つに連れて冴にもすっかり笑顔が戻っていた。
 しかし、少し調子にのりすぎたらしい。気が付けば片っ端から購入していった荷物が山積みになっており、三人は帰り際、重たい溜息をついたのだった。

「冴、もうすぐ屋敷に着くわ」

 冴はその声に回想を打ち切って視線を落とす。ロコが前方を指さしており、その方向に視線を向けると、ゆらりと揺らめく影を捉えた。
 よく目を凝らすと、それが簡素な町の中にそびえ建つ凪の屋敷であることが解る。

「凪・リラーゼはちゃんと留守番してるかしら」
「おいおい、子どもじゃないんだから」

 強制的に持たされた荷物の間から、ディオールが苦笑を浮かべてやんわりとロコを窘めた。

「あんなのワタクシから言わせればまだまだ子どもだわ」

 一番幼いロコが言ったところで、あまり説得力がない。
 冴は曖昧な笑みを浮かべながら、そのまま二人の会話に耳を傾ける。それが、暑さを凌ぐには一番だった。
 しばらく二人はとりとめのない会話を交え、冴はそんな二人の会話を聞きながら、屋敷までの距離を縮めていく。屋敷が近づくにつれ、暑さも薄らいでいくような気がした。

「着いたわ、冴」

 ロコの呼びかけに、ハッと顔を上げる。あと数歩歩けば屋敷の玄関に辿りつくという距離に、冴は酷く安堵した。
 帰ってきた。それだけで、疲労も飛ぶような気がする。冴は安心から肩の力を抜こうとした―――――瞬間。

「っ!?」
「何!?」

 突然三人の耳に届いた、凄まじい轟音。

「これは……」

 ディオールの表情がサッと変わる。冴は何が起きたのかわからずに、屋敷を見上げた。

「なっ……」

 見上げた先に、黒々と広がる煙。それが異常な事態を告げていることは明確で、それを認識した途端冴は青ざめた。屋敷には、凪がいる。
 瞬間、駆け出していた。

「冴!?」
「冴ちゃん!」

 後方で彼女を呼び止める声が響く。それでも冴は、振り向かない。
 二人の制止も省みず、煙が上がった方を目指した。
 まだ屋敷の中をすべて把握しているわけではないので、殆ど勘だけで走っているようなものだ。

(なんとなく、こっち)

 長い廊下の角を曲がったところで、冴は飛び込んできた光景に息を呑んだ。





 佇む二つの影。
 緊迫する空気。
 距離を縮める靴音に、凪は息を呑んだ。体勢が悪すぎる。
 突然凪の身を襲った不意打ちの攻撃。一瞬避けるのが遅れ、凪の腕をかすめたが、幸いたいした怪我ではなかった。けれど、変わりに抉られた壁はぶち抜かれ、騒音を立てて崩れていく。
 そんな恐るべき破壊力を見せつけた彼は、凪の血を滴らせながら目の前に静かに佇んでいた。
 凪の前に佇む青年。
 藍色の髪にグレイの瞳。長身の男のその瞳には、光など全く宿っていなかった。青年は無表情のまま、まるで操り人形のように正気が感じられない。

「逃げてばかりじゃ、つまらないよ」

 青年の後ろで静かに佇む少年。薄っすらと笑みを浮かべた彼は、じっと凪の行動を見定めるように傍観している。

「ドールを完成させたんでしょ? 使えばいいじゃない」

 凪はその言葉に少年を睨みつける。腕を抑えながら、肌を刺す緊迫感に薄っすらと汗を浮かべた。

「頑固なのか、初めから使う気がないのか……どっちかな?」

 この緊迫した場にはおよそ似つかわしくない、楽しそうな声。
 青年は次の攻撃を繰り出そうと構えを取った。鋭い爪が煌く。
 凪が舌打ちした。

「凪……っ!」

 しかし、二度目の攻撃が凪にふりかかる手前で、悲鳴混じりの声が辺りを支配した。それは思いのほかこの広い廊下に反響し、それによって瞬間、青年の動きが止まる。
 凪は見なくとも、それが誰の声であるのかすぐに理解した。
 廊下に佇む、一人の少女。冴が青ざめた表情を浮かべ、口元を手で覆いながら驚愕している。
 息を切らせているところを見ると、走ってきたのだろう。凪は再び舌打ちした。

「……ドール? へぇ、女の子なのか」

 凪と青年から少し離れた所に佇んで二人の交戦を傍観していた少年が、冷たい笑みを冴に向けた。それと同時に、青年の関心もそちらへ移り、完全に冴の方へ向き直る。
 少年が何をしようとしているかを理解して、凪は声を張り上げた。

「逃げろっ!」
「戎夜」

 凪と少年が口を開いたのは同時だった。
 凪は言葉と共に地を蹴る。青年も少年の言葉に続くように地を蹴った。
 早さは青年の方が早くとも、冴の方に近かった凪の方が少しだけ優位だった。向けられた青年の攻撃から守るように彼女の前に出る。

「な―――――」
「庇った?」

 少年の驚きを含んだ声と、冴の声にならない悲鳴が同時に重なる。
 目の前で広がった光景。
 冴は一瞬、何が起こったのか解らなかった。一拍おいて、喉の奥から這いあがってくる悲鳴。
 青年の尋常ではない鋭利な爪が、凪の横腹に突き刺さり、裂くようにそれを引き抜く。飛び散った鮮血が、辺りにふりかかった。

「な、ぎ……?」

 床の上に崩れ落ちた凪の身体を支え、瞬間、手に張り付くその感覚に身体を震わせる。
 血。大量に流れ出す、鮮血。

「い、いや……う、そ……?」

 認識した途端、手が震え、身体が震え、冴は自分の手と凪を交互に見比べながら、首を振った。
 広がる血の海。
 血、赤い血。鮮血。
 このままでは、凪が、死ぬ。


 死――――――?


「っ……!」

 冴は蹲る彼を抱きしめるように庇い、精一杯の虚勢で、その手を凪の血で染めながら静かに佇んでいる青年を睨みつけた。
 身体の震えはおさまらない。
 怖い。何が起こっているのか解らない。
 何で凪がこんな目にあっているのかも、この青年や少年が誰なのかも。
 何で、何で……

(凪が何をしたっていうの?)

 なぜこんな目に合わなければならないのか。
 何の権利があって、こんなにも一方的に傷つけるのか。

「こ、こないで! それ以上近づかないで! 凪に触らないでえぇっッ」

 凪を抱く腕に力を込める。血が止まらない。
 凪の意識が段々と薄れていくのがわかる。それと同時に、呼吸が弱くなるのも。
 死んでしまう。本当に、このままでは死んでしまう。
 喘ぐような呼吸。痛々しい姿。
 あの美しい凪が、ボロボロになって、自分を助けた。
 庇ったのだ、冴を。
 あれだけ関心のなかった冴を、その身を挺してまで守ったのだ。

(なんで……どうして……)

 冴は思う。自分はドールだ。致命傷を負っても死にはしない。ドールに与えられたその自然治癒の高さによって、傷は驚くほど早く完治する。
 それなのに、なぜ凪は冴を庇ったのか。

「やっぱり庇うんだね。ドール化させないってことは、もともとドールとして使う気がないってことか……」

 予想通りか、と後に続けて、少年が納得したように呟く。
 彼がちらりと青年の方へ視線を投げると、ピクリと反応し、その手に付いた血を降り払った。煌く爪が覗く。
 見下ろすその瞳は、冷たい。
 冴は息を呑み、凪を胸に抱いたまま隠す様に青年に背を向ける。指一本も触れさせないと、抗うように。
 青年が、地を蹴る。冴は、強く目を瞑った。

「ロコっ!」

 しかし、向けられた青年の鋭利な爪が冴に突き刺さることはなく、代わりに聞き慣れた声が辺りの空気を震わせた。続いて乾いた音が響き渡る。
 冴は咄嗟に目を開け、目前の光景に息を呑んだ。彼女の前へ立ちはだかった、見慣れた少女の姿。十にも満たない幼女、ロコ。
 彼女が、成人を向かえているであろう青年の攻撃を受け止めて、しかも逆に弾き飛ばそうとしているのだ。それは、普通ではありえないような光景だった。
 それでもロコは、攻撃を受け止めた腕を思い切り薙ぎ払う。
 攻撃を相殺され、その衝撃で青年が怯んだように数歩下がった。ロコがその間に体勢を整える。

「……ろ、ロコ?」

 くるりと緩く巻かれた髪が揺れる。その容姿を、見間違うはずはない。
 それは紛れもなくロコで、けれど、冴の知っている彼女ではなかった。
 冴が呼びかければ、形はどうであれロコは必ず反応を返す。だが今は、それがない。
 横顔は酷く冷たい表情。対峙する青年同様に、まるで感情などないかのよう。それこそ、本当の人形であるかのような。

「冴ちゃん! 凪の止血をっ」

 叫ぶようなディオールの指示に意識を引き戻された冴は、慌ててロコから視線を外すと、震える手でどうにかスカートの裾を裂いて腕と腹部の止血をする。凪が蹲っている辺りには、小さな血溜りができていた。
 冴は奥歯を噛み締め、必死に震えと涙を留めた。

「やっぱり出てくるんだね、ディオール。何で庇うの? そんな奴をさ」

 その光景を冷たく見つめながら、少年が嘲笑した。見かけは十三、四歳くらいの少年だ。肩まで伸びた金髪に、翠の瞳。真っ直ぐに向けられた瞳は、新緑の森を思わせた。
 しかし、浮かべる表情と、彼に纏わりつく雰囲気が、彼を子どもには見せない。それは全てを悟ったような、全てを憎むような、表情。

「一方的に攻撃するなんて、黙って見過ごせることじゃない。傷つける必要があったのか!?」
「必要はあったよね? これで僕の予想は確信に変わった。あとは戎夜に害がないかの確認だけかなぁ。でもそれってどうやって確かめればいいのか、前例がないからよくわからないや。ディオールは知ってる? それともいっそ、今ここで全部壊しちゃおうか?」

 浮かべる笑みが、ゾッとするほど冷たい。それに答えるように、青年がロコに向かって拳を向けた。ロコはそれを軽やかに避け、冴から少し離れた場所へ後退する。
 その瞬間を見逃すはずもなく、青年が冴達に向かって再び攻撃を仕掛ける。冴は瞬間、凪を庇うように抱きしめた。
 もはや避ける術などない。今度こそ、その刃は冴に突き刺さるだろう。

「やめろ、オルビス!」
「遅いっ」

 ディオールの怒声と、少年の声が重なった。冴は強く目を瞑る。
 けれど。
 身体を襲った衝撃は、鋭い痛みではなく、突き飛ばされるような鈍く、軽いものだった。冴は想像していたものと異なった衝撃に、思わず瞳を開ける。そのまま、大きく見開いた。
 それはまるでスローモーションのように、一連の動作をゆっくりと見せる。
 冴の身体を衝き飛ばした、凪の手。己の血に染まったその腕が、冴に向けられていた。ほとんど意識のない中で、それでも、凪は冴を庇ったのだ。
 瞬間、冴は何かが頬を伝うのを感じた。自分の身体が傾くその様が、やけに遅い。
 突き刺さるはずだった盾をなくし、爪はその先にいる人物に向けられる。

「っ……!」

 突き飛ばされ、地面に叩きつけられた衝撃から、時間は通常の早さで流れ始めた。少なくとも、冴にはそう感じられた。打ち付けた痛みに構うことなく、瞬時に身体を起こして顔を上げる。

「な……」

 視界に飛び込んだ、それ。
 自分を襲うはずだった青年の鋭い爪は、深々と凪の肩に食い込んでいた。





BACK   TOP   NEXT