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「冴っ、こっちよ!」

 緩く巻かれた髪を揺らし、ロコが回廊を駆ける。終始笑顔の耐えない幼女は、楽しそうにはしゃぎながら冴の腕を引っ張った。

「それにしても、ホントにここは迷路ね。全く景色が同じなんて」

 ロコが目に付いた部屋の扉を開け、中を覗きこみながら呆れたように呟く。

「……ロコの家は、違うの?」

 冴はおずおずと問いかけた。相手は自分より幼い少女だというのに、その明るさや毅然とした態度に圧倒されるからなのか、何だか妙に畏まってしまう。

「ワタクシの? そうね、ここよりはいくらかマシかも知れないわね」

 言いながら、ロコは表情を不機嫌なものへ変える。

「といっても、あんまり此処と変わらないわ。ドーマの屋敷は、大抵こんな感じだもの。どうも彼らはこういうところには無頓着みたいで、ワタクシがいくらディオに改装を主張しても、面倒だからの一点張りなのよ」

 ロコは小さく吐息した。

「ワタクシは、こんな地味な色調じゃなくて、もっと華やかで明るい色が好きなのだけど、落ち着かないから厭だって、ディオったら子どもみたいに駄々をこねるのよ? 仕方ないからいつもワタクシが引くのだけど、まるで子どもよね」

 冴はロコが告げた事実に、目を剥く。
 あのディオールが駄々をこねるところなど想像できないし、あまりしたくない。

「まぁ、そんな中でもここが一番最悪ね」

 微笑ましく笑っていたロコが、不機嫌そうに顔を顰める。どうも彼女は、凪をあまり良く思っていないらしく、彼に関わることとなると機嫌が悪くなる傾向にあるらしい。そんなロコに視線を向けながら、冴は常々思っていた疑問をぶつけた。

「ドーマって、他にもいるの?」

 先ほどから、ロコの台詞はそう思わせるような言い回しが多い。始めてあった時も、確か女の子のドールは自分だけだった、といっていたのを思い出す。ということは、他にもドールがいるということだ。ドールがいるということは、自ずとドーマもいる、ということになる。

「ええ。ディオと凪・リラーゼ。それから、あと二人ほどね」
「二人も……」

 異端の力を持つものが、あと二人もいる。全員で四人。冴は告げられた事実に、しばし唖然としていた。

「それぞれの大陸に一人ずつ。別に定められたわけじゃないのだけど、ドーマはお互い干渉し合うのを嫌うのよ。ディオはああいう性格だから別格だけれど、ワタクシも他の二人とは殆ど交流がないわ。一回か二回、会った程度なの。それでも、全員のドーマ、ドールと面識があるのは、ディオとワタクシくらいだわ」

 ロコの説明に、冴は妙に納得する。確かに凪の態度を見る限り、彼は排斥意識が強い。他の二人のドーマを冴は知らないが、何となく、まだ見ぬ彼らも似たような雰囲気を纏っているような気がする。排斥で酷薄。
 それは、異端、という言葉が終始彼らに纏わりついているからなのかもしれない。他とは違うから。皆とは異なるから。だから、誰も寄せ付けない。そんなイメージ。

「ディオが南、凪・リラーゼは東のドーマだから、残りは西と北ね」

 ロコは各方位の方向を指で指し示し、最後の北の位置で動きを止めた。
 四つの大陸にそれぞれ一人。
 凪は東の和。ディオールは南のエレウス。西はウォン。北はノーブル・スノゥ。東がもっとも荒廃が進み、荒んでいる大陸であるのに比べ、南は一番豊かで、それこそ姓を持っているような身分の高い者達が集う大陸だ。
 そんな大陸にいるということは、ディオールはやはりそれなりに高い身分だということになる。そのドールであるロコも、然り。
 確かに成りや態度を見る限り、ロコは幼いながらも優雅な立ち振る舞いをする。気品溢れるお嬢様といった感じだ。口調の印象もあるのだろうが、それでも冴とは比べ物にならないくらい、ロコからは自然と品のよさが滲み出ていた。

「冴? どうかしたの?」

 俯き加減になっていた冴の顔を覗きこむように、ロコが首を傾げる。

「何でもないの」

 冴は無理矢理に笑みを浮かべ、頭をふった。先ほども忠告されたように、考え込むのはよくない。冴は自覚して、苦笑を浮かべる。

「ロコ」
「なぁに?」

 話題を変えようと呼びかけた声に明るい笑みが返ってきて、眩しいものでも見るように冴は目を細めた。

「ロコは……ディオのこと、好き?」

 尋ねると、一瞬驚いたように目を見張るが、それでもすぐに笑みを浮かべ、ロコは鷹揚に頷く。

「ええ、好きよ。でなければ、ドールになんてならなかったわ」
「聞いても……いい? どうして……」

 ロコはドールになったのか。瀕死に陥る状況に追い込まれた、その理由はなんなのか。
 ためらいの色を浮かべた冴に、それでもロコは優しい笑みを浮かべる。

「ワタクシはいらない子どもだったの。でも、ディオだけがワタクシを必要としてくれたから……だから、ワタクシはディオと共にあろうと決めたの」

 その穏やかな瞳。
 いらない子どもであったと告げた少女の台詞に、恨みや憎しみはなく、ただ諦めるように事実を受け入れた納得感だけがあった。歳相応らしくないほどの物分りの良さ。語る言葉は淡々としていて、自分を悲観している様子は微塵も感じられない。
 ただ、ディオールに対する敬意と感謝だけが、滲み出ていた。

「冴。ワタクシは、はっきり言えば凪・リラーゼのことは好きじゃないわ。けれど、これだけは言える。ドーマは決して、遊び半分や思い付きでドールを創ったりしない。人の命を扱うということは、決して軽視できることじゃないもの。だから、凪・リラーゼが冴を助けたことにも、それだけの重みと、確かな理由があるのだとワタクシは思っているわ」

 小さな両手が、冴の掌を優しく包む。
 それはまるで母のような。
 温かい眼差し。安堵させるための言葉と、励まし。

「不安なのは解るわ。どうして突然そんなことを聞くのかも。凪・リラーゼでしょう? 彼の態度は冷たいから余計に、冴にはそれが耐えられないのね。仕方ないわ。ドールはドーマが絶対的な存在なのだから」

 冴はロコの台詞に首を傾げる。
 絶対的な存在? 凪の態度が耐えられない?
 確かに冴は、凪に嫌われることを恐れた。そうなれば、大げさに聞こえるが、この世の全てが終わってしまいそうな気がしたのだ。それくらい、苦しくて、哀しくて、耐え難い感情。
 だからなのか、冴は無意識にロコ達が羨ましいと思っていたのだ。自分だけ取り残されたような孤独感に駆られ、なぜそんな風に思うのか解らないまま、それでも冴は無理矢理それを押しとどめた。
 けれど、ロコはそれは仕方のないことだと、断言する。

「大丈夫。今はまだ無理でも、きっと解りあえる日が来るわ。初めは誰とだって上手くいかないものよ? 時がいずれ解決してくれる。だから、大丈夫よ、冴」

 彼女がなぜそんな風に断言してしまえるのかは解らないけれど。不思議と、冴はロコの言葉をすんなりと受け入れられた。

「それに、ワタクシがいるわ。凪・リラーゼは嫌いだけれど、ワタクシ、冴とは良い関係が築けそうだもの。ね? 仲良くしましょう?」

 大人びた笑みから、急に歳相応の笑みに変わる。
 屈託ない華やかなそれは、もう、独りではないのだと、怯えることもないのだと、密かに伝えてくれているような気がした。
 母に刺され、命さえ失いかけた少女。
 命の灯火は消えずとも、肉体はない。
 人としての全てを失った、冴。
 それでも、今、人であったときより得たものはきっと大きく、彼女にとってはかけがえのないものだった。

「ありがとう……ロコ」

 頬を伝ったものは生ぬるく、それでも仄かな熱が心地良いと、冴は始めて、心から笑えたような気がした。





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