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 冴がドールになってから早半月。
 目まぐるしく早々と過ぎ去って行く毎日に、冴は常に目を回していた。
 凪は相変わらず冴に冷たく、顔を合わせることの方が少ないが、その代わりにディオールとロコが終始冴の傍にいたので、寂しさを紛らわすことはできたし、色々と話も聞くことができた。
 そんな屋敷での生活にも随分と慣れて、そうすると、改めて今までの生活との違いを思い知る。

「冴っ、焦げてるわ!」

 息をついた冴に向けられた甲高い少女の声。その声にビクリと身体を震わせ、冴は現実に引き戻された。
 勢いの劣らない炎の上で躍っていた食材が、鍋の中で見事に黒ずんでいて、もはや食すことは不可能な状態になっている。慌ててロコが火を消し、悲惨な状態のそれを見つめながら大仰に息を吐き出した。冴も肩を落とす。

「ダメよ、冴。料理中にぼんやりしていてわ。危ないでしょう」

 ひらひらのレースを施した真っ白なエプロンを身につけたロコが、人差し指をつき立てて冴を叱った。その様はまさに母親のようでもあったが、事情を知らぬ者が見れば、十にも満たない幼女が成人間近の少女を叱る光景は奇妙だろう。

「ご、ごめんなさい」

 また冴も小さくなって謝るものだから、その奇妙さはさらに輪をかけることとなる。

「でもまぁ、そんなに気にすることないわ。失敗は誰にだってあるし、火傷もしてないのなら良かったわ。だからといって、料理中に気を抜いてはダメよ?」
「はい……これ、どうするの?」

 重たい鍋を手に、冴は原形のわからないそれを指し示して途方に暮れた。ロコも小さく嘆息し、肩を竦める。

「もう一度作りなおしましょう」
「捨てるの?」
「仕方ないわ」

 冴は諭すような視線を向けるロコから顔を逸らす。どうやっても食べられそうにないと解っていても、それを捨てるのはもったいないと思ってしまう。
 冴が人間であった時、僅かな食料でも大切な命綱だった。腐りかけていようが、他人の食べかけであろうが、とにかく食べられるものならばそれは食事なのだ。
 酷いときには三日以上何も食べられない時さえあった。生きることに精一杯で、食料を確保するだけでも大変な毎日。だから冴は、今まで生きてきて満腹感という幸福を味わったことがなかった。
 その幸福を味わったのが、人間ではなくなった後だというのは、何とも皮肉なことだ。冴は黒焦げの食材を見つめながら嘆息する。

「気持ちは解るけど、そんな物を無理に食べたら、逆に身体に毒だわ。私達はいいけれど、ディオ達はあれでも生身の人間なのだから」

 四人分の夕飯を作っていた二人にこの量を完食させるには、少し無理がある。それでなくとも、もともと大量の食事を取る機会がなかった冴は、それに慣れてしまって小食であり、ロコも食べるには食べるが、やはり限度というものがある。

「冴。作りなおしましょう?」

 まるでロコの方が悪いことでもしたかのように遠慮がちな、躊躇いがちな口調。冴は仕方なく持っていたそれを脇に退け、ロコが保存庫から持ってきた食材を手に取った。
 伸ばせばすぐに手に入る食材。当たり前に常備されていることへの、僅かな躊躇い。
 いくら欲しても手に入らなかったものが、今簡単に手にとることができ、そしてそれを奪う輩も居ない。空腹を感じてひもじい思いをすることもないし、先ほどのように料理に失敗してもすぐに代えの材料がある現状。
 冴は最初、その事実に目を疑った。この和で、これだけの食材のストックをどうやって手に入れているのか。市場に行っても、硬貨がなければ買えない。それでも、売っているものはたいてい日保ちする干した肉やら魚やらといったものばかりだ。目の前にある瑞々しい果物や野菜は、皆無と言ってもいい。

「おんやぁ? 凄い臭いがするけど……何かあった?」

 冴が息をついたところで、間延びした声がかかる。ディオールが苦笑しながら調理場に足を踏み入れたところだった。

「あら、ディオ。ええ、ちょっと火加減が難しくて……焦がしてしまったのよ」

 誰が、とは言わないのは、ロコの配慮だろう。それでもディオールには伝わったらしく、驚きの色を浮かべる。

「冴ちゃんが? 珍しいね」

 ディオールの凝視に、冴は頬を染めた。自分の失態を知られて、恥ずかしそうに俯く。

「そうね、確かに珍しいわ。今まで失敗らしい失敗はなかったもの」

 今まで冴はまともに料理をしたことがなかったが、というかしたくてもするだけの材料がなかったのだが、この数日間、ロコに教わって料理をしていた彼女の腕は、日ごと目を見張るほどに著しい成長を遂げていた。
 もともと要領がいいのか、こういったことに向いているのか、冴の料理の腕はお世辞抜きで良い。料理に限らず裁縫の才能もある。何というか皮肉な話、冴は家庭的な性分にあるようだった。

「何か気になることでもあったのかい? 焦げるまで気づかないなんて、よほど何か考え込んでいたんだろう?」

 鋭い指摘に、冴は慌てて首をふった。
 気になるというか、冴はあることを心配していたのだ。
 この半月。
 いくら屋敷が広いからといっても、食事時くらいは顔をあわせると思っていた凪が殆ど現れなかったこと。姿を見せても、ディオールと一言二言会話を交えるだけで、食事は取らずにすぐに部屋へ戻っていく。
 未だ冴の手料理にも手をつけない彼を心配して、何度か凪の部屋を訪れてみたが、扉の向こうから返答が返ってくることはなかった。
 会ったら会ったで恐怖は拭えないが、会えないことに比べれはそれは比にならない。やはり怖いと思っていても、姿を見るだけでどこか安堵してる自分がいる。
 最近強くそう思うようになっていた。会いたいと、会えないのが酷く辛いと、冴はせり上がる感情を抑えるのに必死だった。

「あの、凪……は、今日も夕飯はいらない?」

 食事を取るところを一度も見たことのない冴は、いつか彼が倒れるのではないかと心配していた。部屋を訪れる度に食事も届けに行っていたのだが、部屋の前に置いておいたそれが空になっていることはなく、手をつけた形跡もない。
 それでも明日こそはと、結局食されることはないのに、冴はきっちりと四人分の食事を作った。
 凪はドールではなく人間だ。食べなければ死ぬ。
 半月以上も何も食さずに平然としていられるわけがない。

「ああ、何だ、凪の心配してたのか。うーん、愛されてるなぁ凪のやつ」

 ディオールがからかうような台詞を吐く。冴はそれに顔を真っ赤にし、違うと否定の行動を取るが、ディオールはいたずらににんまり笑って、冴の否定を聞き入れない。

「隠さなくてもいいじゃないか。実際食事を取らない凪のことを心配してたんだろう?」
「そ、それは……」

 そうだけれど。冴は事実なだけに言い返せない。だが、それが恋愛感情の上でかと問われれば、それは否である。
 どう答えればいいものか真剣に悩み始めた冴を見かねて、とうとうディオールが吹きだした。

「え?」

 突然声をあげて笑い出した彼に、冴はきょとんと目を丸くする。その仕草がさらにディオールのツボに嵌り、ますます笑いが止まらない。
 冴はワケが解らない、といった風に小首を傾げる。ロコに視線を投げるが、彼女は苦笑して肩を竦めただけで、特にコメントはなかった。

「あはは。ごめんごめん。あんまり反応が可愛いからついね。ロコも始めはそんな感じだったのに、最近では全然乗ってくれないもんだから、久々に悪戯心に火がついたんだよ」
「へ?」

 ようやくおさまってきた笑いを抑え、ディオールがあくびれた様子もなく告げる。冴はそれに、自分がからかわれていたことにようやく気づいた。

「冴は純真なのよ。あまりからかわないで頂戴」
「ああ、そうだね。ごめんごめん」

 笑みを貼り付けたまま、ディオールはロコの忠告を受け入れる。自分を対象に遊ばれていたことを知った冴は、言葉なく二人を見つめ、拗ねるのも大人気ないかとやり場のない思いを苦笑で覆い隠した。

「それで、さっきの答えだけど」

 笑みが尾を引いたまま、それでもいくらか真面目な声でディオールが冴に言葉を向けたちょうどその時、後ろで扉が開く音が響いた。
 視線を向けると、相変わらず不機嫌そうな表情を浮かべた凪の姿があり、突如現れた彼を捉えた瞬間、冴の心臓がドクリと強く脈を打つ。久しぶりに見る、凪の姿。凪の顔。
 冴は無意識に凪を凝視していた。そんな強い視線にも反応を見せず、凪は冴達の傍までくると面倒臭そうに溜息をつく。

「用は何だ」
「うん。今日はご馳走を作ってくれるとかで、ぜひ皆で食事を取ろうと思ってね」

 さらりと答えたディオールに、凪が渋面を作る。たったそれだけのために自分が呼ばれたのかと理解すると、どうにも遣る瀬無さがこみ上げた。
 冴は冴で、ディオールの言葉に驚きの色を見せる。わざわざ凪を連れてきてくれるとは思っていなかったのだ。

「意味もなく俺を呼ぶな」
「だから、目的は今言っただろう? 食事に意味がないことはないし、それにあまり冴ちゃんを心配させるのは感心しないな」
「……何の話だ」

 意味を測りかね、凪は眉をひそめた。本気で解らないらしい。
 そんな凪の態度に、やれやれとディオールは肩を竦めた。

「一度くらいは冴ちゃんに食事をする姿を見せてもいいんじゃないか、といってるんだ。せっかくこれだけの人数が居るんだし、食事は大勢で取った方がいいだろう?」
「一人でとっても問題ない」
「だから……」

 考えをあたらめる気は毛頭ないらしく、どうも雲行きの怪しくなってきたところで、ロコが助け舟を出した。

「凪・リラーゼ。貴方、女性を放ったらかしで、しかも心配までさせているというのに、まだそんな大人気ないことを言うつもり? それこそ食事くらい一緒にとっても問題はないでしょう! ワタクシは貴方と食事なんてまっぴらですけど、冴は貴方のドールなのよ? 毎日とは言わないけれど、顔くらい見せておやりなさいな! というか、食事くらい一緒にとるのが普通ですっ」

 一気に捲し立て、凪を睨みつけるロコ。犬猿な仲である二人は今にも即発しそうな勢いだが、ディオールがそれを上手く中和する。冴はそんな二人をオロオロと見守ることしかできなかった。

「ロコの言う通りだよ、凪。いつも君のために料理を作ってくれている冴ちゃんのためにも、一回は口にしておくべきだと思うけどな」

 凪のために、というディオールの台詞を聞いた途端、冴の顔が赤くなる。その様子を見て、凪は怪訝そうな表情を浮かべたが、すぐにそれも消えた。
 しばらく無言の戦いが繰り広げられたが、途中で二人の押しに対抗するのが面倒になったらしく、渋々と凪がおれた。
 その返事に、冴はいい知れぬ喜びを感じる。胸がじんわりと温かくなる感覚。満たされたような幸福感。だがそれも束の間、現状を思い出して激しい後悔に襲われた。
 先ほど料理をダメにしたばかりなのだ。どうしてこういう日に限って、失敗をしてしまったのだろうか。冴はがっくりと肩を落とす。
 今この瞬間ほど、冴は自分の犯した失態を強く後悔したことはなかった。





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