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 始めて取る凪との食事は、お世辞にも楽しいといえる雰囲気ではなかった。
 いつも三人で取る時はロコが会話に花を咲かせ、明るく楽しい食事になるのだが、たった一人、凪が加わっただけでそれは相反するものとなる。
 ロコは終始不機嫌そうに眉間にシワを寄せて無言で食事を取っているし、その棘々しい雰囲気に中てられるためなのか、ディオールはディオールで複雑な表情が耐えない。
 もちろん、凪が口を開くことなどなく、冴も元々あまりおしゃべりな方ではないので、必然的に沈黙が広がり、かなり重たく息苦しい食事となっていた。
 冴は作りなおした食事を凪のために取り分けながら、内心溜息をつく。
 期待はしていなかったが、やはり凪からのコメントは皆無。目前に出された食事に表情すら変えず、ただ義務的に食を進めているだけ。口にあっているのかどうかも判断できず、冴は影ながら落ち込んだ。
 毎日栄養を考えながらロコと献立を考え、好きなものは何だとか、嫌いなものはあるのかなど色々なことに気を配りながら料理を作るのは容易なことではない。かなり骨を折る作業なだけに、かけられる労いの言葉は格別なのだ。そこまでしてくれなくてもいいが、せめて何か少し反応が欲しかった。

「凪、冴ちゃんの手料理はどうだい?」

 冴の心情を察したかのようなタイミングで、この重たい空気を何とか和らげようと試みたディオールが問う。凪はそれに動きを止め、僅かに視線をあげた。

「問題ない」
「いや、まぁ……」

 切り替えしてきた凪の台詞に、さすがのディオールも顔を引きつらせた。予想してなかったというか、予想通りというか、その答えに彼の方がどう答えていいのか測りかねる。
 冴もそのコメントに今度こそ落胆した。

「そのようなことを聞いているのじゃないわ。美味しいかどうかを聞いているのよ。そんなことも解らないの?」

 小馬鹿にするような、挑戦的な口調で告げるロコ。嘲笑を浮かべた彼女と視線が合って、凪は僅かに眉を寄せる。

「ロ、ロコ……」

 静かに飛び散る火花に、冴は慌ててロコに視線を投げた。気にしていないから、と含ませて、二人の対峙を止めようとする。
 そんな冴を横に、それでもロコは問いを続けた。

「美味しいの? 美味しくないの? どちら? それとも、答えられない? あぁ、答えたくないのかしら」

 ふんっと鼻を鳴らして、ロコは冷笑を浮かべる。彼女は、自分が敵意している人間には容赦がない性格らしい。凪に向ける表情や言葉は、ディオールや冴に向けるものとは全く異なったものだった。
 凪もロコと同じ属性ではあるが、彼の場合は自分以外の者全てに容赦がなく、ロコよりも性質が悪い。そんな似た者同士である二人は、身の凍るような冷戦状態を続けていた。

「どうしたの? 貴方のその口は飾りなのかしら。何か喋ったらどう?」
「ロコ」

 あまりの侮辱に、さすがのディオールも語気を強くしてロコを諌める。それにロコは渋々身を引き、不機嫌はそのままに席を立った。

「せっかくの食事もこれでは台無しよ」

 一言言い残し、最後に凪を睨みつけて部屋を出て行く。冴は咄嗟に追いかけようと腰を浮かせたが、それより先にディオールが席を立ったので、冴は仕方なく腰を落とす。

「悪いね、二人とも。少し心配だから僕も先に失礼するよ」

 言うより早く、ディオールもロコの後を追うように部屋を出て行った。二人、広い空間に取り残されて、冴は途方にくれる。終始無言の凪を目の前に息苦しさを感じ、冴は元々止まり気味だった手を完全に停止させてしまった。もはや食事どころではない。
 凪は特に気にした様子もなく、もくもくと料理を片付けていく。
 冴は銀のナイフとフォークを放し、自分の手を膝の上に置いた。遠慮がちに凪の姿を見つめる。
 一口大に切り分けた料理を口に運ぶたびに、漆黒の髪が揺れた。
 食事をする姿勢に乱れはなく、慣れた手付きでフォークとナイフを駆使している。冴は今までこんなものを使ったことがなく、始めのうちは使いづらく食べづらいので、かなりストレスを感じていた。
 満足に食事を楽しめず、折角の料理が台無しだと何度も思ったが、それでも使い込むに連れて次第に慣れ、今では普通に食事を楽しめるようにまでなった。
 凪にも、そんな時期があったのだろうか。ふと冴はそんなことを思い、想像して、小さく笑みを零す。

「……何だ」

 そんな冴に気づき、凪が怪訝そうな表情を浮かべた。それに慌ててかぶりを振って笑みを消すが、凪の視線は外れないまま冴を捉えている。
 凪と今までまともに視線が合ったことなどなかったから、余計に冴は自分から視線を逸らせなくなってしまった。
 吸い込まれるような漆黒の瞳。
 強く射るような眼差し。

「あの……」

 自分は今、どれだけ酷く情けない顔をしているのだろう、と冴は思った。恐怖に引きつっているのか、それとも泣きそうな表情なのか。それでも冴は言葉を紡ぐ。声は心持ち震えているように聞こえた。

「食事は、口に合いますか?」

 先ほどの凪の返答を聞いていたので無意味な質問だな、と冴は思ったが、何となくこのまま彼の気をそらせるのも惜しいと思った。そんな冴の質問に、凪はやはり訝しそうな表情を作る。

「同じことを言わせるな」

 面倒くさそうに答えながら、冴から視線を外す。台詞は冷たかったが、不機嫌なものではなかった。それが責めるような口調ならば、冴はいつものように口を噤んでいただろう。けれど、彼女は何かに背を押されるように問いを重ねた。

「好きなものはありますか? 嫌いなものは?」

 知りたかった。何でもいい。別に食事の好みでなくてもいい。兎に角、冴は凪のことを何か知りたかった。そんな彼女に迷惑そうな顔をして見せたものの、珍しくも凪が無視をすることはなかった。

「ない」
「……」

 まともに返答が返ってきたことに、冴は目を見開く。正直答えなど期待していなかった。またきっと無視をされるか、冷たくあしらわれるのだろうと覚悟していたのだが、今までになかった展開に、冴は胸を覆う氷が少し解けるような温かさを感じた。
 緩みそうになる顔を必死で抑えながら、冴は食事を再開する。
 相変わらずの無表情に、無関心。他人の介入を許さず、また、他人のことに全く干渉しない凪。
 無愛想で、酷薄で、冷徹。なされる会話は皆無に等しいが、それでも冴は今、満たされていた。
 だって、冴は知ってしまったから。
 凪が、自分の作った料理を食べてくれている。口に合わなかったら、凪のことだ。きっと一口食べてすぐに席を立ったはずだ。
 それを、きちんと最後まで食べようとしてくれている。これ以上の賛美があるだろうか。
 冴はとうとう抑えきれなくなって、薄っすらと笑みを浮かべた。舞い上がらずにはいられない。


――――――問題ない


 これが、彼の褒め言葉であることに、冴は気づいてしまったのだから。





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