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「うーん、厄介なことになっちゃったなぁ」
 呟きながらも、相変わらずの笑みを浮かべたままディオールは市場を見て回っていた。もっとも、内心では覆い尽くせぬほどの焦りを感じていたが、それを表面に出すことはしない。
「参ったなぁ。あぁ……冴ちゃんに何かあったら凪に殺される」
 先ほどから視線や気配を常に張り巡らせているが、やはり二人の少女の姿はどこにもない。
 ディオールは表情を殺して、五感を研ぎ澄ました。辺りの様子や人々の会話を聞き、二人に関わるような内容が無いかを探る。しかし、どれも客とのやりとりや、世間話くらいのものだ。
 小さく息を吐き出す。
「……ロコ」
 ディオールはポツリと幼い少女の名を口にした。
 彼女達に何かあってからでは、遅いのだ。
「仕方がない」
 彼は何かを決断したように手をかざす。瞬間、ディオールの耳に悲鳴が届き、咄嗟に声のした方を振り返った。
「ロコっ」
 ディオールは叫んで、声を辿るように地を蹴った。





「やめてぇぇっッ!!」
 冴の絶叫。
 振り下ろされるナイフ。怒濤の如く甦る記憶。
 かつての自分と重なって、冴は叫号する。
 懸命に男の腕から逃れようとするが、きつく握られたそれから抜け出すことが叶わない。冴は悔しさに奥歯を噛んだ。
「くたばれッ!」
 刃がロコを襲う。しかし少女は、それをさらりとかわした。
「っの、ガキがぁっ!」
 男はますます逆上し、瞬時に身を翻してナイフをふるった。切っ先が再びロコに向かう。
「ロコ……ッ!」
「っ、ぐぁッ!?」
 冴の悲鳴と、男の悲鳴が重なった。少女に向かったナイフが不自然に止まる。
「女の子にナイフをつきつけるなんて、穏やかじゃないね」
 続いた声。聞き覚えのあるそれに、冴は咄嗟に目を見開いた。笑みを貼り付けながらも凍るような眼差しに、男は顔を引きつらせる。
「ディオ……っ」
 冴は目の前に現われた青年、男の腕を捉えて佇んでいるディオールの名を零す。
「これが何か、解らないわけじゃないだろう?」
 ディオールはロコと冴をちらりと確認すると、男の片腕をさらに捻り上げ、手に持っていたナイフを奪いとると、その刃を男の前でちらつかせる。男はそれに息を飲みながらも必死に抵抗を試みるが、腕を掴まれているだけなのに反撃できない。それどころか、動くこともままならなかった。
「刺されれば最悪、命を落とすことだってある。それの意味が、どういうことであるのか、身をもって知るか?」
 ディオールは刃の切っ先を男の喉元に突きつけ、薄っすらと笑みを浮かべた。彼から放たれる気配は、激しいほどの殺気。
「ひっ……」
 男は喉の奥で悲鳴を上げる。ディオールの表情や自分のおかれている状況から、瞬時に敵わないことを悟ると必死に首を振った。
 みっともない面を浮かべながら、先ほどの威勢など欠片もなく、男は惨めに助けを請う。
「彼女を放せ。一歩も動くな」
 男の懇願を聞き入れる変わりに、ディオールは冴を捉えている男に冷たく告げる。男は顔を引きつらせながらそれに応じた。解放されて、冴は身体から力が抜けていくのを感じる。
 それでも、まだかすかな恐怖や震えがあった。
「冴っ」
「ロコ……よかった」
 青白い顔を浮かべる冴の元へ駆け寄ってきたロコが、彼女の身体を支える。
「ワタクシは平気。それよりも冴、少し腕が赤くなっているわ。強く絞められていたのね、可哀そうに」
 言いながらロコが労わるように冴の腕を撫でると、それに答えるように赤みが薄らいでいく。ドールとしての自然治癒が発揮されているのだろう。二、三度瞬きすると、赤みは完全に消えていた。
「さてと。僕のものに手を出そうとした御礼をしなくちゃね」
 冴が解放されたのを見て、ディオールは不敵な笑み浮かべる。掴んでいた腕に力を込めると、ポキンッ、と何かが折れる音が響いた。
「ぐあぁぁァァァっッ……!」
 その途端、男が悲鳴を上げてのた打ち回り、ディオールは痛みに悶える男の腕を放した。
「これだけですんだことに感謝してほしいね。これが凪だったら、君達全員、即死だよ」
 さらりと告げながら、暴れる男に一発蹴りを入れる。男はそれで意識が混濁し始めたのか、だらりと項垂れ、そのまま抗う様子も見せずに地面に倒れこむ。それを見ていた男達からどよめきが上がった。
 ディオールはそれに答えるようにゆっくりと振りかえる。男達は揃って肩を震わせ、地面に倒れた男とディオールを交互に見比べると、脱兎の如く逃げ出して行った。
 去っていく男達の背を見やりながら、冴はようやく肩の力を抜く。
「二人とも怪我はなかったかい?」
 取り残された男を路地の奥へと放り投げ、ディオールが立ち尽くす少女達に視線を向ける。いつもの笑みを浮かべて近寄ってくる彼を見て、冴はいい知れぬ安堵を覚えた。コクリと頷き、やっとの思いで弱々しく微笑む。
「良かった。怖い思いをさせてしまって、すまなかったね」
 ディオールの手が、冴の頬に触れた。労わるようなその優しさに、冴は目の奥が熱くなるのを感じる。
「ロコも。怪我がなくてよかった」
「あれくらい、ワタクシにはどうってことないわ。それよりも、来るのが遅いわ、ディオ」
「悪かったよ。遅れてしまって」
 ムスッとした表情を浮かべて頬を膨らませる少女に、ディオールは苦笑を浮かべながらも素直に謝り、そのままロコを抱きかかえた。
 いきなり視野が高くなり、ロコは目を丸くする。
「またはぐれたら大変だから、お詫びも兼ねて抱っこしてあげよう」
「なっ! こ、子どもじゃないのだからいいわ! 降ろして!」
 いたずらな笑みを浮かべるディオールに、顔を赤くして抵抗を試みるが、ロコの表情は嬉しそうでもあった。
 そんな二人を見て、冴は静かに微笑んだ。



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