U





 時計の秒針が鳴る音だけが、響いていた。
 深閑な空間で、冴はじっと動かない。
 目前で眠る凪の手を両手で包み、彼が目覚めるのを片時も離れず待っている。
 だが、心ここにあらずといった様子で、ぼんやりと凪を見つめながら、意識はどこかへ飛んでいるかのようだった。
 頭の中を延々と駆け巡る言葉の羅列を消す術を、今の彼女は知らない。
 抗うように、冴はゆっくりと瞳を閉じた。



「僕達は死なない。どんなに大量に出血しても、どんなに致命傷を負っても。外部からの衝撃によって、僕達が死ぬことは無いんだよ」
 笑みを浮かべているオルビスの口から出た言葉は、その表情にはおよそ似つかわしくない内容だった。
 冴は思いもよらない事実に、ぽかんと呆けてみせる。
「冴、君が死なないように、ドーマもまた、怪我や病気で死ぬことは無い。僕達の中に顕在するこの異端の力が、それを許さないから。まるで呪いのように、僕達の死を妨げる……だからこそ、僕達は異質なんだ。こんな能力があるだけでも十分異様なのに、人間の死をも超越した存在なんだからね」
 何がおかしいのか、オルビスはくすくすと笑い声を立てた。口調は軽い。だが、それが冗談ではないと告げるような眼差しを向けられ、冴は言葉を失った。
 異質な力は、どこまでドーマ達を苦しめれば気が済むのだろう。
 彼らは酷薄で無関心だ。全てのことに、どこか冷めているような気がする。あのディオールでさえも。
 だが、それは本当に酷薄なのだろうか?
 むしろ酷薄なのは、世界の方なのではないのか。彼等を取り巻く、人間の方なのではないか?
 相容れないと解っているから、諦めるしかなかっただけで、受け入れなかった人間側の態度の方が、むしろ酷薄といえるのでは……
「だけど、僕達にも死はある。命あるものには必ず終わりがある。それは僕達も変わらない。ただ、与えられた死は、恐ろしく遠いってだけで」
「……え?」
「僕達に与えられた死は寿命だけ。それも、恐ろしく長い、ね」
 オルビスは遠くを見るような眼差しで、窓の外に視線を向ける。冴は、彼の言葉の意味が解らず、首を傾げた。
「外傷での死はない。治癒能力も、ドールほどではないけど向上している。だけど、重症の傷を癒すためにはそれなりに時間はかかる。ドールのように一日、二日で治るということはないし、痛みも半端ではないんだよ。いっそ死んでしまいたいと思ってしまうような苦しみに耐えなくちゃいけない」
 先ほどの台詞との繋がりが解らなかったが、冴は首を傾げたまま、黙ってオルビスの言葉を待った。
「いっそ死ねれば、どれだけ楽だか解らないよ。異端の力……こんなものがあるために、僕達は死すらも与えられない。いつ訪れるのか解らない終わりを待ちながら、永遠にも似た長い時間を生きるんだ。異質が故に」
「どういう……こと?」
 紡がれた声は掠れていた。その問いに答えるように、先ほどまで黙っていた戎夜が口を開く。
「つまり、ドーマは不老長寿だということだ。おそらくは、テロメアが普通の人間より多い、あるいは増殖しているのだと俺達は考えている。どちらにせよ、ドーマが持つ異質な能力の作用によって引き起こされる現象だろうが、詳しいことはまだ解っていない。しかし、そのせいで成長を恐ろしくゆっくりとしたものに変化させてしまうんだ」
「薬によっては、その人によくない症状を引き起こしてしまうことがあるでしょ。あれと同じ原理なんだよ。僕達は異端の力という薬を使う代わりに、不老長寿という副作用を強いられた。簡単にいえば、そういうこと」
 不老長寿。
 それは、一体どれほどの時間を指すのだろう?
「ドーマの中で最年長者なのはディオールだよ。彼がどれほどの時間を生きているのか、正確な数字はわからないけどね。僕だって、こう見えても冴の歳の三倍近くは生きているんだから」
 オルビスはさらりと告げる。冴の歳の三倍。その数字は、普通の人間が人生の半分を終えた年数に価する。
 この目の前にいる幼い少年が、すでにそれだけの年数を生きているのだ。これが、ドーマに与えられた副作用。不老長寿……
「言っておくけど、僕なんてドーマの中では赤子同然なんだ。ディオールのドールにも及ばない」
「え?」
 ディオールのドールは、ロコだ。
 なぜ彼女が出てくるのか、冴はオルビスを凝視する。
「本当に、何にも知らないんだね。ドールはドーマと一蓮托生。ドーマが死ねば、ドールも死ぬ。裏返せば、ドーマが死なない限り、ドールも死なないということだよ。つまりね? 一番長く生きているディオールのドールであるロコも、それなりの長さを生きているってことさ。少なくとも、僕の倍以上は生きているだろうね」
 冴はあまりの事実に、反応を返せない。口元に手を当て、俯いた。
 あの幼いロコが、人の寿命以上を生きている。
 冴などには想像もできないような時間を。比較などできないような年月を。
 ずっと、今まで妹のように思っていたロコが、実は自分よりもずっとずっと年上だったのだ。だから、あんなにも彼女は強く、大人びて見えたのだろうか。


『ワタクシから言わせれば、凪・リラーゼなどまだまだ子どもだわ』


 だからこその台詞だったのだろうか。
 あの時冴は軽くそれを流した。けれど、それは紛れもない事実だとしたら?
「でも、ロコは……」
 ロコはどう見ても、八歳前後の姿をしている。それだけの年月を生きてもなお、あれだけの成長しかしないのか?
「冴、忘れてない? 君達はドール、元が人形なんだよ? 人形が成長するわけないじゃない。姿なんて、一生変わらないよ」
 そうだ。確かにロコも最初、そんなことを言っていた。ちゃんと聞いていたのに、そんなことすら忘れてしまうほどに、自分達は人間と変わりない。今も、自分が人形だなどという実感はほとんどないのだ。
 では、やはり冴も、この姿のまま老けることなどない、ということになる。
「凪、も?」
 冴は混乱のあまり、擦れた声で問う。その台詞に、オルビスはやれやれと肩を竦めた。
「確かに不老長寿だっていったけど、僕達は成長しないわけじゃない。ある一定の時期までは成長するんだよ。でも、それがいつなのかは解らないし、ドーマによっても異なるんだ。そこからは、まぁ、ごらんの通り成長が止まるんだけどね。まるで時を忘れたかのように、何にも変わらない。でも寿命を迎えると、今まで止めていた時を早送りしたかのような速さで老化していくんだってさ」
 まるで他人事のように話すオルビス。
「……実際、ドーマの寿命なんて見たことないからわからないけどね。ディオールは教えなかったの? 今の話」
 ショックを受けたように固まった冴の反応を窺い、オルビスは小さく吐息する。冴は小さく頷きを返した。
 そんな話など、ディオールも、ロコでさえも話してくれたことはない。自分は限りなく死に遠く、また、不変などとは。
 確かに冴は死を恐れていた。だが、彼女はこんな生を望んでいたわけではない。
「一つ忠告をしておいてあげるよ。ディオールをあまり信じない方がいい。現に今も、こんな重要な事実を隠していた。彼は、信用できない」
 そう言って、オルビスは真摯な顔で冴を真っ直ぐに見つめた。




 冴は回想を打ち消すように、脳裏に浮かぶ少年の笑みを無理やり押し留め、うっすらと瞳を開ける。
 正直、解らない。
 ディオールは、今まで何度も冴のことを助けてくれたし、ロコだって同じだ。彼らが冴を謀っているなどとはとてもじゃないが思えない。
 けれど、オルビスの言うことも一理ある。なぜ、ディオールはこのことを教えてはくれなかったのだろう?
 考えられるのは、一つ。

 知られては、不都合があるから……――――――?

 冴はその考えを打ち払うように頭を振る。
 そんなはずはない。きっと、言いそびれていたのだ。どちらかといえば、オルビスのほうが信用ならないではないか。何せ凪を襲ったという前科があるのだ。
 だが、やはりそこで冴はその思考をも打ち消す。あの屈託のない笑みが、偽りであるとも思えない。彼女は縋るように、握っていた凪の掌を自分の頬へ添える。彼はまだ目覚めない。

「私は、誰を信じたらいいの……」

 こぼれた声音は、あまりにも悲痛なものだった。



BACK   TOP   NEXT