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 凪の自室に戻ると、冴は一気に身体を襲う脱力感に苛まれた。
 持ってきた水差しをテーブル上に置き、先ほどまで座っていたイスに腰を降ろす。凪が目を覚ました形跡はない。
 熱に侵されているのか、額に汗を滲ませ、苦しそうに喘いでいる。冴は拭き取れるところだけを拭い、水で冷やした布を額に乗せてあげた。
 ひやりとした感覚が気持ち良かったのか、凪の表情が少し和らぐ。冴はホッと胸をなでおろし、再び彼の手を握りしめ、祈るように額にあてた。
 ディオールとロコは、どうなっただろう。気にならないわけではないが、今の自分には何もしてあげられない。だから、きっと大丈夫だろうと、冴は無理矢理思いこむことにした。
 ドール化。
 二人が傷つく原因になった現象。それは、ドーマを守るための盾と矛になる、一時的な武具化。
 心を殺ぐことで脅威的な力を誇るドールを、ドーマは自由に操ることができる。そのことに、冴はあまりショックを受けなかった。むしろ、役に立てるという喜びの方が大きかった。
 凪を守れるのだ。自分が。
 そう、できるのだ。そのはずなのに。
「何で……」
 凪は自分を使わなかったのだろう。あの時、そんな素振りなど全く見せず、自らが盾になった凪。
 まるで冴を守るかのように。
 それは、己が死ぬことはないと解っていたからなのか、それとも端から冴に頼る気などなかったからなのか。
 あるいは、本当に冴を守るために―――――?

『何でディオールが自分を責めるのかが解らないよ。たかがドール化させたくらいで』

 物として扱いたくない、思いたくないと、そういう見方をするディオールを理解できないといったオルビスの言葉。それがもし、凪にも当てはまるのなら……彼もまたディオールと同じ考え方、ということになる。
 だからこそ、凪は冴を最後まで使わずに、己が盾になった?
 いずれにせよ、あの時凪が何を思って庇ったのか、それが冴には解らなかった。思い出せば出すほど、解らなくなる。
 戎夜が冴に牙を向いた時、少なかれ凪は焦っていた。逃げろと。
 彼を追うように地を蹴った凪は、秒差で冴の盾になった。普段の態度からは想像もできないような行動。
 いつだって凪は冴に冷たかったから。
 嫌われているのだと、酷くいえば憎まれているのだと、そう思っていた。
 それでも、冴は凪を嫌いにはなれなかった。抱くのは、畏怖と仰望。凪の存在はあまりにも大きく、そして絶対的。
 決して軽視できない何かが、彼の中にはあった。
 だからこそ、冴は守らなくてはならなかったのに。疎まれていても、彼女には凪が必要なのだから。
「こんなになってまで、どうして」
 大切な人が傷つくのは、厭だ。
 絶対的な存在だからこそ、失うのが怖かった。
 あの時の恐怖は、測り知れぬもの。目の前が真っ暗になって、死を垣間見た時と同じ、あるいはそれ以上のもので。二度と味わいたくないと思った恐怖。
 失いたくないと。失ってはいけないと。
「どうして……守らせてくれなかったの?」
 こんなに傷ついてまで。
 冴自身は、守りたかったのに。それができるだけの力があるのに。
 大切な人達を守りたいのに、いつも何もできずに守られるだけ。それが、彼女には耐えられなかった。誰かに優しくされることに慣れていないせいもあるだろう。無条件に守られることに抵抗があるのだ。
 今まで冴を守る者などいなかったから。母でさえ、愛してると言いながら冴を殺しかけた存在だ。
 狂った者に囚われていた冴には、誰かを守りたいと思えるほど大切な存在などいなかった。
 けれど今は、己の身が傷つくのも厭わずに庇ってくれた凪や、いつだって笑って傍にいてくれるディオールとロコを、身を投げ出してもいいと思えるほどに大切になっている人達を、守りたい。
 初めて守りたいと思った存在ができたのだから。傷ついて欲しくない。
 冴は額を放して顔を上げ、未だ目を覚まさない凪を見つめた。身体にまかれた包帯が、薄っすらと血で滲んでいる。
「私にも、守らせて」
 大切な人達が傷つく様は、見たくない。願わくばいつも倖せであって欲しいから。
 例えその願いが自分の我が侭でしかなくても。勝手なエゴでも。凪やディオール達に傷ついた表情なんてさせたくない。
 冴は冷たい掌を暖めるように両手で包み、想いを注ぐようにギュッと握る手に力を込めた。
 その瞬間―――――
「っ……!」
 まるでそれに応えるように、凪の手がピクリと反応を示した。ハッとして彼に視線を向けるが、苦しそうな表情が浮かんでいるだけで、やはり目覚める気配はない。
 けれど。
「な、ぎ?」
 まるで縋るように、彼は冴の手を握り返す。何かを求めるように、存在を確かめるように、その手を放そうとしない。
 思わず戸惑うが、先ほどまでの苦しそうな表情が和らいでいることに気づき、冴は目を見張った。少しだけ、凪の苦しみを和らげることができたのかもしれない。そう思うと、自然と顔が緩む。
「大丈夫。貴方は私が守るから。ここに、いるから」
 囁きながら、冴は静かに微笑んだ。





 用意された部屋に戻るなり、オルビスの身体がその場に崩れ落ちるように傾ぐ。それを戎夜が受け止め、支えた。
「戎夜……」
 真っ青な顔を浮かべ、弱々しく戎夜の服を掴むオルビスは、相当弱っているように見受けられる。そのまま少し寝かせようとベッドまで連れて行くが、オルビスはそれを拒んだ。戎夜の腕を払い、ソファに倒れこむように身を沈める。
「少し、疲れた」
「……無理をしすぎだ。だから、説明は俺がすると言ったのに」
「戎夜の説明は解り辛いんだよ。要点しか言わないから」
 疲れたような口調で言い放つオルビスから視線を逸らし、戎夜は苦渋を浮かべる。

――――――何を勘違いしてるか知らないけど、人形は物だ

 オルビスが吐き捨てるように言った言葉。あの台詞が彼の本心ではないことを、戎夜は十分承知している。
「それに、お前が悪く思われるのは厭だからね」
「オルビス……」
 本当は誰よりも優しく、誰よりも傷つきやすい少年。戎夜を大切にするあまり、敵視しなくてもいい者にまで牙を向けてしまうのは、幼いが故。
 長い時間を生きていても、オルビスの心はその見かけ通りの歳しか成長していない。子どもの姿で止まった身体と共に、まるで大人になることを拒むようにして心の成長をも止めてしまったのだ。
 穢れを許さず、己の心を守るようにして立ち止まり、進むことを恐れている。
「戎夜」
「……どうした?」
 呼ばれて視線を向けると、不安げに瞳を揺らし、戎夜を見つめるオルビスの姿があった。彼はその視線を受け止め、オルビスが何を訴えているのかを悟ると、横になっているソファの前に膝をつく。
「そんな顔をするなオルビス。解っている。俺だけは解っているから」
 目前の少年をまっすぐ見つめ、戎夜が優しく髪を撫でると、オルビスは表情を崩した。
「ごめん、戎夜」
「謝る必要などない。忘れるな、オルビス。俺はお前のモノだ。お前のためだけに在る」
「うん……」
 頷きながらも、オルビスの表情はどこか沈んでいる。戎夜は彼の髪を梳きながら、尚も言葉を続けた。
「不安ならば何度でも言う。俺はオルビスのためだけに在るんだ。どんなことがあろうとお前の傍にいる。だから何も恐れることなどない」
 その声も、表情も、慈しむようなもの。柔らかいその眼差しに、オルビスはホッとしたような笑みを見せ、そのまま眠りにつくように瞳をとじた。



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