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「あ……」
 灯りの正体を突き止めるべく奥へと足を伸ばした冴は、その灯りに照らされて闇の中に浮かび上がっていた人物に微かな驚きの声を上げる。
 埃の溜まった全体的に暗くかび臭い部屋に、うっすらと灯るランプの光。その灯りが照らすのは、一人の青年の姿だった。
「戎夜、さん?」
 真剣に書物と睨めっこをしていた彼は、声をかけられて初めて冴の存在に気づく。ハッとしたように面を上げ、その先に冴の姿を捉えると僅かに目を見張った。
「お前は東の……すまない、勝手に入り込んでいた」
「え? あ、いえ」
 戎夜からしてみればここは他人の家だ。一言もなしに勝手に書庫に入り込んだことについての侘びだろう。まさかそんなことに頭を下げられると思わなかった冴は面食らう。どう反応すべきか困り果て、仕方なく別の話題を切り出した。
「あ、あの、読書、ですか?」
「ああ。暇つぶしにな。お前もか?」
「あっ、は、はい……」
 読み書きができないために、徐々に字に慣れていこうと思って絵本をとりにきたなんてことは言えなかった。咄嗟に頷くと、戎夜はスッと本棚から一冊の本を取り出して冴の前に差し出す。
「それならこの話はなかなか良かった。少し長いが、読んでみるといい」
「え? あ、あの……えっと……」
 とりあえず受け取るも、分厚い本の重みと、それに比例するくらい細かいのであろう字を想像して冴は顔を引きつらせる。
 読めるはずがない。
 凪が薦めた本よりも難関が高そうだ。
「どうした?」
 しかし戎夜がそんなことを知るはずもなく、不思議そうに首を傾げる。
「いえ、その……」
 非常に言い辛い。以前の冴の暮らしを知っている凪には隠しても無駄だが、戎夜は違う。ドールになる前の冴を彼は知らないし、この大陸の人間でもない。それに、おそらく冴以外のドール、ドーマは読み書きなど普通にできるのだろう。
 それを考えると、自分だけそれができないということを自白するのは非常に恥ずかしかった。そのため何と答えたらいいものか考えあぐねる。
「……ああ。なるほどそうか。この大陸で教養を身につける環境などなかったな」
 言い淀む冴にピンときたらしい戎夜が、納得した表情を浮かべた。それで僅かに頬を染めた冴に、彼は苦笑する。
「考えてみればそうだな。それが普通だ。すまない、配慮が足りなかった」
「い、いえ……私の方こそ、ごめんなさい」
「お前が謝る必要などない。字が読めないことは恥ずかしいことではない、この大陸でなら尚更」
 戎夜は淡々と紡ぐ。その言葉に、嘲りや憐れさといったものは含まれていなかった。むしろ逆で、まるで彼の口調は自分もそうだったのだと思わせるようなものだった。
「それに、読めないなら今から読めるようになればいいだけの話だ。俺でよければ協力しよう」
「え?」
 凪とは違う続きに驚き、冴は戎夜を見上げる。
「……いいんですか?」
「俺は構わない。一人で覚えるのは大変だろうからな」
 確かに、一人で何も解らないところから始めるよりも、教えてくれる人がいた方が理解も早いだろう。
 そうすれば、少しでも早く読み書きができるようになって、凪の読んでいる物に追いつくことができるかもしれない。
「あの……じゃぁ、お願いしてもいいですか?」
 おずおずと申し出ると、戎夜が僅かに笑みを浮かべた。冴はその表情に思わず惚ける。
 彼が笑った顔など、初めて見た。
 普段から殆ど表情を変えない彼にしてはおそらくこの変化は珍しいだろう。
「どうかしたか?」
 目を瞬き、驚いた表情のまま固まった冴に僅かに首を傾げ、戎夜は問うた。その様子からは、今さっきまで自分が笑っていたことに気づいていないのだということが伺える。
 つまり、無自覚の微笑だ。
「いえっ、なんでも……」
 まさかこんな不意打ちに合うとは夢にも思わなかった冴は、僅かに早まった心拍数を正常値に戻すために深く息を吸った。
「ならいいが。そうと決まれば早速始めよう。まずは読みからだな」
 彼女の答えが府に落ちないながらも、戎夜はすぐに話題を切り替えて何冊かを本棚から抜き取り、腕に抱えると傍らに置かれていたランプを手に取った。
「ここでは狭い。部屋へ戻ったほうが良いな」
「あ、そうですね。だったら、私の部屋で……」
「いや、俺達の部屋の方がいいだろう。今ならオルビスもいるだろうし」
 さすがに年頃の男女が部屋に二人っきりはまずいだろうという、戎夜なりの配慮だろう。だがそういうことには疎い冴は、僅かに首を傾げただけで素直に応じた。
「それに教わるなら、俺よりもオルビスの方が解りやすい。オルビスが言うには俺は言葉が足りないらしいからな」
 僅かに眉を顰め、ふてくされたように告白する彼がおかしくて、冴は思わず笑んだ。それに気づいて、戎夜に複雑な表情が浮かぶ。その表情がまた可愛らしくて、今度はクスクスと声を立てて笑った。
 ここまで見た目と中身にギャップがある者と、冴は初めて出会った。
 あまりにも真っ直ぐで。
 あまりにも素直。
 思わず可愛いと思えてしまうくらいに。
「ご、ごめんなさい」
「いや……」
 一向に笑いが止まりそうにない冴を前に、戎夜は口元を押さえ、視線を外した。そこまで笑うほどおかしなことを言っただろうかと真剣に悩み始め、難しい表情が浮かぶ。
 今までオルビス以外の他人と深くかかわったことがない上に、異性との関わりなど殆ど皆無だった彼にとって、この展開はまさに未知のものだった。
 対処の仕方が解らない。
「ほ、ホントにごめんなさい。あんまり戎夜さんが可愛いから、つい……」
「俺が?」
 可愛い?
 まさかそんな台詞を言われると思わなかった戎夜は、驚きを通り越して訝しんだ。
 聞き間違いかあるいは何かの冗談か。どちらにしても、男が言われて嬉しい言葉ではない。
「あ、え? わ、私今凄いこと言って……?」
 途端、怪訝な表情を浮かべた戎夜にハッとし、先ほど勢いで言ってしまった自分の台詞に自身が驚いている。
「あ、あの、悪い意味じゃないんです! ただ、思っていた人と全然違ってて……素直な人なんだ、って思ったら、その……」
 上手く説明できないながらも、必死に悪意で言ったのではないことを伝えようとする。そんな冴を見て、戎夜の表情が崩れた。
「そういうなら、褒め言葉として受け取っておこう」
 苦笑交じりに零れた言葉に、冴はホッと肩の力を抜いた。



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