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V





 扉をノックする音に、凪は僅かに眉を顰めた。
 先ほど部屋を出て行った少女のものとは異なる気配に警戒の色を見せる。
 そんな凪を余所に、扉を叩いた人物は返事も待たずに扉を開けると、ひょこりと顔を覗かせた。
「やぁ、調子はどうだい?」
 相変わらずの微笑を浮かべて顔を覗かせたのは、何かと凪を気にかけるディオールだった。そんな彼の登場にますます眉間にしわを寄せた凪は、荒々しく息を吐き出す。
 一目見ればものすごく機嫌が悪いと解る彼の様子にも全く態度を変えず、ディオールは傍まで歩み寄ると近くにあった椅子に腰掛けた。
「……何の用だ」
 ベッドに横になったまま、凪は挑むような眼差しをディオールに向け、今にも噛み付かんばかりの威嚇を放つ。相変わらず気を許そうとしない彼に、ディオールは苦笑だけを浮かべた。
「ただのお見舞いだよ。様子を見に」
「必要ない」
 即答し、凪はディオールから視線を外した。面倒くさそうに上体を起こし、改めて彼を睨みつける。
「相変わらずだね。そんなに警戒しなくてもいいだろうに」
 しかし、今更ディオールが凪の威嚇に動じることはなく、慣れた様子でさらりとかわすと、話題を切り替えた。
「それはそうと、冴ちゃんの姿が見えないけど」
 辺りを一通り見渡し、ディオールは首を傾げる。その問いに、珍しく凪は返答した。
「……食堂」
「食堂? あぁ、お茶でも入れに行ったのかな? でも、それだと変だな……」
 含むように言い淀むディオールに、凪は怪訝な表情を浮かべる。
「さっき廊下で冴ちゃんを見たけど、食堂とは逆へ向かっていたよ」
 告げられた内容に、凪は特に反応を見せなかった。食堂と逆の方向なら、冴の自室という可能性もある。確かに、お茶でも入れてくるといって出て行った彼女の行動にしては不自然だが、一旦自室に戻らなければならない用があったのかもしれない。
 別にそこまで不思議に思うことではないだろう。それに、特別冴の行動に制限をつけているわけでもない。自分に関わらず目の届く範囲であれば、どこをウロウロしていようが自由にさせていた。
 もとより、彼女の行動に興味などないのだ。
「それがどうした」
「いや、凪が気にならないなら別にいいんだ」
 けれどディオールは、どこか試すような表情で凪を見ている。それが気に入らず、凪は苛立ちを覚えた。
「何が言いたい」
 彼の機嫌が見る見る悪くなる。反応を伺うようにして見ていたディオールは、その態度に僅かに肩をすくめて小さく吐息すると、やれやれといった様子で口を開く。
「彼女の隣に……戎夜くんがいたんだよ。一緒に並んで歩いていた」
 その台詞に、凪がピクリと反応を示した。
「それだけなら僕もあんまり気にしなかったんだけどね。そのまま彼の部屋に一緒に入っていったから……」
 おかしいと思ったのだ。
 戎夜の隣を歩く冴の表情には、楽しそうな笑みが浮かんでいた。戎夜も、今まで見たことのないような穏やかな瞳で冴を見ていた。
 一気に縮んだ距離と、辺りを包む穏やかな雰囲気に驚くなという方が無理な話だ。
「このままだと、冴ちゃんが彼を選ぶ可能性もある」
 凪の傍にいることよりも、他の異性といる方を選んだ、それが前触れ。
 お茶を入れてくると言って出て行ったにしては、帰りが遅かったこれが理由。
 凪は妙に納得する。
「俺には関係ない」
 しかし凪は、興味がないといった風にディオールから視線を外した。ディオールはその台詞に驚愕する。
「凪……っ」
「俺が必要なのは『冴』じゃない。あれが誰を選ぼうが俺には関係ない」
 失笑を浮かべた彼に、ディオールはグッと拳を握り締めた。
「……考えを改める気はないのか? 今ならまだ間に――――――」
「黙れッ」
 途端、珍しく凪が声を張り上げた。それに驚き、ディオールは咄嗟に言葉をとめる。
「貴様には関係のないことだ。口を挟むな」
 激しい憎悪が浮かぶその瞳で、凪はディオールを睨みつける。
 全てを失った。たった一つだったのに。
 後は何もいらなかったのに。
 それを奪われた哀しみは、ディオールにも解る筈だ。
 だからこそ取り戻したいと思って、何が悪いのか。
「……関係ない、とは言い切れない。オルビスも勘付いている。彼も言っていたように、他のドールに影響がないとは言い切れない。僕は今の幸せを、ロコを失いたくない。君は、失ったものを取り戻すために他人の幸せを奪うのか?」
「影響があるとも言い切れない」
「だが、成功するという確証もないのにっ!」
 ディオールが叩きつけた言葉に、凪は咄嗟に反応していた。まだ動かしてはいけない身体で立ち上がり、ディオールの首を掴むと締め上げにかかる。
「ッ!」
 身体に巻かれた白い包帯に、じわじわと赤い染みを広げていく。
 今の凪には、傷みなど感じないのかもしれない。
 その眼光は鋭く、激しい憎悪と怒りだけが浮かんでいる。
 ディオールは自分の首を締め上げてくる凪の腕を掴み、顔を歪めて引き剥がそうと力をこめた。
 力で言えばディオールの方が上だ。けれど、最早本能のままに動く凪の尋常ではない力に圧倒され、引き剥がすことができない。徐々に後退していくディオールに合わせて、凪もまた前進する。
 凪の血に染まる身体が、悲鳴を上げているのが解る。相当の痛みがあるはずなのに、彼はピクリとも表情を変えない。ディオールも、苦しさに顔を歪めるが、そこに恐怖の色はなかった。
 それは、自分達がどうやっても死ぬことができないことをお互いに承知しているからだ。
 例え、この息の根を止めてもディオールが死ぬことはない。
 その血に染まる身体が地に倒れても、やはり凪が死ぬことはない。
 けれど。
 もしかしたら死よりも辛く、苦しい思いをしなければいけない。
 もがき苦しみ、いっそ死んでしまった方が楽だと思えるような痛みに耐えなければならない。
 死ねない身体を、彼らが望んで手に入れたわけではないのに。
「やめ……っ」
 掠れる声で、ディオールは力いっぱい叫んだ。
 視界が霞み、意識が遠のくのが解る。もう少しで気絶する、というところで背中に衝撃を受けた。
 何かと思い僅かに視線をずらすと、この部屋唯一の出入り口である扉が視界に入る。その扉を空いたほうの手で凪が開け放ち、そのままディオールを放り出した。自分の身体が傾ぐのと同時に、凪の腕が遠のいていく。
「がっ……! は、ぁ……げほっ」
 突然締め付けから開放され、流れ込んできた酸素に咽るように何度か咳を繰り返し、ディオールは視線を彷徨わせる。
「……ッ」
 自分を見下ろす、凪の酷く冷たい顔。その瞳には、正気が失われ光すら宿していない、闇色だけが浮かんでいる。
「失せろ」
 今にも倒れそうな状態でありながら、凪は掠れた声で言葉を紡ぐ。最早意識などまともに働いていないためか、まるでうわ言のように同じ台詞を繰り返ながら。
 失せろ 消えろ 失せろ……と。
 まるで呪いのように繰り返される言霊に、ディオールはゾッと背筋を伸ばす。そんな彼を前に、扉は徐々に閉まっていく。
 どこまでも黒く、まっすぐな青年の瞳に吸い込まれるような感覚を感じながら、ゆっくりと閉ざされた扉の前で、ディオールはしばらく動くことができなかった。



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