W 「オルビス、客だ」 ソファに寝転び、相変わらずの格好で書物を読み漁っていたオルビスに、部屋に戻るなり戎夜が声をかけた。 「誰?」 視線を書物に落としたまま、オルビスは問いだけを返す。そんな態度の少年に怒るでも呆れるでもなく、戎夜は自分の後ろにいた少女を部屋の中へと招き入れた。 「東のドールだ」 「お、お邪魔します」 戎夜の後ろからひょこりと顔を出し、一歩前に出ると、冴はソファに横になっているオルビスにぺこりとお辞儀する。 「東のドール? え……冴っ?」 戎夜の台詞と冴の台詞に、一瞬間を置いてから二人の言葉を噛み砕くように飲み込んで、オルビスはハッと顔を上げた。 「珍しいこともあるもんだね。戎夜が女の子を連れてくるなんて」 その台詞はまるで、始めて彼女を家に連れてきた息子に喜ぶ母親のようなそれだった。オルビスはソファから飛び跳ね立ち上がると、すぐさま冴の傍に駆け寄る。 「冴に会うの久しぶりだ。入って入って」 ニッコリと笑みを浮かべ、冴の腕を引っ張り奥のソファに落ち着かせると、オルビスは向かい側を陣取って戎夜にも早く座るようにと促した。 至極ご機嫌な主に思わず表情を和らげ、戎夜はオルビスの隣に腰掛ける。 「ここ最近姿を見なかったけど元気だった? もう暇で暇で、冴が来てくれて嬉しいよ」 相当退屈だったのだろう。休みなく喋るオルビスに、冴はおかしそうに笑う。自分よりも年上だと解ってはいても、外見や喋り方からどうしても自分より幼いと感じてしまう。 もともと冴は子どもが好きなため、余計そう思ってしまうのも理由の一つだろう。 「それで? 何か理由があって尋ねて来たんでしょ?」 全てお見通し、とでもいいたげな表情を浮かべ、オルビスは冴と戎夜を交互に見比べる。 「ああ。さっき偶然書庫で会って、読み書きを教えることになった」 なぜ書庫であってから読み書きを教えるまでになったかの経緯を見事にはしょり、戎夜は簡潔に述べた。けれどここはさすが長い付き合いというか、オルビスはそれで理解したという風に納得の色を見せている。 「なるほどね。今のこの大陸じゃ教養なんて学べないから、冴も当然読み書きなんてできるはずないってわけか。それでまずは絵本あたりから始めてみようってことで書庫に行き、そこで戎夜に会って今の流れになった、と。こんな感じかな?」 まるで見てきたようなそれに、冴は驚きながらも頷いて見せた。 「オーケーオーケー。じゃぁ、早速勉強会といこうか」 いい暇つぶしができたといわんばかりのノリのよさに、冴も戎夜も苦笑を浮かべ、思わず顔を見合わせる。 「そうだな。まずは字の種類が二通りあることから説明しとこうか」 そんな二人を余所に、オルビスは紙を一枚卓上に置くと、どこからかペンを取り出してそこにつらつらと文字を書き始めた。もちろん冴には何を書いているのか解らなかったが、紙の上に書かれた二行の文字の感じが全く違うように見えるのだけは解った。 「この世界には四つの大陸があるのは知ってるよね。随分と昔には、東は上の文字を、それ以外の大陸は下の文字をそれぞれ使っていたんだって」 紙に書いた二行の文字を交互に指し示しながら、オルビスは早速説明を始める。冴は彼の言葉を一言一句聞き逃すまいと真剣な表情で聞き入っていた。 「話す言葉は四大陸共通だけど、手紙なんかで書き表す文字の場合は、表現の仕方が異なっていたってことだね。東で使われていた字を『縦字』、それ以外で使われていた字を『横字』と呼ぶんだ」 「……どうして、東だけ違うの?」 素朴な疑問を、冴はなんとなくぶつけてみる。それに、オルビスはうーんと考え始めた。 「その辺の事情はあんまりよく知らないんだけど、僕が思うに、四つの大陸の中で、他大陸と一番距離があって孤立していたからじゃないのかな、っていうのは理由にならない?」 どうやらオルビスもそこまで詳しくは知らないらしい。可哀想な質問をしたと冴は内心申し訳なく思いながら、納得して見せた。 「まぁ、今は文字も共通しているわけだから、そんなこと知ってもあんまり意味ないし。で、だったら何でそんな話をしたのかって言うと、それはその時の名残がまだこの和に残ってるってことが言いたかったわけ」 「え? でも、今は共通してるって……」 矛盾したオルビスの台詞に、冴は小首を傾げる。そんな冴の反応に、オルビスは満足げに笑った。 「うん、言ったよ。確かに今は文字も共通してるけど、和では名前にだけは今も『縦字』を使ってるんだ。だから、名残」 言いながら、オルビスはまた紙に何かを綴った。 「冴の字は多分こう。んで、僕の名前がこっち」 書いたものを冴の前に置き、オルビスが身を乗り出して指差しながら説明を加える。そこには、全体的に丸みを帯びた文字と、直線で全他的に硬いイメージの二通りの文字が書かれていた。 「ちなみに戎夜の字はこれ」 オルビスはそこにまた二文字ほど書き加える。その字を見て、冴は小首を傾げた。 「え……戎夜さんの字……」 てっきりオルビス同様『横字』だと思っていた彼女は、見る限りどちらかといえば『縦字』の雰囲気に似ているそれに違和感を覚えた。 なぜ西の民である戎夜の字が『縦字』なのか。 「そう、知っての通り、戎夜の字も縦字なんだ。冴とお揃い」 なぜか嬉しそうに告げるオルビスに、冴は首を捻る。 知っての通り? その台詞の意味が解らず、ますます考え込む。そんな彼女の様子を見て、今まで黙って見守っていた戎夜が口を開いた。 「何か気になることでもあるのか?」 「えっ? そ、その、今は『縦字』を他の大陸でも使ったりするのかなと思って」 オルビスが言うには、『縦字』を使うのは和だけのようだ。けれど、西の民である戎夜の名がそれをつかっているということは、他大陸の人間が興味本位で使うようになったということぐらいしか説明がつかない。ありえないとも言い切れないが、可能性としては大分低い。 「他の大陸で? 多分それはないと思うよ。西でも『縦字』を使ってる人なんていないし、名前に使うこともありえないだろうね」 搾り出したような冴の問いに、オルビスはあっさりと返す。その口調に迷いはなく、しかしそうだとすると戎夜の存在は何なのだろうかとますます疑問が浮上する。 「……もしかして、戎夜言ってないの?」 戸惑う冴の様子にピンときたオルビスが、戎夜を省みながら僅かに顔を引きつらせた。 「言っていない。今まで言う機会などなかったし、必要性も感じなかった」 冴には何のことか解らなくとも、戎夜にはその問いの意味が解ったらしい。さらりと告げられた返答に、オルビスは大仰な溜息を落とした。 「ごめん冴。だからさっきから戎夜の名前が『縦字』だってことに悩んでたんだね。あのね、戎夜は純粋な西の民じゃないんだよ」 「……え?」 オルビスの申し訳なさそうな表情と、告げられた内容に驚いて一瞬呆ける。上手く飲み込めずに反応できないでいると、戎夜が付け足すように言葉を重ねた。 「俺が生まれたのは東の大陸、この和だ」 「東の、人?」 つまり、戎夜は西の人間ではなく元々東の人間だったということだ。冴の生まれ育ったこの和に、同じく生まれた戎夜。つまるところ故郷が同じ、同胞といえる。 それをやっとの思いで理解すると、冴は改めて戎夜を見上げた。 「そんなにショックだったか?」 驚きを隠せない冴の視線に気づき、戎夜は困ったような表情を浮かべる。その表情と台詞にハッとし、冴は慌てて首を振った。 「い、いえっ。そういうわけじゃ……」 ただ、こんな身近に同胞と呼べる存在があるとは思わなかったのだ。ただでさえドールの存在など希少だというのに、そのうちの一人が自分と同じ和の出身だったなんてことが余計に。だから別にショックだったわけではなく、実感が湧かないだけなのだ。 「同じ故郷に同じドール。何か運命感じちゃうよね、君達って」 「運命は大げさだが、お互い最も近しい存在であると言えるかもしれないな」 からかうようなオルビスの台詞と、傍から聞いていれば随分と大胆発言な内容をさらりと言ってのけた戎夜の台詞を一度に受け取った冴は、暫しきょとんと呆ける。 最も近しい存在 確かに、同じ故郷で、同じ境遇を生きてきて、同じドールになった二人。 オルビスが言うように運命といってもいいような偶然に、冴は納得したように頷き返した。 「ホント……すごい偶然」 大分実感が湧いてきたのか、歓心しながら柔らかい笑みを浮かべた冴。 その表情を目の当たりにした戎夜は、途端に跳ね上がった心臓に僅かな躊躇いを覚えた。顔も熱くなり、ワケも解らず気持ちが急いて落ち着かない。 前に見た時もそうだった。 なぜか自分は、冴の笑顔を見るとどうにも落ち着きがなくなる。しかしその理由が解らないだけに、どう対応すればいいのかも解らなかった。 ただ、あまりにも美しく、優しい笑顔が頭から離れない。 考え込むように俯いて冴から視線を外した戎夜に対し、オルビスは温かく見守るような笑みを浮かべて一人傍観を決め込んでいた。 これから起こるであろう波乱を予感しながら…… |