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 廊下を駆けていた幼女の足の速度が、徐々に緩くなっていく。
 しばらくするとピタリと歩を止め、その場に立ち尽くした。それでやっと少女のもとに追いついた冴は、心配そうに顔を覗き込む。
「ロコ?」
 力なく落とした肩にそっと手を置き、努めて優しく声をかける。
「……ごめんなさい、冴」
「え?」
 紡がれた言葉に小首を傾げつつ、ゆっくりと顔を上げたロコの瞳を真っ直ぐに見つめた。その今にも泣き出してしまいそうな表情に、冴もつられて泣きそうになる。
「見苦しい所を見せてしまったわ。いつもそうなの。きっと、オルビス・ジェンファはワタクシのことが嫌いなのだわ」
「いつも?」
「そう。ワタクシは別に、彼と敵対するつもりはないのだけど、向こうはその意識が強いみたいで。何度かディオにつれられて西の大陸、ウォンにも行ったことがあるけど、オルビス・ジェンファはいつもワタクシをまともに見ようとはしなかったわ。ワタクシは、できれば仲良くしたいと思っていたのだけど、向こうにその気がないのでは仕方ないわね」
 愁いを帯びた笑みを浮かべ、ロコは冴から視線をはずす。
「元々ドーマ達は揃いも揃って交流や干渉を厭うから、その態度は当たり前といえばそうなのかもしれないけれど。今みたいに珍しく会話が続いても、さっきみたいな口喧嘩ばかりだから会話らしい会話にもならないし。完全に嫌われているのだわ」
 言いながら途方にくれるロコの姿を目の当たりにし、冴は目を瞬いた。気を許した相手にはどこまでも優しいロコは、逆に気に入らないものには容赦がない。てっきりオルビスのことも気に入らないのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
 その口ぶりからは、親しい関係を気づきたいと思っている彼女の本心が込められていた。
「ワタクシね、今まで友達っていなかったの。冴が現れるまで、楽しくお茶をしたりする相手なんていなかった。だから、冴の存在がとても嬉しいのよ」
「ありがとう。でも……ディオは?」
「……ディオは、友達というよりも保護者かしら? いいえ、保護者ともまた違うわね。けれど、多分、友人とは違うわ。上手く表現できないけれど」
 困ったような笑みを浮かべ、ロコは告げる。
 ディオールは全く別の、もっと絶対的で尊い存在なのだろう。冴にとって凪がそうであるように。言葉では表現できないけれど、彼女の言おうとしていることはなんとなく解った。
 もしかしたらドールとしての性がそうさせるのもしれない。本当の所は解らないけれど、とにかくドールにとってドーマはかけがえのない存在だ。
「だから、オルビス・ジェンファに始めてあった時、見た目には歳が近いでしょう? 仲良くなれるかもって、少し期待していたのよ。現実は、そんなに甘くなかったけれど」
 ただでさえドールという立場から、世間とは隔離された場所にいるのだ。
 普通の人間とは、関わることなどできない。友人がいないというのも、納得がいく。だからこそ、同士である他のドーマ、ドールとの間で位しか、他人との出会いはない。
 その中で親しい存在が欲しいと思うのは、当然のことかもしれなかった。
「別にディオが不満なわけではないのよ。彼がいてくれればワタクシはそれでいいのだから。でも、できることなら、色んな人と色んな思いを共感したいの。楽しかったこと、哀しかったことを、沢山話して笑って生きていきたいの。だって、折角長い時間を生きるのだから、それくらいの楽しみは合ってもいいと思わない?」
 ドール、ドーマの中でもロコが一番感情の起伏が激しい。一番人間らしいのも、彼女だ。彼女が笑うだけで、周りの空気が柔らかくなる。全てを包むようなその優しさは、とても眩しいくらい。
 そんなロコらしい意見に、冴は力強く頷いて見せた。
「でも結局は、ワタクシの我が儘なのかもしれないわね」
「ロコ……」
 落ち込んだように結論付け、頭をたれる少女を抱きしめる。そんなことはないと、否定するように。
「オルビスもきっと、ロコと仲良くしたいと思っているわ」
「……嘘よ、そんなの。嫌われているのだもの、ワタクシ」
「そんなことはない」
 ロコの言葉をきっぱりと否定するような強い口調が、二人の耳に届いた。自分達ではない声の介入に、二人は同時に顔を上げる。
「戎夜さん……?」
 そこには、真摯な表情を浮かべた戎夜の姿があった。
「あの態度はオルビスの本心ではない。ただ、変に意地になっているだけだ」
 おそらく追いかけてきたのだろう彼は、二人の傍まで歩み寄ると、ロコの視線に合わせるように膝をおる。
「オルビスを意地にさせる理由は話せないが、ただ、これだけは言える。本気でお前を嫌っているわけではない。だから、許してやって欲しい」
 その真摯な態度と告げられた内容に、ロコは思わず目を見張る。
「どうして、貴方がそんなことを?」
 顔を合わせたことはあるが、戎夜とは口を利いたこともない。いつもオルビスの隣でどこか遠くを見ていた彼が、自分達に興味を見せることがなかったからだ。
 そんな彼が、今目の前で真っ直ぐにロコを見つめ、オルビスの態度を弁明しているのだ。その意図が解らず、ロコは小首を傾げる。その問いに、戎夜の瞳が曇った。
「……オルビスは、作らなくてもいい敵を作りすぎる。嫌われなくてもいい者から、わざと嫌われるような態度をとる。だからもし、誤解を解く方法があるなら、俺はいくらでも手を尽くす。できるなら、仲良くしてやって欲しい」
 自分のドーマが、他人から厭われるのを喜ぶドールはいない。
 それは戎夜も、ロコも、冴も然り。
 誰もがドーマの幸せを願う。まるで自分のことのように。
 それくらい、元来ドーマとドールの絆は強いものなのだ。
「……本当に、ワタクシは嫌われてないのかしら?」
「断言しよう」
 即答した戎夜の言葉に、ロコの表情が和らいだ。
「ワタクシ、先ほど少し言い過ぎたから……謝ってくるわ!」
 嫌われていない。それが解れば、まだ仲良くなる術はあるかもしれない。そのことが嬉しいのだろう。ロコは満面の笑みを浮かべながら走り去っていった。
 取り残された冴と戎夜は、その後ろ姿を微笑ましく見守る。
「……オルビスはただ、焦がれていただけだ」
「え?」
「南のドールの、真っ白さに」
 どこまでも純白な、あの少女に。
 告げられた言葉で、オルビスがロコに対してつれない態度をとる理由が、なんとなく解った。
 その感情は、冴にも理解できたから。真っ白で柔らかい光のような少女を前にすると、自分の醜い部分が暴けていくような気がするのだ。
 それを突きつけられているようで、耐えられなかったのだろう、彼は。
「優しいですね、戎夜さんは」
「……俺が?」
 オルビスのことを誰よりも理解し、彼のために行動できる戎夜を、冴は心から凄いと思う。尊敬の眼差しに少し笑みを含ませ、彼女は戎夜を見上げた。
 その台詞と表情に、戎夜は僅かに動揺する。
 先ほどから可愛いだとか、優しいだとか、言われたことのないことばかりをさらりと言ってのける目の前の少女に、どう対応していいのかほとほと困り果てていた。
 ただいつも、居心地が悪そうに視線を逸らすだけ。
「……それよりも、読み書きの説明が中断してしまったな」
「あ」
 突然話題が切り替わっても疑問に思うことなく、冴は素直な反応を見せる。
 この世界には文字が二種類あることを説明されただけで、肝心の読み書きに行く前にロコの乱入があったため、すっかり忘れていた。冴は苦笑を浮かべ、コクリと頷く。
「とりあえず、続きはまたにしよう。いつでも暇な時に部屋を訪ねればいい。当分はここに滞在するつもりらしいからな」
「いいんですか?」
「ああ、構わない」
 全く問題ないとでも言うように頷いて見せる戎夜に、笑みが深まる。
「ありがとう」
 ロコとはまた違う美しい微笑みに、戎夜は胸が疼いた。じんわりと熱を帯びる身体。その理由が解らず、ただ無性に目の前の少女を抱きしめたい衝動に駆られる。
 それに気づいて、戎夜は珍しく取り乱した。
 ありえない。まさか自分がこんなことを思うなんて。
 抱きしめたいなどと……
「そ、そろそろ部屋に戻らなくていいのか?」
「あっ」
 咄嗟に話題を変え、気持ちを切り替える。戎夜の問いに、冴はまたも声を上げた。今度は少し青ざめている。
「わ、私っ」
 そこでようやく、お茶を入れてくるといって部屋を出たのを思い出した。あれからすでに小一時間は経っている。お茶を入れるにしては時間がかかりすぎる長さだ。
 そんなに長い時間、凪を待たせてしまっていたことに気づくと、冴は慌てて踵を返す。
「私、お茶を淹れにいかないと……凪が待ってる」
 彼女の口から出た名前を聞いた途端、戎夜は先ほどとは違う痛みを胸に感じ、眉を顰めた。けれどすぐに表情を消し、踵を返した冴の隣に並ぶ。
「では俺も付き合おう。部屋まで送る」
 有無を言わさぬ態度で告げた戎夜に驚きつつも、先を歩く彼に、冴は嬉しそうに微笑んだ。



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