Z 静かにノックされた扉に、少年は小首を傾げた。 一瞬戎夜かとも思ったが、部屋を出て行った少女達を追いかけていったのだから、違う。第一、彼がわざわざノックをする必要などない。そうなると、先ほどまでここにいたメンバー以外の誰かということになる。 もちろん凪は部屋で大人しく眠っているはずだから、考えられるのは残った一人、ディオールだけになる。 訪問者の顔が浮かび、オルビスはますます機嫌を害した。今最も会いたくない人物ナンバーワンだ。それほどまでに、オルビスはディオールが嫌いだった。 絶えず浮かぶ笑みの裏に、何かが隠されているような気がして。笑顔という嘘で塗り固められた表情を見るたびに、反吐が出る思いを堪え続けていた。 「……どうぞ」 しかし、だからといって居留守が通用する相手とは思えないし、無視すればしたで後が面倒だ。 オルビスは仕方なく渋々と返事を返し、それを待っていたかのように、扉はすぐに開け放たれる。 「オルビス・ジェンファ」 「え?」 けれど、部屋を訪れた人物は予想していた者とは異なっていた。耳に届いた声は、先ほどここで喚き散らし、激怒して部屋を出て行った少女のもの。 少し遠慮するような口調に、オルビスは咄嗟に振り返る。 「何で……」 さっきの今でなぜ彼女が再び部屋を訪れたのか全く解せない。一番可能性のない人物を目の前に、オルビスは難しい表情を浮かべた。 「あの、ワタクシ……先ほど少し言い過ぎたと思って、その……」 一転した受け身な態度に、少年はますます怪訝な顔を作る。いつになくしおらしいその言動は、いつもの少女らしくない。 「……もしかして、わざわざ謝りに来たの?」 「え? ええ、そう」 ロコの台詞に疑問を持ちながらも、尋ねずにはいられなかった。しかもあっさりと是という答えが返ってきたものだから、彼は面食らう。 しばし妙な沈黙が流れたが、唐突にオルビスが肩を竦めて吐息した。 「馬鹿じゃないの? 何で君が謝ってるわけ?」 「……った、確かに、貴方がワタクシに対して失礼なことを言ったのは事実だわ。でも、売り言葉に買い言葉でワタクシも言い返してしまったから」 だから謝るとでも言うのだろうか。オルビスは素直に頭を下げる少女を見下ろし、思わず怯んだ。 あんなに酷いことを言ったのに。最低のことを言った自覚があるのに、完全に非はこちらにあるのに、それでもロコは自分も悪かったのだと謝罪している。 「……何で」 そんな風に何事もなかったかのように許せるのだろう。馬鹿にされて、傷つけられて、それでも自分も悪かったなんて、何で思える? 完璧被害者であるのに。誰の目から見たって、非難されるのは自分のはずだ。 それなのに、当の本人はそれをせずに和解を求めようとしている。 「何で、許せるの」 「え?」 「何で君は……僕を許すの」 恨めばいいのに。いっそ、初めから憎んでくれた方が、よほど楽なのに。 なぜそうせずに、この少女はまだ自分の傍に寄ってくるのだろう。 手を、差し伸べようとするのだろう。 「憎めばいいじゃないか。酷いこといわれて、傷つけられたのに。何で許すの、許せるの」 「憎んで、欲しいの?」 「……ッ」 捲くし立てたオルビスに対し、ロコは努めて冷静に、落ち着いた口調で尋ねた。その問いに、オルビスは咄嗟に言葉が出ない。 「確かにワタクシは貴方の言葉に怒りはしたけれど、憎んではいないわ。それに、憎む理由もないわ。だって、そんなことをしても意味がないもの」 ――――――誰かを恨んでも、憎んでも、意味などない…… 過去、同じようなことを言った者がいる。 今と同じような質問をして、同じように返事が返ってきた。全てを諦めた表情と共に。 それと重なり、オルビスは表情を崩した。顔を隠すように、掌で覆う。 「君もなの?」 「え?」 「君も、同じ様なこというんだね……参るなぁ、もう」 自嘲するような笑みを浮かべ、けれど今にも泣き出してしまいそうなか細い声を出す少年を前に、ロコは心配そうな表情を浮かべる。 「オルビス・ジェンファ?」 躊躇いがちに伸ばされた掌。自分に近づくそれに気づき、オルビスは途中でその腕を掴んだ。その彼の行動にロコは虚をつかれたように目を見開く。 オルビスは彼女の腕を掴んだまま顔を近づけて面白くない表情を浮かべ、始めてロコの瞳を真っ直ぐに見つめた。 目を合わせてくれた彼の瞳の色に、彼女は思わず見惚れてしまう。綺麗な翠の瞳は、まるで木洩れ日のさす森の中に居るみたいだ。 「その『オルビス・ジェンファ』っていうの、やめてくれない?」 「え?」 「堅苦しくて嫌だから。オルビスでいい」 それは彼なりの和解の印だった。 すぐに顔を背けた彼の頬は、少し照れたようにほんのりと赤く色づいている。 ロコは一瞬キョトンと呆け、すぐにハッとして嬉しそうに笑みを零した。 「オルビス」 「何?」 「呼んでみただけよ?」 「……あのねぇ」 言いかけ、本当に嬉しそうな笑みを浮かべて自分を見上げるロコの表情に、文句など引っ込んだ。というより、言い返すのがバカバカしくなった。 「全く。お姫様には参るよ、ホント」 苦笑を浮かべ、けれどオルビスの口調はどこか嬉しそうだった。 |