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 約束は、遠い昔。
 それは、彼にとっては重要なことだった。
 その約束を守り続けることが、唯一の生きがいであるほどに。

 まるでそれを、存在理由としているかのような執着心

 その執着心に重ねるように抱いた独占欲。
 誰にも渡さない。
 自分の横で、傍で、笑っていてくれさえすればいい。
 そうすれば、変わらず想い続けることができるから。

「さ、ら……」

 自分の呟きで、凪は目を覚ました。
 相変わらず持続する傷の痛みに慣れてしまうほど、もう随分と床に付している彼は、瞬時に状況を把握した。
 あの日、ディオールが尋ねてきたあの時、随分と無茶をしたせいで悪化した傷は訴えるように腹部へ激痛を与える。
 凪は僅かに顔を歪めながら、ゆっくりと息を吐き出した。
 そして、思い出す。
 確か倒れる前、冴と何か会話をしたような記憶がある。
 記憶があやふやで良く思い出せないが、彼女の泣きそうな表情が脳裏に浮かんで離れない。辺りを見渡しても彼女の姿がないものだから、余計に。
「どこへ……」
 傍にいればいたで煩わしいが、いなければいなかったで不安になる。
 その矛盾した感情に柳眉をよせ、しかし凪は無意識に冴の姿を探し続けていた。
 前にも今みたいな状況に合ったことがある。その時は、冴は彼の手を握り締めて眠っていた。たったそれだけのことに、酷く安堵した記憶がある。
 けれど今は、誰もいない。

 また、独り……

 浮かぶ
 浮かぶ
 壊れた女の笑み
 聞こえる
 執拗な女の声
 拒むことを許さない、異常な執着心
 狂った女の嫉妬

 何と醜いことか

「凪……?」
 それはまるで、暗雲を払う風のような。
 それはまるで、淀みを流す水のような。
「傷が痛むの?」
 暗いところから急に明るい所に出た時のように、目に痛いほど、突如現れた彼女の姿は煌いて見えた。
 覗きこむ少女の瞳の奥には、己の姿が映っている。
「……いや」
 彼女の瞳に映る自分の姿から視線を外し、凪はゆっくりと息を吐きだした。その時ふと、冴が手にしているものが視界に入り、自然そこで視点が止まる。
 彼女はティーセットを手にしていた。部屋の明るさからしても、どうやら午後のティータイムのようだ。
「凪もお茶、飲みますか? それとも水の方が……」
 寝覚めに紅茶はあまり好ましくないかもしれないと、冴は慌てて踵を返そうとする。しかし、凪がそれを声だけで制した。
「どちらもいらない」
 そう言われれば、冴は動きを止めざるを得なかった。凪を振り返ると、じっと自分を見つめている彼の視線とぶつかり、思わず持っていたトレイを落としそうになる。
「じっとしていろ」
 凪は人が傍にいるのはもちろん、自分の周りをうろちょろされることを嫌がる。余り忙しなくしていると、部屋から追い出されかねなかった。
 冴は仕方なくトレイをテーブルに置き、カップにお茶を注ぐと、ベッドの脇に置かれたイスに静かに腰を下ろす。香ばしい紅茶の香りが部屋中に広がり、冴はホッと肩の力を抜いた。
 人間であった時、紅茶はもちろん、水さえも満足に飲めなかったことを思うと、今この瞬間はなんと贅沢なことだろうと思う。
 毎日のようにロコ達とテーブルを囲み、お茶やお菓子を頂きながら他愛無いおしゃべりをする。なんでもないその一瞬一瞬が、彼女にとってはかけがえのない時間だった。
 口をつけたカップをそっと受け皿に戻し、冴はふと窓の外に視線を向ける。果てしなく続く荒野。草一本生えてない、侵食のおさまらない砂漠。
 漂う死の匂い。
 そこに、救いの手はない。
 やがて訪れる死と無だけを待ちながら、それまでの時間を苦しんでもがいて生き続ける人々。つい最近まで、冴もその中の一人だった。
 苦しい生活の中でも、冴は決して諦めることをせず、訪れるかわからない明日を祈りながら日々を生きてきた。だからまさか、自分の生涯の中でこれほどに贅沢で幸福な瞬間が訪れるなど、誰が想像できただろう。
 あの夜、凪が冴に手を差し伸べていなければ、彼女は今この場にはいなかった。何より恐れた死を迎え、今頃土へと還っていただろう。

 そう

 あの時凪が冴を助けたからこそ。
 冴は外の景色から凪へと視線を移した。眠ることもできず、かといって起きていても何もできない今の状況に苛立ちを見せながら、ただじっと、天井の一点を見つめている彼の横顔を眺め、冴は瞳に影を落とす。
 なぜ、凪はあの時冴を助けたのか。
 助けたわりには、酷く冷たい態度をとっている理由も、彼は何も語らない。
 だからこそ、不安になる。
 倒れる前、ここにいろと言ってくれたあの言葉が、本心なのかどうか。今だって、そう言ったことなどまるで忘れているかのように以前とどこも変わらない態度で、冴とは関わろうとしない。
「凪……?」
 心の中で発したと思った台詞は、言葉となって口から漏れていた。冴はそれにハッと口元を押さえる。
「何だ」
 けれど、凪は変わらぬ無表情のまま、返事を返した。ゆっくりと、視点を天井から冴へと移動させる。
「あ、え……っと、その」
 じっと冴を見つめ言葉を待つ凪の態度に慌て、言葉が上手く出てこない。聞きたいことは、話したいことは沢山ある。でも、どうやって訊こうか、どれから尋ねようか、上手く順序立てができない。
 結局言葉が見つからなくて、冴は黙り込んでしまった。
「どうした」
 いつもなら、用がないなら呼ぶなと冷ややかに言い放つだろうに、今日に限ってそれがないどころか、追求までしてきたことに思わず動揺してしまう。けれど、このチャンスを逃す手は無い。
「ぁ……の、私……」
 ごくりと唾を飲み込み、ぎゅっと目を瞑る。その姿は、覚悟を決めたかのように見えた。
「ど、どうして、私を助けてくれた、の」
 一番知りたくて、でも一番答えてくれなさそうな質問をぶつけ、膝の上で掌を組む。祈るように。そのあまりに真剣な彼女の言動に、凪は僅かに眉をよせ、再び視線を頭上に戻した。
「……解りきったことを訊く」
「え?」
 ポツリと、静寂に広がった言葉に、冴は咄嗟に顔を上げる。凪がちらりと冴を垣間見、静かに続けた。

「必要だったからだ」



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