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 開け放たれた窓の外から、粉っぽさを含んだ風が吹きぬける。
「おや……」
 日差しが大分きつくなってきた時間帯、物思いに耽っていたディオールは、ふと視線を上げたその先にいたものに気づき、静かに目を細めた。
 屋敷を囲む僅かな木々の枝に止まっていたそれは、一度大きく羽ばたいてからディオールの肩に落ち着くと、嬉しそうに彼に頬擦りをする。
「まぁ、わざわざここまで飛んできたの?」
 隣に座っていたロコが、驚いた表情を浮かべながらディオールの肩で寛ぐ一羽の鳥の背を撫でた。首に輪をつけ、薄い桃色をした綺麗な鳥。この大陸ではすでに絶滅したはずの種族。
「あら? 手紙……」
 首輪に挟むようにしてつけられた紙切れに気づき、ロコがそれを丁寧にはずすと、読む前にディオールがタイミングよくその手紙を彼女の手から奪う。
 取り上げられたことに文句を言うでもなくディオールを仰いだ少女は、彼の表情が僅かに歪んだのに気づき、あまり良い内容のものではないことを悟った。
「ロコ」
「なぁに?」
 案の定それは、二人というよりはロコにとってまさに不幸の手紙だったらしい。向けてくるディオールの眼差しが、ものすごく申し訳なさそうに歪んでいる。
「久々の仕事だ。帰る支度を」





―――――必要だからだ

 その言葉の意味を理解するのには、ものすごく時間を要した。今聞いたことが夢で無いという確証から始まり、意味を理解し飲み込むまでの時間は、凪が本を一冊読み終えてしまうほどの長さがかかった。
「必、要……」
 そう言われて、嬉しくないはずがない。
 心の奥に染み渡る凪の言葉を何度も何度も反芻する。
 今まで純粋に誰かから必要とされたことが無かった彼女にとって、『必要』というたった二文字の言葉がどうしようもないくらいに嬉しい。
 母親にだって、本当は必要とされていなかった。偽りの愛と執着心がそう見せていただけ。
 だから、その時は何がどう必要なのかとか、必要だったのがどうして自分だったなんて疑問は一切出てくるはずもなく、ただ、今までに無い幸福感を噛み締めて微笑んだ。
「凪、私……」
「いやよぉっ!」
 浮かんだ笑みが思わず消えてしまうほど突然な拒絶の言葉と同時に響いた扉が開く音に、冴だけでなく凪も視線を向ける。
 何事かと振り返った先には、勢いよく冴に向かってくる少女の姿があった。
「ロコ?」
「待つんだロコ! 気持ちはわかるけど……っ、あぁ、冴ちゃん」
 ロコが冴に飛びついてきたかと思うと、それに告ぐような勢いでディオールが部屋に飛び込んでくる。何が起こってるのか状況が読めない冴の姿を見つけるなり、どこかホッとしたような表情を浮かべた彼に、首を傾げるしかなかった。
「ディオ? どうかしたの?」
 ふぅと溜息をつき、髪をかきあげるディオールと、しっかりと抱きついて離れないロコを交互に見比べながら冴は不安そうに零す。
 その問いに困ったような笑顔を向け、ディオールはロコに視線を落とした。
「突然で悪いんだけどね」
「嫌よ! 絶対嫌ッ! ワタクシは帰らないわっ」
「ロコ……どうしてそういうわがままを」
「だって、折角仲良くなれたのにっ! エレウスに帰ったら次はいつ会えるか解らないもの!」
「え?」
 どういう経緯で言い合いになったのか、細部までは解らないが、ただ『帰る』という単語に冴は表情を崩した。明らかに、ロコが発した言葉の内容からは近々エレウスに帰るということが読み取れる。
「帰る?」
 思わず出た言葉にますます顔を歪めた冴は、返ってくるであろう返事を予想して首を振った。
 ロコとディオールがエレウスに帰る。それは、紛れもない別れ。
 今まで彼らがいたからこそ、支えられてきたからこそ、何とか前向きに考えられるようになった。笑って過ごすことができていたのだ。それなのに、彼らが居なくなる。それは、冴にとって多大なダメージとなるだろう。
「急な話なんだけどね。ちょっと用事ができてしまって、帰らなきゃいけなくなったんだ」
「ワタクシはまだ帰るだなんて言ってないわ! ディオっ、お願いだからもう少しここにいさせて頂戴」
「ロコ……気持ちは痛いほど解るけど、僕達には僕達の生活があるし、帰る場所もある。それに、少し長居しすぎた。これ以上家を開けるわけには行かないよ。どうしたって、一度帰らないと」
「それは……」
「心配しなくてもちゃちゃっと用事を済ませてまたすぐ会いに来ればいい。永遠に会えなくなるわけじゃないんだし」
 そういって笑ったディオールの顔が、どこか寂しそうで、冴は違和感を覚えた。けれど、何がどう変なのかよく解らず、そう感じたのも一瞬だったため、あまり深く追求する気にはなれなかった。
「どうしても、帰るの?」
「冴……本当は、帰りたくないのよ? もっと色んなお話もしたかったし、一緒にいたいわ。でも、ワタクシはディオの傍を離れられないから、ディオが帰ると決めたのなら、ワタクシはそれに従うしかないの」
 ドールはドーマから一定距離以上離れることができない。
 ドールは常にドーマと共に在るべきもの。そういう風にできているのだ。
「そう……いつ、帰るの?」
 ロコの返答に瞳を伏せ、冴は沈んだ顔で尋ねた。明日か、あるいは明後日か。そう踏んでいた彼女は、ディオールの言葉に固まった。
「今から発つよ」
「え?」
 今から、すぐに。
 明日でも、明後日でもなく。今。
 別れの準備をする暇すらなく、気持ちを落ち着かせる間さえなく、彼らは発つというのだ。
「そんな、急に?」
「うん。超急用でね」
「そ、そう……」
 なんと答えればいいのか、冴は言葉が出てこなかった。あまりにも急で、あまりにも突然な別れ。当たり前にいてくれていた二人が、いなくなることへの不安。
 思えば、冴は彼らに頼りすぎていたのかもしれない、と今になって反省した。
「冴、用事が終わったら飛んで戻ってくるわ。だから、そんな顔をしないで頂戴? ワタクシも辛いけれど、絶対にまた会いに来るから」
「ロコ……」
「だから、いつもみたいに笑って? ワタクシは冴の笑顔が大好きだもの」
 先ほどまで喚き散らしていたかと思うと、急に大人な表情を浮かべるロコ。その感情の起伏の激しさには毎度のこと驚かされるが、そんな人間らしい彼女が、冴は好きだった。
 自分にかけている部分だからこそ、憧れるのかもしれない。
「うん、待ってる」
 こうやって、冴の不安をあっさり取り除けるくらいに、ロコの言葉と笑顔は何よりも心強い。冴もつられて、笑みを浮かべて頷く。
 大丈夫。理屈なんて無いけど、そう思える。
「と、いうわけで、凪・リラーゼ。ワタクシ達がいない間冴を泣かせたら承知しなくてよ」
 ビシッと指差し、一転して敵意をむき出しにした少女は、凪に布告する。対して凪は、聞いているのかいないのか、ちらりとロコを垣間見ただけで特に反応は見せなかった。
「話はまとまったかな? そろそろよろしいですか、お嬢様?」
「……ええ」
 問いにロコが曖昧な表情で頷いたのを確認すると、ディオールは冴に視線を向けた。
「見送りをお願いしてもいいかな? 玄関まででいいんだけど」
「あ、はいっ。もちろん」
「それじゃ、先に二人で部屋まで荷物を取りに行っててくれる? 僕は凪と話があるから」
「解ったわ。それなら玄関前で待っているわね」
「ああ」
 ディオールが頷くと、ロコと冴は手を繋いで仲良く部屋を出て行った。その後ろ姿を見送り、ディオールは凪に背を向けたそのままの体制で小さく吐息する。
「君に……」
 搾り出すような口調で紡がれた言葉に、凪はちらりとディオールを垣間見た。
「力を貸したのは、間違いだったのかもしれないな」
「今更」
「そうだね。後悔したってもう遅い。庇い続けるにしても、そろそろ限界だ。色々な所から綻び始めてる。だからこそもう一度だけ言わせてもらうよ。考え直して欲しい」
 背後の気配を手繰るように、ディオールは神経を研ぎ澄ませる。僅かだが、凪の殺気が増した。答えは聞かずともその気配だけで解る。ディオールは小さな吐息と共に肩の力を抜くと、そのまま扉に向かって歩き出した。
 解っていた。何度同じことを言っても、凪の考えが変わらないことくらい。
 そうやってしつこく説得しても、結局は前回のような拒絶が返ってくるだけ。けれど、言わずにはいられないのだ。もう誰も、失いたくないと思うから。
「……帰るよ。随分長いこと邪魔したね」
 いいながら、最後まで凪の顔を見ることなく彼は部屋から姿を消した。出て行く自分の後ろ姿を、どこか複雑な表情で見ていた凪に気づくことなく。



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