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 何かが崩れる音を聞いた。
 沢山ある感情の中の、よりによって一番触れたくなかった部分が音を立てて崩れていく様を、ただ黙って見ていることしかできなくて。
 もう、どうしようもないくらいに……



「はぁ……」
 冴は朝食の後片付けの最中、洗い物をしていたその手をはたと止め、瞳を伏せる。
 一日中、それこそ何をしていてもどこにいても、凪の言葉がずっと頭の中を支配して離れてくれない。酷い時は夢の中までも。傍から見ても相当重症だと断言できるほど、彼女の様は異様としかいえない。
 冴は熱を振り払うように頭を振った。と、その瞬間持っていた食器が手をすり抜けて床に散らばる。
「あっ」
 軽快に割れる音を響かせ、皿を一枚ダメにしまった冴は慌てて破片を集めようとその場にしゃがみ込む。足元の破片に手を伸ばした。
「痛っ」
 そしてお約束なまでに破片で指を切る羽目になる。慌てていたことと動揺していたことが相俟って、慎重さというものがかけていたせいもあるだろう。
 傷自体たいしたことはない。ドールとしての治癒能力があればそれこそすぐに治るだろう。
「切ったのか?」
 特に問題はないと作業を続けようとした矢先、上から声が降ってきた。冴は顔を上げ、そこにいた人物に僅かに目を見張る。
「戎夜さん」
「いくらすぐに治るといっても放っておくのはよくない。見せてみろ」
 半ば強引に冴の腕を引っ張り、水で傷口を洗う。濡れた手を拭いた時には、傷は完全に消えていた。
「もう少し気を使え」
「ご、ごめんなさい」
 戎夜の腕から開放された冴は、己の腕をぎゅっと握り締め、気恥ずかしそうに頬を赤らめる。
 前々から思っていたが、戎夜は割と強引だ。おそらく無自覚なのだろうが、冴にとっては心臓に悪い。
「……最近様子が変だが、何かあったのか?」
「え?」
 半ば放心していた冴は、当たり前のように割れた破片を片付けている戎夜に気づいて、慌てて身を屈める。しかし、静止の合図を出され、彼女は咄嗟に動きを止めた。
「ここはいい。何が原因かは知らないが、今のお前は危なっかしい。そんな状態で手伝われてもまた怪我をするだけだ」
 ずばり言われ、冴はぎゅっと掌を握り締める。
 今の彼女は、彼が言うとおり、まさに危なっかしいの一言がぴったりと当てはまるほど散漫している。意識だけがどこか別の場所へ飛んでいるような。
「……ごめんなさい」
「別に謝る必要はない。向こうで少し休んでいたらどうだ。片付けは俺がする」
「で、でもっ」
 何かをしていても頭の中を支配する記憶は、何もしてないとさらに酷い状態になってしまう。だから極力何かをするようここ数日努めていた。
 何でもいい、気を紛らわせることをしてないと、おかしくなってしまいそうだった。
 そんな冴をどこか神妙な面持ちで見ていた戎夜は、しばし思案したように考え込み、一つの名案に辿りつく。そして唐突に冴に尋ねた。
「……今から時間は空いているか?」
「え?」
「何かしてないと落ち着かないのだろう?」
「! な、何で……」
 図星を指され、口に出した覚えはないのにと冴は慌てた。まるで見透かされているかのようで。
「見ていれば解る。ここ数日、無理に何かを忘れようと必死になっているようだったからな」
「それは、その」
「安心しろ。理由を問いただすような無粋な真似はしない。だが、気を紛らわせるための手伝いはできる」
「?」
 彼の意図が解らず首を傾げた冴に、戎夜は苦笑を浮かべた。
「書庫に行って好きな本をとって来い。時間が空いているならうってつけだろう」
「それって、読み書きの」
 破片を全て拾い集め、ボロ布でそれを包み、使い古された紙を何枚も重ねてさらに包むと、冴の答えに頷いて戎夜は立ち上がった。
「俺も丁度暇だしな。嫌なら別に構わないが」
「そんなことっ……ありがとう、戎夜さん」
 ホッとしたような笑みを浮かべるその表情に中てられ、彼は不自然に視線をずらした。どうも最近、冴の顔を直視できない。そのことに僅かに動揺しながら、戎夜は手にしていた破片の包みを処分箱に投げ入れた。
「洗い物の続きは俺がしておく。お前は先に本を選んで部屋で待っていろ」
「え? で、でも」
 中断されていた洗い物に取り掛かろうとしている戎夜を凝視し、冴は困惑する。そんなことを一応客人である彼にさせるわけには行かない。
「いつも任せきりだからな。こんな時ぐらいは手伝う。気にするな」
 しかし優しく言われると、彼の親切を無駄にするわけにもいかない気がして、冴は心苦しいのと嬉しいのとで浮かんだ微苦笑を湛え、結局素直に頷くことにした。
「ありがとう」
 少しばかりいつもの調子を取り戻したかのように見えた彼女を確認すると、安心したように戎夜がポンッと冴の頭を撫でる。
「あまり無理はするな」
 撫でながら静かに告げられた言葉に首を傾げるも、彼女は黙って頷き、片づけをお願いして食堂を後にした。その後ろ姿を見送りながら、戎夜は小さく吐息を洩らす。
「ドーマに振り回されるのは、どこも同じ、か」
 苦笑を浮かべ、瞳を伏せるその横顔が愁いを帯びていた。
 先日、ディオール達が帰ってから、オルビスの様子が明らかにおかしい。戎夜に怒鳴りつけてからというもの、まともに会話をしようとしない。それは戎夜に限ったことではなく、冴とも顔を合わせようとすらしない。
 そんな主の態度に傷つかないわけではないが、ああなってしまっては放っておくのが一番の解決策だということを彼は十分に理解していた。
 そして冴のらしくない態度も、考えられる原因など一つしかない。ドーマとの間で何かがあったに違いないのだ。
 あの様子だと傷つけられたわけではないだろうが、どうにも心配ではある。ただでさえ思いつめてしまう性格なのに、支えとなっていたロコがいない今、どんな無茶をするか解らない。

「俺が支えになれるといいのだが……」

 今にも壊れてしまいそうな少女を思い、戎夜は小さく肩をすくめた。



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