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 カチャカチャと食器がぶつかる音が静かに響く部屋の中央、ソファに腰掛けながら書物にかじりついている凪の向かい側で、冴がふと手の動きを止めて顔を上げる。
「凪。砂糖は?」
 カップに注いだ紅茶を差し出す手前で、少女は小首を傾げながら問うた。
「ミルク」
 しかし凪は、質問とは違う返事を返す。
 冴はそんな答えにも笑みを浮かべて、手元に引き寄せておいた角砂糖の入った小瓶を脇によせ、ミルクの入った容器を引き寄せた。
 凪はいるものだけを答える。冴はそれに従えばいい。例え会話としてかみ合ってなくても、それが凪の出した答えなのだ。
 冴はくるりと円を書くようにミルクを注ぎ、スプーンで軽くかき混ぜてから凪の前にそれを差し出すと、彼は書物に目を向けたまま少しまさぐる感じでカップに手をかけた。一口すすって、それをソーサーへ戻す。
 冴はその仕草に再び小さな笑みを浮かべた。自分も、カップに手を伸ばす。
「冴、僕は砂糖二つー。ミルクはいらないよ」
 と、それよりも早く、横から少年の声がかかった。冴は伸ばした手を引き、条件反射で脇に寄せた小瓶を引き寄せると、角砂糖を二つ、少年のカップに落す。
「ありがと」
 砂糖を入れてもらい、スプーンでクルクルとかき混ぜる少年、オルビスは、ニッコリと笑みを浮かべてからそれを口に含んだ。
「うん。おいしい」
 一口二口飲み下してから、切り分けられた焼き菓子に手を伸ばす。
 その光景を、冴はぼんやりと眺めていた。
 最近、首を傾げたくなるほど、オルビスは冴の傍に引っ付いているのだ。就寝する時間になるまで、何かと理由をつけて冴の周りをうろちょろしている。
 凪の傍に居ることを許されてから、今までどおり彼の部屋でゆるゆるとした時間を過ごしている冴は、そこにオルビスが居ることにどうしても違和感を拭えなかった。
 別に少年が居るのは構わないが、傍に居るオルビスの様子がどうもおかしいのだ。
 何がどうおかしいのかと聞かれれば、返答に困るのだが、とにかくいつもと何かが違う気がしていた。
「ところで冴。戎夜と何かあったの?」
 焼き菓子を頬張りながら、少年が可愛らしく小首を傾げた。冴は再びカップに伸ばした手を、ピクリと振るわせる。
 驚いたようにオルビスを凝視し、動きを止めた手をカップの柄に添えた。
「どうして?」
「最近ね、元気ないみたいなんだ。思いつめてるって言うか。冴も同じように元気がないから、何かあったのかなっておもったんだけど……」
 少年の答えを聞いて、冴はふと瞳に影を落とした。
 最近、戎夜とは全く顔を合わせていない。はっきりとした理由は分からないが、なぜだか今あの青年と顔を合わせるのが気まずいと思っている自分がいた。
 思い返すと、戎夜はどこまでも冴には甘かったような気がする。その甘さに、優しさに、無意識に縋っていたことを、冴は改めて思い知った。
 そんな彼の優しさを払いのけ、目の前で凪の手を掴んだ選択が、今思えばあまりにも残酷なような、してはいけなかったことのような気がしてくるのだ。
 かといって、凪の手を取ったことを後悔しているわけじゃない。だからこそ、戎夜にはどう接したらいいのか分からないでいた。
「でも、僕の勘違いならそれでいいんだ。戎夜も、悩みの一つや二つあるだろうし、たまたまタイミングが重なったってこともあるしね」
 慌てたように付け足したオルビスは、ちらりと凪を垣間見た。凪は表情すら変えず、読書に没頭している。聞いているのかいないのかさえ分からないほど、平常通り。
 少年はそれを確かめるとすぐに視線を外し、カップの中で揺れる紅茶の水面へ目線を移す。
「そ、それより、この紅茶美味しいね。何の茶葉……あっ」
 わざとらしく話題を変えようとして、オルビスはカップに手を伸ばし、またもわざとらしくそれを取り落とした。
 宙を舞ったカップは、中身の液体をぶちまけ、床に接触した瞬間に高い音を立てて破片を飛び散らせる。割れたカップを慌てて拾おうと手を伸ばしたオルビスを、我に帰った冴が制止した。
「危ないから、触っては駄目。片付けは私がするから」
 破片に伸びた手をそっと包まれ、顔を上げると心配そうな表情が降ってくる。
「怪我はなかった?」
 オルビスの手を離し、そっと頬に触れた冴の掌が温かい。少年は何回か目を瞬き、ゆっくりと頷いた。
「よかった。破片は遠くまで飛び散るから、一度全部片付けて、また新しいものを入れてくるね」
 テキパキと目に見える破片を拾い集め、テーブルの上に広がったお茶菓子も全て下げると、冴は部屋を出て行った。
 残された二人は、しばらく言葉なく沈黙を守っている。
 やがて、凪が読んでいた本を閉じ、テーブルの上に放ると小さな溜息を落とした。
「どういうつもりだ」
 そして珍しく彼の方から問いかける。その口調はものすごく機嫌が悪いことを主張していた。
「何が?」
「……わざと落しただろう」
 何を、何のために、とは聞かなかった。オルビスは作った笑みだとわかるそれを浮かべ、凪が放った本を手に取った。
「心外だなぁ。弁償しろって言いたいの? ケチくさい」
 少年が本のページを一枚、めくる。凪は少年の冗談を無視した。
「何を企んでいる」
「企む? 腹に一物も二物もありそうな奴がよく言うよ。分からない? あれこれ回りくどいことしても埒が明かないから、単純に邪魔してるだけだよ」
 オルビスはクッと笑い声を上げる。
「あんたが全てを成し遂げるまで、もう少しなんでしょう? 全ての駒が揃った時、あんたは迷わずチェックメイトする。そう、駒が揃えば、ね」
 パタン、と興味が失せたような仕草で本を閉じると、オルビスは顔を上げ、真っ直ぐに凪を見た。
「だから、僕はそれを阻止する。どんな手を使っても」
「……お前には関係ないことだろう」
「関係あるよ。大有りだよ。だから邪魔するんだ。それに……」
 オルビスが関わってくる理由は、大よそ見当がついていた。十中八九、自分のドールの為だろう。だが、それだけではどうも腑に落ちない部分もあった。
 凪は眉を顰めるもそれ以上食い下がることはせずに、少年の意味深な台詞の先を促す。
「こっちに向かってるんだって。ヴィオラ・リルエイト」
 少年の口を伝って出てきたその名を聞いた瞬間、凪の瞳孔が開いた。
「来るよ、北のドーマ……あの悪魔がっ!! きっと、気持ち良いくらいにあんたの邪魔をしてくれるだろうねっ」
 可笑しくて堪らないといった様子で、オルビスは笑いに肩を揺らす。
「あいつは全てを壊す破壊神。奪うことに何の躊躇もない。冴を壊すことにも躊躇わない。例えあんたが盾になっても、その盾ごと貫くだろうね」
 狂喜が、狂気に変わる。絶望の色を混ぜて。
「解るでしょう!? あいつが来たら終わりなんだっ。あんただけを止めてくれれば良いけど、きっとあいつは全てを奪っていく。冴が危険な目に会うことに、本気で喜べるわけない。何であの悪魔が動くんだよ!? 今まで一度だって干渉してきたことがないのに、どうしてっ!」
 オルビスは実際、北のドーマに会ったことはない。
 けれど、どういう人物であるのかは知っている。それは凪も然り。
 それほどに、北のドーマに関していい噂話はない。人々の前に滅多に姿を見せることがないにもかかわらず、ノーブル・スノゥの人々には白い悪魔≠ニ囁かれている。
 雪の白に溶ける銀色の髪に、血色のような、燃える紅い瞳。
「……それは、確かなのか」
「え?」
「確かな情報かと聞いている」
 捲くし立てる少年を余所に、凪の声は酷く冷静だった。怖いくらいに落ち着いていて、逆に違和感を覚えるほど。
 オルビスはそんな凪を訝しげに見ていたが、やがて小さく肩を竦めた。
「間違いないよ。ディオールの伝鳥が知らせてくれたんだから」
 少年にとって癪ではあるが、ディオールの情報ほど確かなものはない。それくらい正確であることを、オルビスは知っている。
「そうか」
 一つ頷いて立ち上がる。凪はそのままオルビスに背を向けた。
 それと同時に、開けっ放しの窓から白姫が飛び込んでくる。何度か羽ばたき、その拍子にその白く美しい羽が宙を舞うのを、オルビスは呆然と眺めていた。
「一つ、忠告しておいてやろう」
 呆然としていた少年へ、背を向けたまま凪が言葉を向ける。ゆっくりと下りてくる羽を掴み取ると、それを握りつぶした。
「己のドールが大事なら、今すぐに帰ることだ。お前の人形は壊してやりたいが、お前はどうでもいい。巻き込まれたくなければ、帰れ」
 白姫が、オルビスの肩にとまる。凪が、握りつぶした羽を落す。
 足音だけが響き渡り、そして、扉の向こうへ消えていった。
 オルビスの意識は、未だ呆然と凪の居なくなった部屋の中で漂っていた。彼の忠告が、静かに繰り返される。
 しばらく口の中で反芻して、打たれたように身体を震わせた。
「それって、喜んでいいのか悔しがればいいのか、微妙」
 他人に興味を示さない凪。その凪が、わざわざ忠告なんてものをするはずがない。
 北のドーマが来るにあたって、ただ邪魔なのか、それとも、オルビスのことは煩わしい対象とまではいかないのか。少なくとも、敵意はないのだろう。
 それと同時に、冴に近づく異性としては全く守備範囲外ということでもある。
「戎夜はダメで、僕は良いなんて。この外見が幸いしたのか……それとも、冴に対して抱く感情が、そういった類のものじゃないって知ってるからなのか。案外聡いと思わない?」
 白姫に同意を求めるように、その頭を撫でる。小鳥はくすぐったそうに首を縮め、小さく鳴いた。
「でも、だからってこのまま引き下がれるわけないじゃない」
 浮かぶのは、覚悟を決めたような決意に満ちた表情。
 小鳥が、同意するように両翼を広げた。真っ白な、翼を。



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