\ 灯りは、小さく揺らめくランプの炎だけ。 ぼんやりと狭い空間を照らすそれの横で、ぼんやりと本の表紙を撫でる。 薄暗い、世界。 戎夜は表紙に刻まれたタイトルを何度も口の中で反芻していた。 繰り返し、繰り返し。 「俺は……何故……」 そしてふと、思い出す。 掴まれることのなかった、手。選ばれることのなかった、答え。 少女の瞳は、自分ではなく、別の者を見ていた。 あの時の光景が、鮮烈に蘇る。その度に、気持ちが悪くなる。溢れそうになる。 「もう、やめてくれ……」 消えてくれない、残像。 胸につかえたまま、拭えない感情。 気分が悪い 吐いてしまえば楽になるのだろうか。もう何度、そんなことを考えただろう。 眠っても、本を読んでいても、別のことを考えようとしても、その端々で蘇る、あの見下したような目。 少女が掴んだ手の先にあった、あの冷たい瞳。 絶対的な存在を前に、戎夜が入る隙間はない。それを突きつけられて、どうしようもない苛立ちがその身を裂くだけ。 戎夜は持っていた本を脇に放る。その拍子で、積み重なってできた本の塔が崩れた。 「っ……!」 バサバサと乾いた音を立て、埃を撒き散らしながら崩れたそれらを、戎夜は苦い表情を浮かべて見下ろす。 とても片付ける気分ではないが、放っておけば必ず傷む状況と、これらが全て他人の所有物だということも相俟って、重たい身体を動かす他なかった。 その場にしゃがみ、一冊一冊拾っていく。書庫にある本棚に収まりきらなくなった本は、適当な場所に積み上げられている状態だ。 彼もそれに習い、拾った本を適当に積み上げていく。と、不意にその手が止まった。 「……?」 それは、本というにはあまりに無理がある表装をしていた。 崩れた本の中に混じっていたのか、あるいは本の塔が崩れた為に、それに隠れていたのが姿を見せたのか。 どちらにせよ、目に留まったそのノートは、まるで戎夜の手を引き寄せるように魅力的なものに見えた。 表紙はくたびれてよれている。戎夜は迷わずそれを手に取った。ぱらぱらと、躊躇いなく中身を確認する。 初めの方には、何もかかれていない白紙のページ。特に面白いものでもなく、しかし、ページを捲り続けた先に留まったものを見て、その手が動きを止めた。 「これ、は」 描かれたものを見て、驚愕する。 肖像画というにはあまりにラフすぎるが、遊び絵にしては細かすぎるスケッチ。 ノートに刻まれた人物画は、青年のよく知る少女だった。知っているはずなのに、そのノートの端に刻まれた年代が、それを否定する。 「まさか、オリジナル……」 描かれたていたのは、冴と同じ顔をした、冴と同じ笑みを浮かべた、少女の人物画。そしてその後のページに続く、人形を作る際に描いたのだろう身体の部位のスケッチ。 足、腕、胸部、腹部、顔、目の色や髪の材質まで事細かに描かれたそれらからは、基盤となった人物、つまりオリジナルが居るのだと予測できた。 一つ一つの部位の長さ、細さ、特徴までが、びっしりと書きとめられている。 あまりに細かすぎるのだ。 「まさか、そんなことが」 冴と同じ顔をした、少女。それに基づいて作られた一体の人形。 『冴』という意識を持った魂を得て息づいた、人に近すぎる人形。 今まで一度も、ドールを持ったことがない、作ったことがない凪。彼が作るのは、命を持たない人形だけ。 必要がないから作らなかったのだと思っていた。しかし、これだけの作業過程が記されたノートがあって、器を作っていないわけがない。 器はとっくに完成していたと考えた方が、自然。だが、ドールを必要としない人間が、器だけを作る必要がどこにある? そこまで思考をめぐらせ、戎夜はハッとする。 作らなかったのではなく、作れなかったのだとしたら…… 「待って、いたとでも?」 魂を入れなければ、ドールは完成しない。 だから今まで完成させることができずに、凪はずっと時を待っていた。『冴』という魂を掴み取るその機会を、ずっと。 そう考えるとしっくりくるが、『冴』でなくてはならなかった理由が分からない。 「馬鹿な。この世に輪廻転生などないんだぞ」 死を迎えた魂は、器から出たと同時に消滅する。それを一番よく理解しているのは、唯一魂を掴むことのできるドーマのはずだ。 消滅した魂が、転生するわけがない。生まれ変わりなど、この世にはない。 それなのに、『冴』に固執する理由は一体何だというのか。 魂の調達は、偶発的に起こるものだ。その偶然も、いつどこで起こるかは分からない。 ましてや偶然に任せて限定された魂を得ることなど、運が良かったで済むような簡単な話ではない。そんな確率、在ってないに等しい。 それこそ、奇跡。 あまりにも不自然すぎる。 「全て仕組まれたことだとでも言うのか!?」 それならまだ、全てが誰かの立てた筋書き通りなのだといわれたほうが納得できる。偶然を装った必然なのだと。 誰かが書いた筋書きの上を、自分たちは歩いているだけなのだと。ただ踊らされているだけ。 「では、『冴』とは何なんだ……彼女は一体……」 作られた偶然。 偶然に見せかけた必然。 その矛盾の中に存在する『冴』。 選ばれた魂。 それらの要素がさす場所に、何があるというのか。 「戎夜ッ!!」 疑惑を抱いた瞬間、暗い書庫に光が差し込んだ。大きな音と共に。 「……オルビス」 開け放たれた扉の向こうから駆け込んできたのは、血相を抱えた少年だった。 「大変な――――」 体当たりするような勢いで戎夜にとび付いたオルビスは、そこで青年が手にしていたノートに気づき、言葉を飲み込んだ。 「戎夜……それ」 指摘されたノートに視線を落とし、戎夜はそれを隠すでもなくうろたえるでもなく、オルビスに差し出す。 「……見たの?」 「ああ」 差し出されたノートを受け取り、オルビスはけれどそれを開くことはなかった。見なくても、『それ』が何かを知っているから。 「オルビス、教えてくれ。東のドーマは、一体何をしようとしているんだ? これではまるで……」 「そうだよ。これはシナリオだ。一人の男が立てた筋書き通りの、茶番だよ。始めから冴に救いなんてなかったんだ。あいつは、冴を殺すために冴を助けたんだから」 そう告げた少年の声は、震えていた。 |