] 「そろそろ、かな」 青年は静かに零す。誰に聞かせるわけでもなく、誰かから同意を求めるでもなく。 腕の中で眠る小さな少女を見つめ、そして顔が痛ましげに歪む。 「ゴホッ、ゴホ……ぐっ」 咳込み、とっさに口元を押さえたその手に張り付いた血に、諦めにも似た笑みが浮かぶ。 彼の身体は、もはや限界を超えている。普通の人間の身体であれば、とっくに死んでいる。それでも彼が生きながらえているのは、彼が『普通』ではないからだ。 『力』を使えば使うほど、青年の身体は、精神は、侵されていく。それでも彼は『力』を使うことをやめなかった。 徐々に悪化する身体。ドーマの治癒能力を持ってしても、全快することはまずない。もはや治癒能力も気休め程度にしかきかない。 痛みに耐えながら、苦しみながら、それでもディオールは死を望めなかった。 ドーマとしての力が、彼を生かし続ける。どんなに血を吐いても。どんなに苦しみもがいても。 立っているのもやっとのくせに、それでも倒れることを許されない。この身体の寿命は、まだ訪れない。 まだ、生きろという。 それが業であるかのように。 「ぐっ……はぁ、は……げほっ」 いつもより発作が長い。 青年は腕に抱く少女をさらに強く抱きしめた。痛みに耐えるように。縋るように。 「……ディオ」 「!」 意識が遠くなりかけていたところへ、眠っているはずの少女の声が聞こえた。青年は打たれたように肩を揺らし、意識を現実へと引き戻す。 腕に抱いていた少女が、不安そうに彼を見上げていた。 「ロコ……起こしてしまったかい?」 発作を抑え、無理やりに笑みを浮かべるが、おそらく歪んでいるだろう。痛みはまだ引かない。 「痛むのね?」 しかし少女、ロコは青年、ディオールの問いには答えず、核心をついた。 ロコの問いに、ディオールは目を見開く。 うろたえるでもなく、叱責するでもなく、静かに問うた少女の瞳が「知っていた」と告げる。 「気づいていたのか」 「一体どれだけ傍にいたと思っているの? 気づかない方がどうかしているわ。ワタクシを侮らないで」 「……そうだね。ごめん」 「隠していたから、気付かないふりをしてきたのだけれど、もう限界だわ」 少女は起き上がり、目線の高さを合わせた。 少しだけ、怒っているように見受けられる。 「もうやめて頂戴。ここまで貴方が犠牲になる必要はないわ」 そっと触れた少女の手が、震えていた。 病んでいくパートナーを見るのが、どれほど辛いか。そして何もしてあげられない自分が、どれほど惨めだったか。おそらくディオールにはわかるまい。 「身体を削ってまで、精神を殺ぎ落としてまで、守り続けなければいけないの? 貴方は優しすぎるわ、ディオ」 「違うよ、ロコ。これは優しさじゃない。ただのエゴだ。僕の勝手な罪滅ぼしだ。″あの時″僕が余計な事をしなければ、こんなことにはならなかった。僕はただ、躍起になっているだけさ」 青年の笑みが、自嘲に変わる。 「僕はずっと、この『力』を持って生まれた理由を探していた。ドーマとしての力だけでなく、すべてを拒絶するこの『力』の意味を」 ディオールには、二つの『力』がある。 一つの異端はドーマとしての力。 二つの異端は全てを拒絶する力。 この力を持っているが故に、彼は各ドーマと面識があるといっても過言ではない。ディオールはその力でもって、それぞれドーマの屋敷に【結界】を張った。 普通の人間には見えない透明の壁。けれど、その先には決して踏み込めない場所。本来あるものを覆い、外敵から守る拒絶の壁。 その壁を、四か所、ディオールはこの数百年間ずっと張り続けている。 一度張り終えてしまえば、そんなに力の消耗はない。だが時が経つにつれ、そういった力には必ずほころびが生まれる。だからディオールは、定期的にそれを張りなおさなければいけなかった。 そしてたった今、その作業をすべて終えたところだった。 「前にオルビスが言っただろう? 僕がドーマの中でも一番穢れてるって。その通りさ。ドーマというだけで十分異質なのに、それよりもさらに異能を持つ僕が、一番人間から遠い存在なんだ」 「そんなことありませんわ!」 絶対に、と付け足して、ロコはディオールに抱きついた。弾かれたように流れた涙を見せたくなかった。隠すように、ディオールの胸に顔を押し付ける。 「僕もそう思いたかった。そんなことないって」 言いながら、ディオールはロコの頭をなでた。自分も表情を見られたくないのか、抱きしめる腕に無意識に力が入る。 「″あの時″それを覆せたと思った。意味を見つけたと思ったんだ。でも……やっぱり覆せなかった。思い知らされただけだったよ」 「……ディオ。″あの時″って……」 ロコが顔を隠したまま、弱弱しい声で尋ねる。それがいつのことなのか、彼女には解らなかった。 「もう、隠し通せない。ロコにも、話さなければいけないね」 それはすべてを観念した、というような物言いだった。諦めたような。 「すべての始まりは、あの悲劇から。凪にとっても、僕にとっても」 「凪・リラーゼ?」 凪の名が出てきた瞬間、ロコの声が硬くなった。緊張したようにさらに身を縮める。 凪につながることは、大概冴にもつながる。不安がよぎる。 警鐘が、鳴り響く。 「僕は、選択肢を間違えた。最初の選択肢を。その結果が、これだ。誰一人救えない。『更』ちゃんも『冴』ちゃんも、誰一人」 聞いたことのない名前。 そして冴。 物語を作ったのは誰? シナリオを書いたのは誰だった? ずっとずっと、大きな勘違いをしていたのかもしれない。 目の前が揺らぐ。 すべての筋書きを書いたのは凪・リラーゼ? それとも…… |