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 目が覚めた時、最初に感じたのは違和感だった。
 痛みはないが、体が重たい。
 うっすらと瞼を上げると、ぼんやりと光を感じる。冴は、今まで呼吸するのを忘れていたかのように一気に酸素を吸い込んだ。
 そして、完全に覚醒した意識が再び揺らぎそうになる。
「い……」
 目覚めて視界に飛び込んだ光景は、横たわっている自分にまたがり、自分を見下ろしている男の姿だった。
「やっとお目覚めか?」
 言いながら、男はスカートをめくって冴の太ももに触れる。その手が、徐々に触れられたくない場所へ動いていく。
「い、ゃ……やめ―――――」
 抵抗する声も、頼りない。触られている部分から鳥肌が立つのがわかる。
 迫る男の顔、身体。生臭い息がかかり、気持ちが悪い。
 再び男の手が太ももを伝ってお尻にまで。そこからどうなるのかは、考えたくない。冴は恐怖に目を瞑り、唇を噛んだ。

―――――――助けて

 冴は凪の姿を思い浮かべる。強く思い、彼を呼んだ。
 ここにいるはずのない、現れるはずのない青年を。
「ぐあぁぁぁっッッ!!!」
 その瞬間、突然はじけたような悲鳴に、冴は咄嗟に瞼を上げる。視界に広がった紅。
 目の前にあったはずの男の姿がない。冴は震える身体を叱咤して起き上がった。途端、口元を抑える。
 床にのた打ち回る先ほどの男。
 以前ディオールに折られた腕とは反対の腕が歪に捻じ曲げられ、見張り番をしていた男達も身体から血を流して倒れている。
 一体何が……思い視線を上げた先に捉えた人物に冴は目を見開いた。
「な……」
 彼が、いる。
 その手を血で染め、まっすぐに冴を射抜くように見つめて佇んでいる。
 あるはずのないその姿を確かめるように、冴は彼の名を呟いた。
「凪……?」
 冴が呼ぶと、凪はピクリと反応を示す。だが、その目にははっきりと怒りが映っている。
「凪、後ろッ!」
 駆け寄ろうと立ち上がったその時。凪の後に男が迫っているのを捉え、冴は叫んだ。気配を感じたのか、凪は焦ることも怯む様子も見せず振り返り、男の首を捉えた。
 そのまま何の躊躇いもなく、潰しにかかる。ミシリ、と骨が砕けるような音を、冴は聞いた。あまりにリアルなその音に、彼女は吐いた。
 やがて、完全に息の根を止めた男は、凪の手からすり抜けるようにして床に倒れ込む。それを確かめて、凪がゆっくりと振り返った。
「な、ぎ……」
 恐ろしかった。何の躊躇いもなく人を殺める彼が。その冷たい瞳が。
 けれど、それと相対するような安堵も冴の中にはあった。故に、どう反応すればいいのかわからない。助けに来てくれたことを喜ぶべきなのか、人を殺めた彼に動揺するべきなのか。
 考えている間、凪は徐々に冴との距離を縮めていた。ゆっくりと地を確かめるようにして近づいてくる。それに気づいた時には、もう眼と鼻の先だった。
 冴は凪を見上げる。
 身体が勝手に震え、今にも気が振れてしまいそうだった。
「ぁ、の……」
 何を言えばいいのか。何と言えばいいのか。考えあぐねていると、ふと頬に温かいものが触れた。冴は咄嗟に自分の頬に視線を落とす。
 凪の手が、触れていた。血で染まったその手が、冴の頬を紅くぬらしていく。
「どこへ」
 まっすぐ向けられた瞳。感情をぎりぎりまで殺した声で、凪は口を開く。
「どこへ、行くつもりだったんだ」
 吐き出すように紡がれた言葉に、冴は目を見張る。
 どこへ?
 冴は市場に買い物をしに来たのだ。それを告げようとして、遮るように凪が言葉を続けた。
「逃げるつもりだったのか」
「え?」
 凪の元から逃げる?
 違う。冴は叫ぼうとした。けれど、強く肩を掴まれ、出かけた言葉が引っ込む。冴はぎょっとして凪を見上げた。
「自分の立場が解っているのか? 俺から逃げることなどできない」
「ちが……」
 射るような眼差しに、冴は竦んでしまった。声が震えて上手く出てこない。
 違うのに。逃げるつもりなど、そんな考えすらなかった。ただ、凪のために少しでもおいしいものをと思って、ここまで来ただけだったのに。
 告げなければ。違うと。そうではないのだと。
「違うの、私、逃げるつもりなんてなくて……ただ、凪の元気がなかったから、何か美味しいものでもって、思って、それで……」
 途中から、言いたいことが分からなくなった。ただ、必死だった。
 どうやったら伝えられるのだろう。どう言えば、伝わるのだろうか。冴はもどかしさに奥歯をかみしめる。
 そんな彼女の言葉を聞いて、凪は先ほどまで感じていた怒りとは違う熱を感じた。
 理由を聞けば何のことはない。冴は只、本当に軽くちょっとそこまで、という気分で屋敷を出ただけであって、別に凪から逃げるといった感情など一ミリほども抱いていなかった。
 それを早とちりした自分と、必死に追いかけた姿を思い返して、急に恥ずかしくなる。
 思わず口元を押さえるくらいには。
「だから、こんなことになるなんて、思ってなくて……」
 今にも泣き出してしまいそうな、小さくなって震える少女の姿に、凪の中で認めたくない感情が燻ぶる。
 怒りなどとうに消えた。そんな風に目の前で泣かれては、抑えられなくなる。
「もういい。だが……頼むから、目の届くところにいてくれ」
 自然と口調が柔らかくなる。冴は今までとは明らかに違うトーンに、動きを止めた。
 それは命令ではなく、要求だった。
 つまりは『お願い』だ。強要ではない、哀願。
「凪?」
 どこかおかしなものでも見るような、探るような瞳で冴は凪を見上げる。違う意味で怯えている。
「……そんな顔をするな」
 抱きしめたくなる。と危うく言葉が出そうになってそれを留める。
 凪はそう思ったこと自体が汚点だとでも言うように、柳眉を寄せた。ありえない。自分の中で否定する。
 これは違う。冴に対して抱いた感情なんかじゃない。
 そんなことがあってはならない。
「あ、あの? 凪?」
 目の前で百面相する凪の姿に夢でも見ているのではないかという気になってくる。不思議そうに首を傾げる冴に気付き、凪は居心地の悪さを感じた。
「……帰るぞ」
 そのまま逃げるように踵を返す。そそくさと小屋を出て行ってしまった凪を、冴は慌てて追いかけた。



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