[ それは突然だった。 鳴り響いた地鳴りと破壊音に、戎夜はハッと周囲を見渡した。オルビスと目が合い、頷く様を見て奥歯を噛む。 「どうやら、お出ましのようだね」 ソファに寝そべっていたオルビスが、上体を起こした。 その顔は、強張っているようにも見える。 「……終わるのか?」 「終わらせたりなんかしない。行こう」 今ここに、闘えるドールは戎夜しかいない。凪は冴を使わない。冴を守るためには、戎夜が盾になるしかないのだ。 戎夜も、それを十分理解していた。だから、すんなりと受け入れられる。 二人はどちらかともなく、部屋を駆け出した。音のするほうへ…… 廊下を走り、角を曲がった先に、無残にも抉られた壁が、床が、行く手を阻むように瓦礫が散乱している。 窓ガラスは全壊。砂埃が舞っている。 「これは酷い」 あまり自分が責められた立場じゃないが、オルビス達が壊した壁よりも酷い有様だった。この光景が行く手にずっと続いている。 「どんだけ破壊魔なんだか。ストレス発散するなら余所でしてほしいよね」 破壊された道を走り、二人は立ち尽くす人影に追いついた。気配に気づいて、その影がゆっくりと振り返る。 ローブを深く被っているせいか、影になって顔はよく見えない。けれど、そこからのぞいた口元は深い笑みを浮かべていた。 これが北のドーマなのかと、オルビスは値踏みするように、上から下まで見定める。 「お前が、凪・リラーゼ?」 そんなオルビスの視線を気に留めることもなく、待っていた、というような口調で、高揚しているような声で、問う、その人。 それに相反するような冷やかなトーンで、オルビスは答えた。 「答える義理はないと思うけど。北のドーマ、ヴィオラ・リルエイト」 「……お前、違うな」 凪ではないと確信すると同時に、声が冷やかになる。 「誰でもいい。邪魔をするなら消すまで。やれっ!」 「戎夜!」 腕を払い、オルビスを指差した瞬間に、北のドーマの後ろから飛び出した影。それに遅れを取るオルビスではなく、彼もまた瞬時にドール化した戎夜を盾にした。 激しくぶつかり合った二つ。 戎夜と対峙しているのは…… 「子ども……?」 オルビスが咄嗟に一歩後退した。厭な汗とともに、血の気が引くのがわかる。 「嘘だろ、こんなの」 オルビスより少し幼いくらいの少年。銀色の髪と、紫の瞳。その鮮烈な姿に呼吸をするのを忘れそうになる。 だがそれも束の間、オルビスはすぐに現実に戻り、その少年を疑うような目で見ていた。ドール化されて、戎夜と同じく意識はなさそうだが、このドールは、明らかに『違う』。 何かが、違うのだ。 何か、そう、禍々しいような、黒々としたものを感じる。 普通じゃない。 「あんた、何にも感じないのか!? 普通じゃない、明らかにおかしいぞ!」 「人形が動いている時点で普通ではないだろう。何を馬鹿なことを」 確かにそうだが、オルビスが言いたいのはそういうことではない。 このまま、少年をドール化し続ければ、明らかに本体、魂ともに危ない。 これは、壊れかけているのだ。 「どんな無茶な使い方をすればそんな風になるんだ! ドール化を解け! 壊れるぞっ」 「所詮使い捨ての駒だろう。壊れればまた作ればいいだけのことだ」 捨て駒…… その言葉に、オルビスの意識が一瞬飛んだ。 それによって戎夜のドール化が解けた、その直後。急に元に戻された戎夜は今自分が置かれている状況に怯み、攻めから守りへと型を変えた。 その一瞬を相手が逃すわけはなく、ドール化されたままの少年は戎夜の攻撃をいなし、跳躍した。 「オルビス!」 倍以上もある戎夜を飛び越え、向かった先。 少年の動きを追いかけるが、間に合わない。 戎夜は叫ぶと同時に腕を伸ばすが、届かない。 「やめろぉぉォォッ!!!!!」 迫りくる少年の一撃に、オルビスは咄嗟に瞳を閉じる。自分を庇うように、頭の上で腕を重ねた。 殴り飛ばされる衝撃に備え、歯を食いしばる。 「……っ」 が、いつまで経っても衝撃は来ない。 辛抱しかねて、オルビスは恐る恐る瞼を上げた。 「! な……っ」 「勘違いするな」 爆煙が晴れ、人影がうっすらと浮かび上がる。だが、見えなくても分かった。 「なん……で……」 「お前を助けたわけじゃない。これ以上壊されては堪らないからな」 舌打ちながら、人影は面倒くさそうに答えた。 「オルビス!」 しばらく、自分を助けた人物を見上げたまま固まっていると、後ろから戸惑うような声がかかる。 「オルビス、大丈夫!?」 駆け寄ってきた少女に肩をゆすられ、オルビスは我に返った。 「……冴」 「怪我はない?」 「あ、うん。平気だけど……」 半ば、戸惑いを隠せないでいる。 何せ、オルビスを助けたのは、あの凪だったのだから。 飛びかかった少年の腹を蹴り飛ばしたその本人は、ローブ姿の人物に視線を向けている。 「オルビス! 悪い、俺が怯んだから……」 遅れて、戎夜が駆け付ける。 オルビスは苦笑し、首を横に振った。 「お前のせいじゃない。僕が、中てられた″んだ」 言って、蹴り飛ばされて後方へ吹き飛んだ少年を見た。壁に打ち付けられ、床に崩れ落ちた彼は、今まさにムクリと起き上がったところだった。 「!?」 オルビスの視線を追った冴は、身をすくめた。 黒い、それ。 黒々と、禍々しく、それは、立っていた。 「……っ!」 咄嗟に口元を押さえる。 気持ち悪い。 なだれ込む。 【苦しい……くるしい……クルシイ……】 震えが、止まらない。 これは、少年の魂の声。 縛りつけられ、自我を操られた、悲痛の声。 苦しんでいる。同じドールだからこそ、解る。 魂の悲鳴。 「あ……ぁあ……」 無意識に、涙が頬を伝った。 冴が悲しいわけではない。 これは、少年が泣いているのだ。 【タスケテ……タスケテ……!】 ただひたすらに、訴える声。 願うように。乞うように。 冴はその声に意識を傾けた。急に視界が白け、思わず瞳を閉じる。そうかと思うと、今度は薄暗くなった。 暖炉に赤々と炎が灯っている。暖かい部屋。 決して明るくはない部屋に、横たわっているのは一人の少年。銀色の髪が、さらに肌の白さを強調している。 眠っている少年の隣に、微動だにせず座っているのは、少女だった。少年と同じ髪の色をした、少女。 静かに、優しい眼差しで少年を見つめていた。 炎が揺れる。 つられるように、少年の瞼も揺れた。どうやら、夢から覚めたらしい。 瞼を上げると、少年は虚ろな瞳で辺りを見渡した。少女がすぐさま腰を上げ、少年の顔を覗き込む。 『目が覚めたか? ケイト』 『……ケイト?』 『そうだ。お前はケイト。私の弟だよ?』 少女を見上げた少年は、必死に記憶を手繰り寄せようとしているのか、眉根をひそめた。 不思議そうに小首を傾げ、かすれた声を絞り出す。 『……姉さま?』 出た言葉に、少女は今までの態度が嘘であったかのような、酷い形相を浮かべた。憎たらしいものでも目の当たりにしたかのように、憎悪の眼差しを向ける。 『違う……お前もダメなのか! お前なんかケイトじゃない!』 襲いかかる少女。少年の首を締めにかかる。 苦しいと、思う間もなく少年の意識はそこで途絶えた…… 「……え……冴!」 「っ……あ」 「大丈夫?」 間近に、オルビスの顔があった。覗き込むその表情は、憂いを帯びていた。 「……ええ、大丈夫」 言うや、激しい吐き気に襲われ、冴はその場で戻した。嗚咽に交じり、涙が止まらない。 肩を震わせていると、オルビスが無言で背中をさすってくれた。彼も、何かを感じ取ったのかもしれない。ただ沈黙を守り、けれどどこか、沈んでいるようにも見えた。 というよりは、冴と同じく中てられたというべきか…… 色々な想いを馳せながら、冴はふと視線を上げる。視界の端に、向かい立つ凪と、北のドーマの姿が映った。 起き上がった少年が、ドーマの前へと出る。 庇うように。守るように。 ずっとずっと、少年は叫び続けている。自我を奪われても、魂を酷使されても。 ただ、ひたすらに助けを求めて。 救われることだけを祈って。 その思いが、冴の中に流れ込んでくる。後から後から涙が零れて…… 拳を握りこむ。歯を食いしばる。 少年の中の記憶が、冴を突き動かす。 「……めて……」 そして、一瞬、音が消えた。 それを認識した時には、少年はもう動いていた。飛びかかるように跳躍し、凪めがけて拳を振るう。 凪はそれを紙一重でかわし、屋敷の壁に掛けられた短剣をとると、矛先を少年へと向けた。 今度は凪が仕掛ける。地を蹴って、少年の急所を狙うように短剣を振るう。閃光と共に刃が煌めく。 「やめて……」 よけきれないと悟ったのか、少年はそれを素手で止めた。 深々と突き刺さった左腕の短剣ごと薙ぎ払い、バランスを崩した凪は床に転がった。ギリギリで受け身をとったが、しかし衝撃に眉根をひそめる。 立ち上がろうとする間も与えず、少年は凪を抑えにかかる。と同時に、何かを決意したように、冴は顔を上げた。声を張り上げる。 「もうやめてっ!!!」 言うや、駆け出した。 少年が襲いかかろうとしている凪の前へ、出る。 「さ……っ!」 突然、凪を庇うように少年の前に出た冴に、凪は目を見開く。が、間に合わない。 言葉が途絶える。 冴は迫りくる少年を背に、凪を抱きしめながらぎゅっと目を瞑った。衝撃に備え、ぐっと奥歯を噛む。 閃光が、走った。 |