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 目覚めた時、そこに彼女の姿はなかった。
「起きるまでいるって……」
 言ったくせにな。
 俺はなぜか苛立ちを覚えて、小さく悪態をつく。
 何に腹を立てているのかも解らずに、俺は何かに苛立っていた。
 嘘をついた彼女に対して? そうかもしれないし、違うかもしれない。
「あ、もう起きたんだ?」
 いいようもない怒りに囚われていたその時。
 ふわっと甘い香りとともに、聞き覚えのある声が耳に届いた。俺は咄嗟に声のした方を伺う。
「ごめんねぇ。ちょっとトイレに行きたくなって」
 あははーと、恥ずかしそうに笑いながら近寄ってくるのは、紛れもなく彼女だった。その姿を認めた途端に浮かんだ安堵。
 さっきまで感じていた怒りなど掻き消えて―――――それに気づいて、俺は軽く動揺する。
「目が覚めたらいなくて、怒った?」
 覗きこむように俺を見る彼女の長い髪が、鼻をくすぐった。
 無意識に手がでそうになって、それに気づいた俺はまた動揺する。何を考えているんだ、俺は……
「? どうしたの? やっぱり怒ってる?」
「いや……寝起きで少しボゥッとしてるだけだ」
 言うと、彼女は安堵したように笑みを浮かべる。その途端、言いようもない焦燥に襲われ、俺は思わず顔を逸らしてしまった。さっきから、心臓が煩い。
 俺は何をこんなに焦っている?
 何でこんな……
 ふと、あの柔らかい感触を思い出す。それにギクリとして、俺は唇を噛んだ。
「調子、良くないの?」
 黙りこんだ俺を見て、彼女は再び心配そうな表情を浮かべながら、顔を覗きこんできた。ますます追い込まれるような激情に苛まれる。
 やめてくれ。
 これ以上、俺の中に踏み込まないでくれよ。
 ただでさえ、この焦りとか動揺の意味が解らないのに。
 ダメなんだ。俺は、この感情を知ってはいけない。
 ずっと、ずっと押し殺してきたもの。
「……なんともない。さっきも言っただろ。寝起きだから」
「それは、拒絶?」
 何かを決意したような声音に、俺は顔を上げる。
 妙に真剣な表情を浮かべ、彼女は俺をまっすぐに射抜いた。空気が凍るような感覚。
 ひいやりと、寒い。
「ねぇ? 君は、どうしてそんなに拒絶するの?」
 頬に彼女の手が触れる。俺はそれを拒むことすら忘れていた。
 温かい。温かい手。
「このまま、ずっと独りでいるの? そんなに自分が憎いの? 自分を破滅に追い込もうとするほどに」
「何、言って……」
「君は今、私を拒絶したよね? 自分の中に生まれそうになった感情を必死で押し殺そうとしてる」
 違う。
「ねぇ、どうして私の目を見ないの?」
 やめろ。
「怖いの?」
「やめろっ!」
 俺は思わず叫んでいた。耐えられない。
 何も知らないくせに。
 何もッ!
「やめろよ」
「どうして……?」
 彼女は驚く様子も見せず、真顔のまま、上目遣いに俺を見つめた。
「あんたには、関係ない」
「……関係は、あるよ」
「なに?」
「でも君は知らないから」
「ちょっとまて。それ一体どういう……?」
「君は、逃げてるだけなんだよ」
「は?」
「そうでしょ? 怖いから、嫌だから、逃げてるだけなんだよ」
 グサリと俺に突き刺さる言葉。
 現実を、まるで俺の内心を見透かしたような物言い。見透かされた、気分……
「なっ、なんなんだよ! なんなんだよあんたっ」
 なんで何も事情を知らない奴にこんなこといわれなくちゃならない?
 倖せに生きてきた、家族に見守られ受け入れられて生きてきた奴に、俺の気持ちなど解るはずもない。
 どうしてかき乱す。
「何でそんなこと……ッ!」
 やめてくれよ。
 これ以上、ぐちゃぐちゃにしないでくれ。
「勝手に現われて、勝手に消えて。好き勝手言いやがって!」
 何なんだよ、あんた。
「何様なんだよ、あんたはっ!」
 あんたにそこまで言う権利あるのかよ。俺にそんな説教たれるだけの存在なのかよ!
「……それは」
「知らないくせに……何も知らないくせに、なんでそんなこと言われなきゃならねぇんだよ? それともあんたは俺を救ってくれるとでもいうのか? だったら残念だったな。俺は救いなんかもとめてないし、偽善を並べたてた言葉も信じないッ。もう、うんざりなんだよ。放っといてくれ!」
 これ以上かき回すなら、俺の前から消えてくれよ。
「そう、だね……さよなら」
 一言。
 彼女の呟いた声が微かに聞こえたけど、湧きあがる感情の方が強くて、すぐに掻き消えてしまった。
 俺はベンチを殴りつける。
 硬い、石のベンチ。冷たい。ざらっとした肌ざわり。
 俺はその日、久しぶりに泣いた。





 俺が我にかえったのは、ふとよみがえった彼女の台詞を思い出したからだった。
 さよなら、と言った、彼女の言葉。
 さよなら?
 その言葉に、違和感を感じた。だって、今までに一度もそんな言葉は出てこなかった。
 彼女が始めて、別れの言葉を口にした。それはつまり……
 もう、二度と――――――
「ッ!」
 俺は即座に駆け出した。
 どこへ向かうのか、何がしたいのかわからないまま。
 とにかく走った。意味なんて、後から付け足せばいい。
 それよりも、彼女を捜さなくてはっ。
 まだ近くにいるはずだ。そんなに時間は経っていない。
 どこか、どこに……っ
「くそっ」
 暗くて辺りがよく見えない。だから嫌いなんだ、夜は。
 俺は小さく悪態をついた。舌打ちする。
 どれくらい走っただろう。
 喉が焼けるように熱い。苦しい。
 俺は足に力が入らず、その場に崩れた。ガクガクと足が笑っている。
 電灯がほんのりと俺の姿を浮かび上がらせて、そこには無様な俺の姿だけがあった。
「……雪?」
 はらりと、舞う。
 もう三月だというのに。
 それはまるで、彼女がいなくなったことを嘆いているかのようだった。



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