続く暗闇。
 時はとまったままで……
 俺は独り泣いている。


『いい子にできるわよね? いつも一人で留守番もできるんだし』


 交わす言葉など、殆どありはしない。
 両親は仕事が生きがいで、家庭のことなど省みない。
 金さえおいておけばいいという考え方。
 俺は、いつもあの広い家に独り。
 別に、それでもよかった。
 そう―――親の本音を感じ取るまでは……
 俺は全てのものから見捨てられた。
 向けてくるのは笑顔なのに、一度だって目が合ったことはない。
 心では俺を拒絶してる。
 誰一人、俺の味方なんていない。
 何度祈っても、願っても、想いは届かない。


 俺は、不必要な子ども


 ならば始めから、生まなければいいものを。
 思いながら、俺はその時不意に笑った。
 失笑だったのか嘲笑だったのか……
 けれど、その時はっきりと確信したことがあった。
 結局、神などどこにも存在しないのだ―――――





 あれから、あの日から、あの公園に彼女が姿を現すことはなかった。
 今更だが、俺は彼女の名前も知らない。いつも聞くタイミングを逃していたし、聞こうとするとタイミングよく彼女が話をふってきて、結局聞けずじまいだったのだ。
 それでも俺は、相変わらず公園に通っていた。それが習慣になっていたのだ。どうせやることもないし、家にも帰りたくなかった。
 いつものベンチに腰掛けると、よく彼女がしていたように夜空を見上げる。少しずつ位置を変える星があちこちに散らばっていた。何一つ、同じものはない。
 あの時から変わらないのは、俺だけだった。あとは全部、何もかもが違う。
 もう彼女はいない。季節も、木々も、星も。全てが移り行く。その中で、俺という存在だけがあの時のままだった。実質的には変わっているかもしれないが、心は何一つ変化などない。
 いや、変化は、あった。
 気づきたくなかっただけなんだ。
 けれど、俺は彼女に対して抱いた感情を上手く単語にできずにいる。
 惹かれてはいた。けれど、解らない。はっきりとした俺の心意は、わからない。
 ただ、今もこうして、生きている。この感情を見出すことも伝えることすらもできず、意味もなく……
 ズキリと胸が軋んだ。俺は唇を噛む。
 やっぱり、俺はあの時死ぬべきだったのだ。
 生き延びたりするから、こんなに苦しくて辛いんだ。
 だからこんな、柄にもなく涙なんか……
 こみ上げてくる感情が痛くて、俺は自分を抱きしめながら、必死に声を殺して、泣いた。





 そんな生活に慣れ始めてきた頃、変化が起きた。
 俺が相変わらずいつものように公園を訪れると、そこには珍しく先客がいた。
 近づいて見ると、ベンチの前でしゃがみ込み、その人は手をあわせている。足元には、花束が添えられていた。
 俺の存在に気づいたのか、その人は目を開けると顔を上げ、こちらを振り返る。

「……っ!」

 目が合い、その人物の顔を見て俺は絶句した。
 そこにいたのは、一人の女性。彼女は驚く俺を見て小さく首を傾げたが、俺は誤魔化すこともできず内心焦った。なぜならその人が、あまりにもあの少女に酷似していたから……まるで生き写しのように。
 彼女をそのまま三、四歳成長させたような姿が、そこにあった。
 しばらく経って、突然その人の視線が俺から外れる。彼女はすぐに俺の後ろの何かを見つけ、ぱっと顔をほころばせた。俺は、振り返れなかった。

「やっぱり、ここだったか」

 後ろから声がかかる。男の声だ。
 あからさまに安堵したような口調。彼女は立ち上がり、俺を横切った。違う。あの女性は、彼女じゃない。
 俺はやっとの思いで振り返る。
 女性は男のもとに駆け寄り、そのまま縋るように抱きついた。彼もまた、そんな彼女を抱きしめていた。恋人同士なのだろう。けれど、恋人同士特有の会話はなかった。その代わり、女性の方は何か手をめまぐるしく動かしている。それを見ながら、男の方も指を動かしてそれに答えていた。
 手話だった。

「今日は、揺生(ユイ)の命日だからな……行くならここしかないって思ったんだよ」

 彼は言葉にしながら、指先を動かす。彼女がそれに応えた。おそらく、聴覚か何かに障害があるのだろう。

「ていうか、一人で行くなよ。一緒にこようと思ってたんだぞ」

 言いながら、男性は公園内にあるベンチまで歩み寄り、先ほど彼女がやっていたように手をあわせ、やがて二人はゆっくりとこの場を去っていく。
 そんな彼らを、特に女性の方を俺は呆然と目で追っていた。彼女に似ていたあの女性。まるで双子のように。
 双子……?

「あ、あのっ!」

 俺は咄嗟に駆けだし、二人を呼びとめていた。男が振り返り、それにつられるように女性も続けて顔をこちらに向ける。
 男が一歩前に出た。

「あのすみません。失礼ですけど、彼女は、耳が不自由なんですか?」
「……そうだけど、それが何?」

 彼はあからさまに顔をしかめ、俺を警戒する。当然だろう。いきなり見ず知らずの男にこんな失礼きまわりないことを尋ねられたら。

「いえ、あの、彼女によく似た女の子をみたことがあるんで。といっても、もうちょっと幼かったですけど……でも、その子は喋っていたから」
「君、揺生の知り合いか?」
「揺生?」
「彼女の双子の妹だよ」

 やっぱり。名前は結局聞けなかったから知らないが、おそらく、その揺生という子が彼女なのだろう。
 頷いて見せると、彼は少しばかり驚いて、警戒を解いた。
 複雑な表情を浮かべ、それから傍らにいた彼女に手話で何事かを話し始める。彼女は徐に首を振った。

「悪いけど、揺生とはどういう関係?」
「そ、れは」
「揺鈴(ユリ)は君のことは知らないと言っているし、同級生というわけでもなさそうだから」
「揺鈴?」
「ああ、彼女の名前」

 言いながら、隣にいる彼女を指差す。彼女、曰く揺鈴さんはぺこりと頭を下げた。俺も軽く会釈する。

「それで?」
「あ……この公園で、会って。何度か話をしたことがあるってくらいですけど。突然いなくなったから、どうしたのかと思って」


「それじゃ、知らないのも当然、か」
「え?」

 意味が解らず声を上げると、彼は瞳を曇らせ、公園のベンチへ視線を向けた。

「あの、どういうことですか?」
「揺生は……死んだよ。四年前の今日、この公園で」
「な……」

 死んだ?
 しかも、四年前だって?
 待てよ。それだと、おかしいじゃないか。だって、俺が彼女に会ったのはつい数週間前だ。それが、四年前?

「どういう……」

 解らない。どういうことだ? 四年前に亡くなっている人間に、俺はどうやって会ったというんだ?

「彼女、揺生はね……自殺したんだよ」
「自、殺?」

 その単語に、俺は衝撃を覚えた。目の前が真っ暗になる。
 彼女が? あの、少女が?

「俺は理由はよく知らないんだけど、あのベンチに突っ伏すようにして……手首を切っていた。見つけたときには、もうどうしようもなかった」

 手遅れだった。彼はそうつけたした。その声が、やけに遠い。
 他にも何かを話していたが、俺にはもう何も聞こえなかった。
 俺は不意に自嘲する。
 本当の別れも何もない。
 始めから、彼女はこの世界になど存在していなかったのだから……





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