息もできない




「少し沁みるかもしんねぇけど、我慢な」
 とった左手の傷口に、消毒液を含ませた脱脂綿をピンセットでつまんで近づける。篠沢は俺の言葉に従うようにグッと肩に力を入れて早くも痛みに耐える準備をしていた。
「ッ」
 傷口に触れると、やはり沁みるのか篠沢はぎゅっと目を瞑る。俺はなるべく手短に済む様に二、三度傷口を消毒してから、絆創膏を撒いてやった。
「これでよし」
「あ、ありがとう」
 治療が終わると、ホッとしたように肩の力を抜く篠沢。けれどすぐに思い出したように落ち着かない様子を見せはじめる。
 俺は内心溜息をつき、散らばった薬品等を戸棚に戻した。
 棚の戸を閉め、することのなくなった手は戸についたまま止まる。
 息が詰まるほどの静寂。どうやって切り出そうか。考えあぐねていると、どんどんタイミングを見失う。
「あ、あのねっ」
 しかし、意外にもその静寂を破ったのは篠沢の方だった。俺はゆっくりと振り返り、彼女を直視する。目が合って、咄嗟に視線を外された。
 ズキリと、胸がきしむ。
「あの……この前は、ごめんね。何か盗み聞きしたみたいで……」
 切り出された本題に、思わず焦りが出た。
「いや、あれはっ」
「私、お、応援するし!」
「――――――え?」
 言いかけた言葉をさえぎられ、最悪な台詞が耳に届く。俺は一瞬意味を理解できず、言葉が出なかった。
「真央ちゃんいい子だし可愛いもんね。君島くんが好きになるのもわかる……気、が――――――」
 途中で不自然に言葉が切れ、浮かべた彼女の表情に俺は目を見張った。
「なっ……」
 泣いている。
「し、篠沢!? な、ど、どうした!?」
 自分でも驚いているらしく、目を見開いたまま動きが止まっていた。
「篠沢? 気分でも悪くなったのか? 傷が痛むのか?」
「……痛い、かも」
「消毒がちゃんとできてなかったのか? ばい菌でも……あぁ、とにかくもう一度見せてみろ」
「違う。違うの。そうじゃなくて……そうじゃ、なくて?」
「篠沢?」
 相当混乱しているのか、自分でも何を言ってるのか、何が言いたいのか解っていないらしい。
「どうしたんだ?」
「何で?」
「え?」
「何で、真央ちゃんなの?」
「篠沢?」
 瞳に涙を溜め、俺を見上げるその顔が、こんな時だってわかってても可愛いと思ってしまう。こんなにも、抱きしめたくなる。
「どうしよう。どうして? も、解んない……やだ、こんなの。こんな私、嫌い。大嫌い……っ」
「篠沢っ」
 俺は抑えられなくなって、目の前で小さくなる彼女を抱き寄せた。潰してしまわないようにそっと。
「落ち着け。そんなこと言うなよ。嫌いだなんて、言うな」
 それじゃ、お前のことを好きな俺の気持ちはどうなるんだよ。自分自身のことを嫌いだなんて言ってる女のことを好きな俺の気持ちを、否定しないでくれよ。
「だって、私ダメ……なのに。真央ちゃんと君島くんの応援しなきゃいけないのに、友達なんだからできるはずなのに、厭だって、すごく厭だって思って……でも、何でか解んなくて、私、最低だ」
 零れる涙を拭うこともせずに、篠沢は半ば躍起になって叫んだ。
「それって……」
 なぁ、今なら自惚れるよ。
 だってこれ、俺のこと好きだって言ってる様なもんじゃないか?
 嫉妬、ってやつ。
「篠沢」
 俺は抱きしめていた彼女の身体を少し離し、顔を覗き込む。涙を瞳に溜めて唇を噛むその顔でさえ、愛しい。
 もう俺馬鹿でいいよ、救いようのない大馬鹿者でもいい。
 これほどまでに、自分でも呆れるぐらい彼女しか見えないんだって思い知る。
「一回しか言わないぞ」
 つーか、それ以上は俺の心臓がもたねぇからな。
「君島くん?」
 そっと篠沢の頬を包み、俺は静かに深呼吸。
「好きだ」
 篠沢が好きだ。
 誰にも渡したくないし、渡す気もない。
「……え?」
「頼むから、この状況でまで得意の異変換とか勘違いとかすんなよ」
 ここでまでボケられたら俺本気で立ち直れないからな。
「え、でも、だって……嘘だよね?」
「何が」
「だって、君島くん真央ちゃんのことが」
「あれは誤解だ。篠沢に告白する練習を付き合ってもらっただけ。そこを丁度お前に見られたんだ、最悪のタイミングで」
 告白する前からの会話を聞いといてくれりゃいいのに、告白練習のとこだけばっちり聞いて人の話も聞かずに逃げるんだから、そりゃ誤解もするだろう。
「じゃぁ、君島くんが本当に好きなのは……」
「始めっから篠沢だけだよ」
 真っ直ぐに目を見て告げると、しばらくキョトンとしていた篠沢が、理解したように頬を真っ赤に染めた。
 顔と顔が近い。
 伝わる鼓動が、早い。
 『好き』なんて言葉では言い表せないほど。
 想ってる。

 息も、できないほどに……

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